「スピルバーグのつくりかた」フェイブルマンズ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
スピルバーグのつくりかた
スピルバーグ自身が描く、いわば“スピルバーグのつくりかた”。
原案はスピルバーグの妹のアンスピルバーグによって書かれたもので2000年よりも以前から構想されていたそうだ。
ただし逸話には両親に対する批判的な視点が含まれていたため、それによって両親が傷つくのをおそれて映画化しなかったらしい。
反面、スピルバーグの両親は家族の映画をつくれと亡くなるまでしつこくスピルバーグにせまっていた──とスピルバーグは語っている。
(スピルバーグの母親は2017年に、父親は2020年に亡くなった。)
これを見るとスピルバーグの原点がセシルBデミルの地球最大のショーにおける電車と車の衝突シーンだということがわかる。
それからというものサミー少年は劇的な光景をフィルムにおさめることに腐心するようになった。
が、成長につれ彼にも浮き世の災厄が降りかかってくる。
フェイブルマンズ家は華やかでやんちゃな母親を中心にして、その周りにおとなしい父と陽気な叔父と常識的な妹たちと自分がいる。
簡素化して言うと、そんな環境下で育った映画オタクがユダヤ人蔑視と両親の離婚を通過することで私(スピルバーグ)ができました──とこの映画は言っている。
複雑な人間感情や悲しみを知らなければ何かをつくることはできない。スピルバーグは思い通りにならない人生経験を積んできた技術者だ。それがよくわかる。
個人的なレビューの方向として、外国映画をほめるために日本映画をけなす──ということをするので、それに従って言うが、日本映画界で第一義用語となっている「天才」がThe Fabelmansを見ると映画監督にまったく関係のないパラメータだということがよくわかる。
これは普通に考えて、いささかも特別な話ではなく、世間知らずの教員や政治家や学者に「働け」と指導をするのと同じようなものだ。
芸道の基本は職人としての経験値であり、物語作者としての基本は人生の経験値である。天才という謳いが映画にとってどれほどばかげたセールスポイントかきっとおわかりいただけることだろう。
The Fabelmansはずっと技術畑で生きてきたいじめられっ子のユダヤ人が悲喜こもごもを体験することでじぶん(スピルバーグ)がいかにつくられたかを語っている。
絶対の説得力だった。