「「映画うま男」を創り出したもの」フェイブルマンズ ますぞーさんの映画レビュー(感想・評価)
「映画うま男」を創り出したもの
スティーブン・スピルバーグ
言わずと知れた「映画監督」の
代名詞と言えるほどの世界最高の
ヒットメーカー
幼少期に観た映画に魅入られ
17歳の時にハリウッドスタジオに
出入りするようになり作った短編
「アンブリン」が
アトランタ映画賞を受賞
ユニバーサルとの契約を得て
1971年「激突!」
1975年「ジョーズ」など
低予算をアイデアと特殊効果で
ひっくり返す作品で
世界的にブレイク
その後は自身のルーツである
ユダヤ人にまつわる本質的な
テーマの「シンドラーのリスト」
など社会は作品も展開
多種多様なジャンルをこなし
映画マニアからは
「映画うま男」と呼ばれ(?)
映画界の頂点に君臨しっぱなし
である
というスピルバーグ氏のその
ハリウッドに出入りするように
なるまでを描いた今作
どうだったか
主人公を氏をモデルとした
サミー少年に留まらず
「フェイブルマン家」として
扱うことで誰の視点に偏る
こともなくそれぞれの心情を
主張させる展開はあたかも
NHK朝ドラのようで逆に新鮮
内容を通じて映画が自分にとって
人々にとって何であるかという
思いが伝わってきました
先日も似たようなテーマの
「バビロン」という作品が
ありましたがそれより
なじみやすかったです
だって朝ドラだから
アリゾナに住む
ユダヤ系の「フェイブルマン家」
新しもの好きで優しいが
いったんスイッチが入ると
相手かまわず早口で喋り始める
ナード系の機械技師のバートと
芸術家肌でファンキーで奔放
なピアニストのミッツィ
そんな間に生まれたサミー少年は
映画に連れられ見た作品は
「史上最大のショウ」
機関車と車が激突し
大事故が起こるシーンを強烈に
脳裏に焼き付けたサミーは
せっかくバートにプレゼントされた
模型機関車も憑りつかれた様に
ミニカーと激突させるので
バートは頭を抱えますが
ミッツィはその行動に意味を感じ
バートのカメラをこっそり
サミーに渡しその「シーン」を
撮って見せるよう言います
サミーはクローゼットの奥の
即席映画館で最高のそれを
ミッツィに見せます
それがサミーの「キャリア」の
始まりだったのです
そんなミッツィの口癖は
「出来事には意味がある」
その頃バートはRCA社で
同じエンジニアとして
親交を深めていたベニーと
共に開発していた
真空管コンピュータ「BIZMAC」が
認められIBMがバートを引き抜き
アリゾナを出る話が出てきましたが
ミッツィはそれを強く拒絶します
何故なのでしょう
やがてボーイスカウトでも
短編映画で評判の作品を
作るようになったサミーは
拳銃が弾を発射する後入れの
フィルム効果等を編み出し
父も感心しますがそろそろ
そういう趣味よりも実質的な
車の運転なども覚えてと
言われるのを嫌がるように
そんな折ミッツィの母が亡くなり
悲しみに暮れるミッツィを
案じたバートはサミーに
欲しがっていた編集機を与え
一家とバートの仕事上から
家族ぐるみの付き合いの
ベニーおじさんと行った
キャンプの短編ビデオの
編集してミッツィに
見せてやってくれと
頼まれます
サミーは正直乗り気には
なれなかったのですが
そのキャンプ映像の
編集中に不意に映った
ミッツィとベニーの
「密接さ」を知り
困惑しミッツィ(とベニー)
を拒絶するように
なっていきます
ミッツィはそれに対し
怒りを見せるのですが
サミーにその理由を
打ち明けられ
どうしていいかわからない
サミーは秘密を洩らさない
ようにします
アイデアと工夫で
思うまま寓話を撮ってきた
サミーが
単なるキャンプを
映像に残したことで
思わぬ真実を残す
その「真実性」の怖さを
知ったので
カメラで撮ることに
恐怖をも覚えてしまった
ようです
そんな折ミッツィの
母の兄であるボリスおじさん
が弔問に来ますが
映画関係の仕事をしていると
サミーに伝えると
母方の家に伝わる
芸術家肌の妥協できない
我慢できない性分が
お前にもある
どうしても我慢
できないから覚悟せえよ
と言われてしまいます
結局家族は
カリフォルニアへの
引っ越しが決まり
ミッツィがアリゾナを離れる
事を拒否し続けた「理由」
ベニーから餞別として
最新型8mmカメラを
贈られますがサミーは
前述の恐怖からもう映像は
撮らないと拒否(結局受け取る)
バートはもう成長して
やめたものだと思って
いたのですが
バートはベニーとミッツィ
の関係にもまるで気がついて
おらず仕事の成功しか
頭にないようで
そこへも少なからず
不満があるのでしょう
結局カリフォルニアに越した
フェイブルマン一家
サミーはユダヤ系である事で
転校先のハイスクールで
スクールカースト頂点の
ローガンやチャドらから
とことん虐められますが
サミーも結構やり返すので
トラブル続き
引っ越すんじゃなかったと
父を恨みますが
ふと知り合った
ガールフレンドのモニカの
勧めで最新カメラを貸して
あげるからと卒業イベントの
撮影を頼まれます
そんな折引っ越し後から
家事も何も手に付かず
ベッドで寝てばかりになった
ミッツィにバートもついに限界
「離婚」と相成ってしまいます
理由を受けとめられない妹らは
混乱しますがサミーは既に
知っていますし
(妥協できない性分も
ボリスから聞いてますし)
淡々と卒業イベントの編集を
進め工夫も凝らした見事な
作品を作り上げます
さて卒業パーティー当日
サミーはモニカに
両親が離婚するので一緒に
ハリウッドに来ないか的な
重たいプロポーズをして
しまい大爆死
しかしその傷心冷めやらぬまま
上映したサミーの映画は大ウケ
チャドは徹底してマヌケに
描写されローガンは
「無欠の英雄」のように描かれ
ローガンに女子勢は夢中に
なりますがローガンはだんだん
複雑な表情になります
そしてサミーに詰め寄ります
「なぜあんな撮り方をした」
するとサミーは
「お前は最低な野郎だ」
「だが"あの中"なら仲良く
なれるかもしれないと思った」
とハッキリ言いきります
するとサミーを見つけた
チャドが仕返しに
殴りかかってきますが
なんとローガンが
チャドをぶん殴って
追い払ってしまいます
そしてローガンは
あろうことか慟哭し始めます
周囲に対し強い男と
虚勢を張ってきた
自分を映像で見透かされて
しまったという事でしょうか
思わぬリアクションに
サミーは困惑しますが
「このことは秘密だ」と
告げられローガンは去ります
かつて
現実を映像に残すことで
不都合な真実を切り取ってしまう
怖さを目の当たりにしたサミー
ですが今度は演出をもって
人をフィルムに映し出す事で
作り出される理想がその人を
押しつぶしてしまう
事もあるということを
スティー…じゃなかった
サミーは知ったのでしょうか
まぁローガンは単純に
感動したんだと思いますが
そして1年後
サミーは離婚後父についていって
カリフォルニアの大学に行った
ようですが相変わらず差別は
なくならず映画の仕事がしたい
と方々に手紙を出しまくっては
お祈りされる日々にうんざり
バートは気を落とすなと
たしなめますが
ミッツィからの手紙が
届いておりそれでベニーと
幸せそうにしている姿を見て
バートも一気に態度が変わり
したいようにしなさいと
サミーに言います
バートも自分の夢にばかり邁進
していたわけではなく
バートなりに家族のために働き
ミッツィの幸せも願っていた
所はあったと思いますが
届かない部分があった
ベニーとの関係は結局
知っていたのか不明ですが
(映画の中でもどちらとも
とれる描写でした)
アーティストの妥協なき感性
はバートなりに感じ取って
いたのだと思います
バートにそう言われた
サミー宛の封書には
ハリウッドのスタジオから
話を聞きたいというものが!
なんかハリウッドスタジオの
ツアーを抜け出してスタッフと
仲良くなって3日間のフリーパス
貰ってその間に人脈を作った
なんて逸話もありますが
それはあくまでスティーブ(笑)
そして面接に臨むサミー
テレビシリーズの仕事を依頼され
すると伝説的な監督を紹介されます
その監督は葉巻をくゆらせながら
「地平線を上か下に取るだけで
その映画は面白い!
真ん中にある映画は退屈だ!
それだけ覚えておけ!」
という金言を授かります
本当に言われたんでしょうねw
ここのシーンだけですが
圧倒的なキャラを見せつけた
デビッド・リンチさすが
そして足取り軽くハリウッドの
スタジオの間の通りを向こうへ
去っていくサミー
彼に待っているものは?
というところで映画は閉じます
別に自分は映画マニアではないので
歴史的な作品に詳しいわけでは
ありませんがそれでも作品から
伝わってくるメッセージは
色々ありました
スピルバーグ監督の言葉で
一番好きなのは何かの番組で
「映画監督に憧れる若者に
アドバイスお願いします」と
司会に言われたときに
「その質問には答えられない」
「なぜなら私も
映画監督に憧れているのだから」
人は生きている限り
道のまだまだ途中…