「過酷な環境の中、混血児として生きた人たちの人生を思う」Yokosuka 1953 ゆみありさんの映画レビュー(感想・評価)
過酷な環境の中、混血児として生きた人たちの人生を思う
木川洋子(バーバラ)さんは1947年米国軍人と日本人女性の間に混血児として横須賀に生まれた。彼女は本当の父親のことを何も知らない。1953年アメリカ人夫婦の養女として渡米。優しかった実の母親を思い、いつか迎えに来てくれると信じながら、66年間一度も日本に帰ることなくアメリカ人として生き抜いた。しかし養女という境遇は幸せではなかった。アメリカでは敵国日本への激しい憎悪と差別があった。英語を話せない彼女は学校でいじめられ、そして養父の性的虐待まで受け、結局米人養父母のもとを逃れ、孤独な人生を送った。その間に日本語はすっかり忘れ、あんなに愛していた母親の顔さえ思い出せなくなっていた。そして66年という歳月を経て、71歳になった彼女は日本の土地を踏み、懐かしい横須賀を訪れる。
僕はこのドキュメンタリーで終戦後のこの基地の街で起きたおぞましい闇を知った。戦争で心を病んだ多くの米兵が鬼畜とも言える行為を平然と繰り返した。その結果夥しい数の嬰児たちが闇から闇へと葬られた。そして生きるために米兵に身を売ったパンパンと呼ばれる女性たちの存在、売春宿、親に捨てられた混血児と孤児院。実は僕自身、基地の街で育っている。だから学校には父親のいない混血の同級生が何人かいた。横須賀にも縁があり、ここで十数年を過ごし子供を育てている。横須賀は第二の故郷として大好きな街でもある。しかし、この土地で終戦から朝鮮戦争にかけて、身の毛もよだつような酷いことが起きていたのだ。
僕が小学生の頃、横須賀出身の超イケメンミュージシャン(GSのヴォーカル)がいたのを覚えている(顔立ちはどう見てもアメリカ人の血を引いていた)。セミヌードを披露して一世を風靡した混血の美人モデルがいたのも覚えている。彼女も確か横須賀出身だった。横浜出身でボクサーからロック(soul)シンガーに転じ、名を馳せた混血のJ。有名になった彼が最期の地として横須賀を選んだのも心をうたれる(僕はJのfightもsoulも大好きでした)。彼らが自分の出自を語ることはほぼない。だけどこんな過酷な境遇の中、たくさんの混血児が逞しく生き抜いた。称賛されど、蔑まれるようなことは何もない。イケメンシンガーもJも既になくなっているが、名もなき人として生きる混血児はその何十倍もいるだろう。彼ら(もちろん洋子さんも)の残りの人生に幸あれと祈らずにはいられない。