「田舎暮らしの愚かしさの詰まった作品」理想郷 himabu117さんの映画レビュー(感想・評価)
田舎暮らしの愚かしさの詰まった作品
のんびりと田舎暮し、子供をのびのび育てよう。そんなキャッチフレーズに、だまされてませんか。あこがれと現実は、当たり前ですが違います。戦後民主主義は、人間皆平等だと説きます、まずそこを疑ってみましょう、そうでないとこの映画のような悲劇が。
のんびりと田舎暮らしの落とし穴
テレビでは、相変わらずこの手の番組が多いですよね。
はて、田舎暮らしがそんなにいいものか不思議です。
都市部への人口の集中により過疎化の進む、農村部。
自治体もやっきになって、移住者を募集したり。
しかし、いざ移住となると、その後のあらゆる諸問題に、自治体のバックアップは、期待できません。
そう、自分たちで解決しないと。
そこなんですが、あくまでも移住者は、よそ者です。
そして、移住した地方は、農村部であれば、まちがいなく閉鎖的です。
さあ、そこで、どんな苦労が待っているでしょう。
そうまでして、田舎暮らしがしたい。
そんな実例をこの作品は、実話に基づいて、教えてくれます。
フランスで、教師を退職した初老の夫婦。
第二の人生を、若い時訪れ忘れられぬスペインの片田舎で、有機農法による野菜栽培を始めます。
ここで、この夫婦というより教師をしていたご主人が、田舎暮らしではやってはいけないことを次から次から繰り出してきます。
見ている方が、ハラハラしてくるのですが、彼の言うことと行動は、全て正論なのですが、彼自身よそ者であることが、わかっていない。
さてそれは、どんな点でしょうか。
村民と、打ち解け合おうとすること。
映画では、酒場の場面がよく出てきます。
そこで、必ずフランス人の教師は、嫌われ役に。
当然でしょう、フランス人教師とスペインの田舎者で、打ち解け合うはずがない。
田舎者にとっては、都会風のインテリは、最も嫌いな人種。
だって、自分たちの無学さを嫌というほど感じてしまうから。
この場合、フランス人元教師が、スペインの田舎者レベルまで自分を下げなければいけない。
しかし、世間知らずの教師にそんな芸当が、できるはずもなく。
普通の人でも、相当な演技力が要求されるのに。
おまけにお酒がはいってしまっては、無理でしょう。
まず、1つ目に言えることは。
あまりレベルの違う人とは、距離を置くこと。
ただ、職場などで、どうしても交わらないとならない時は、彼らを刺激しない演技力が求められるということ。
風力発電誘致に反対してしまったこと。
村に持ち上がった、風力発電誘致の話。
賛成派は、貧しい村で、これといった収入がない中で、ある程度まとまった保証金がもらえること。
反対派は、風力発電は、外国企業の発電施設売り込みの目的で、環境破壊につながること。
ここで、例のフランス人元教師は、反対派となります。
それも、旗振り役として、賛成派住民を説得して、反対の議決を通してしまいます。
これも、フランス人元教師が、嫌われる原因となります。
そう、何代もこの地に住み続ける人たちの問題なのに。
都会から来たよそ者が、その意を汲み取らず、正論で押し通そうとする愚。
まあ、この映画は実話に基づくらしいですから、なおさらそう思います。
あくまでも、主導権は、その地に長く住んでいた人なのに。
当然、貧しい農民から恨まれます。
人間、皆平等の愚かな考え。
特に、戦後日本では、この考えが当たり前のように、言われてますが。
何か、勘違いしてませんか。
そう、ひとそれぞれに権利は、あくまでも平等に与えられなければならないという事で。
人間が、皆平等であるはずがないのです。
生まれた環境や、所属する階層もバラバラで、何が平等なんでしょう。
そこを取り間違えると、この映画のような悲劇が生まれるのです。
このフランス人元教師は、対立する村民と打ち解け合い、話し合い理解し合おうとします。
いや、無理でしょ、これだけレベルの違う人間が。
それがわからない、元教師の悲劇。
そう、レベルの違う人間は、ある程度棲み分けが必要なんです。
みな、それらを感じ取って、お互い刺激し合わない距離感で生活しているのに。
この元教師のように場違いところで、自らを主張する愚かしさ。
逆に、村民の立場になると迷惑この上ないと。
さあ、皆さんそれでも田舎暮らしがしたいですか。
憧れの田舎ぐらしが、悲劇にならないようにこの映画から勉強しましょう。