「彼女と我々の間にある「何か」とは」Pearl パール satoさんの映画レビュー(感想・評価)
彼女と我々の間にある「何か」とは
以前「そう言えば観てなかったな」くらいのノリで「X エックス」を鑑賞。
あるようでないストーリーと、絶え間なく押し寄せてくるエロとグロの描写に、一体どんな感情を抱けばいいのかと呆然として数日。
やはりここまで来たらちゃんと「Pearl パール」も観ておかねばならないと覚悟を決めて「Pearl パール」も鑑賞。
そして理解した。
「Pearl パール」あっての「X エックス」
でも絶対に「X エックス」を観てから「Pearl パール」を観るべき。
きっと逆なら、ここまで納得は出来ないと私は思う。
「X エックス」に出てきた理解不能な怪物が「Pearl パール」によって我々の行く末かも知れないと思い知らされる。
パールと言う女性は、窮屈でつまらない農場暮らしに嫌気が差し、自分の可能性を信じて常に夢を見ている。
その一見子供じみた少女のような夢想は現代の私達が持つ感情とひどく似ていて。
愛されたい、認められたい、君が一番だと言われたい。
そう、つまりは「承認欲求」
甘い香りのする方へ迷い込み、依存し、少しでも拒絶されたと感じれば排除する。
パールと私達を分けるのは、一体何なのか。それはきっと、パールが持っていない「何か」
それは理性だったり罪悪感だったり、はたまた自分への正しい評価だったり。
パールが「X エックス」で性的行為に拘っていたのは、恐らくそれがパールが唯一認められた「魅力」だったからではないか。
歪んでいたとしても、間違っていたとしても、求められたい、認められたい。
焼け死んだ母親の亡骸に寄り添い、綿菓子のような甘い夢を見ていたシーン。
あれこそがパールが本当に求めていたものなのだと思う。
良い子ねパール、だいすきよ。可愛いパール、愛してるわ。ずっとずっとママの側にいてね。あなたはママの誇り。
本作でも「X エックス」でも、パールの夫ハワードの感情が掴み切れない。
最初は殺人による快楽に取り憑かれているのかと思っていたが、今改めて思えば、ハワードの行動はパールへの究極の愛なのかも知れない。
おぞましさと恐怖を感じるあのラストシーン。
彼女と私達との間にある「何か」とは何なのか。