「この父あっての「宮沢賢治」、そして言葉の温かみ」銀河鉄道の父 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
この父あっての「宮沢賢治」、そして言葉の温かみ
<映画のことば>
お前の作った物語が、トシには光だったべ?道だったべ?
だから、お前の言葉で導いてやらねば、トシは極楽浄土、行けねえべ。
若き日の賢治は、全力で父を乗り越えようと、奮闘努力していたのかも知れないと思いました。評論子は。
一見すると突拍子もない「人造宝石の発売」という考えも、商い(質屋)を営む父親・政次郎を超えるために、賢治なりに精一杯に考え抜いたアイディアだったのでしょう。
そう思い返すと、胸がいっぱいになるような思いです。
一方の政次郎にしても、賢治の才を信じてなのか、賢治の「見守り」に徹する姿が印象的でしたし、その度量が賢治を育てたことも、見逃すことはできないのだろうと思います。
政次郎の稼業が本当に質屋であったかどうか、寡聞にして評論子は知らないのですけれども。
質屋は、一見すると質物というモノを見てお金を貸す商売に見えるのですが、実際の質屋は借主というヒトを見てお金を貸す商売であり、それだけに、政次郎は賢治の非凡さに、ハナから気づいていたのではないかと、評論子は思います。
それ故に、賢治がおかしなこと(人造宝石)を言い出しても、学校の教員という安定した職をあっさり捨ててしまっても、家とは異なる宗派の宗教にのめり込んでも、政次郎は賢治を終始、温かい眼差しで見守ることができたのではないかとも思います。
結局やはり、本作の題名も、他ならぬ「これ」になっている…否、「これ」でなければならなかったのでしょう。
そして、充分な佳作であったと思います。
評論子は。
(追記)
ある県で、観光を売り込むセクションの職員を公募したときに、「標準語が話せる人」という条件をつけたことがありました。
観光プロモーターとしては、アカ抜けた話し方ができる人という思惑だったのかも知れません。
一方で、歴史的には拓殖地・開拓地であった(評論子の住む)北海道は、各地の「お国ことば」が混交するうちに、自然と標準語に近い言葉遣いになってきたようです(いわゆる「方言」はあっても、イントネーションは限りなく標準語に近い)。
しかし、本作のような作品を観ると、その土地その土地の「お国ことば」の温かさが、心地よく耳に伝わります。
その「温かみ」も、遺憾なく味わえる一本であったとも思います。
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
これを標準語に翻訳してしまったら、なんの味わいもなくなってしまうことでしょう。
りかさん、いつもコメントありがとうございます。
わたくしごとですが…。
中学校の修学旅行(東北旅行)のとき、バスガイドさんが歌ってくれたりんごの歌を、半世紀を経て、まだ覚えています。
「赤いりんごっこに、唇っこ寄せて 黙って見ている青い空っこ
りんごっこは何にもしゃべらねけれど、りんごっこの気持ちだばよぐわかる
りんごっこ、めぐいじゃ。めぐいじゃ、りんごっこ。」
終日バスに揺られた疲れた身に、ほんわりと効きました。
こんにちは♪
共感ありがとうございます😊
本作タイトルにもふさわしい父
政次郎であったわけですね。
方言が温かかったですね。でも、東北のこの時代ならもっと方言がきつく他府県の者には理解できなかったと思います。
あめゆじゆとてちてけんじゃ、
トシの切なる願い、響きます。