「賢治を支えた父、妹、弟、そして母の素晴らしさ」銀河鉄道の父 てつさんの映画レビュー(感想・評価)
賢治を支えた父、妹、弟、そして母の素晴らしさ
冒頭、汽車中で役所広司氏演じる政次郎が、長男である賢治の誕生を喜び、帰宅してから真っ先に生まれて間もない賢治に駆け寄り、田中泯氏演じる喜助から窘められる。賢治が赤痢に罹って入院したときには、坂井真紀氏演じる母のイチを差し置いて付き添い続け、自分が腸カタルに罹ってしまった。中学校に進学した賢治は、政次郎の期待に反して成績は低く、家業の修業をさせようとしたが、心優しい賢治は、却って客に騙される始末であった。森七菜氏演じる妹のトシの勧めを承けて賢治の高校進学が認められたが、人造宝石製造や日蓮宗に傾倒し、やはり家業から遠ざかってしまった。イチは、賢治の本心は政次郎に褒めてもらいたいのではないかと推察していた。「修羅」という言葉がそこで出て、後の詩集の書名にもつながり、学部生時代の恩師がその詩集にこだわられていたことを思い出した。東京の女学校を卒業し、郷里で教師になっていたトシが結核で倒れ、賢治が駆けつけて初めての作品である『風の又三郎』を書き上げて読みきかせ、やがてトシは亡くなってしまい、火葬釜が使用できずに野外で荼毘に付され、浄土真宗での葬儀が営まれていたところ、賢治は勝手に日蓮宗の弔い方で割り込み、落胆の様子を示したところ、政次郎から逆に励まされることになる。賢治の作品解説や岩手の資料館展示解説でも、トシの影響力が大きかったことは結構ふれられていたな、と改めて思い返すことであり、森氏の演技力にも感嘆したものであったし、森氏自身もインタビューで、トシが宮沢家の精神的大黒柱なのではないか、と答えている。私塾「羅須地人協会」を立ち上げて地元農民に農業についての勉強会を行う傍らで創作活動を続けている様子も描かれ、チェロの演奏場面は、『セロ弾きのゴーシュ』につながるものであった。豊田裕大氏演じる弟の清六が政次郎が引退した後、別の商売を始めて家族を支えるのであるが、風貌が賢治役の菅田将暉氏にそっくりであった。政次郎が賢治の結核罹患に気づき、実家に戻り、相談に来た農民が妻や娘を売らなければやっていけない、と訴える姿は、『グスコーブドリの伝記』で描かれた大冷害の被害にも通じるが、同様の被害が繰り返し起こっていたのだろうか。そのときの回答は連作障がいだということであったが、近代農法の限界でもあるのだろう。臨終に際して、イチが政次郎に介護の交代を申入れする様子は、それまでの政次郎の積極性の高さを示すものでもあった。政次郎が「雨ニモ負ケズ」の詩を叫ぶ場面は、原作にも史実にもない、本作独特の創作場面であり、政次郎の賢治への愛が爆発する場面でもあった。結末は、冒頭のように、汽車に政次郎が乗り、車中を進むと、賢治とトシの座席に辿り着き、『銀河鉄道の夜』の登場人物のような会話を始めるというものであった。「賢治の学校」の創設者がどう観たのか知りたい。次は、石川啄木氏を描いた映画作品を観たい。