「「宮沢賢治の父」である必要がない」銀河鉄道の父 pipiさんの映画レビュー(感想・評価)
「宮沢賢治の父」である必要がない
非常に期待していた作品なのに、少々残念な出来であった。
・俳優陣の演技は素晴らしい。
・時代考証、風俗考証がしっかりしていて映画の世界にスムーズに没入出来る。
・逆光やハレーションを効果的に使ったカメラワークも賢治の世界をイメージさせる表現で非常に良かった。
これだけ良いところが多いのに仕上がりが今ひとつだったのは、肝心の「宮沢賢治」という人物の掘り下げが浅いからだと思う。だから、ただの「破天荒な息子をもった親バカな父親の深い愛情と家族愛」で終わっている。
これなら、どこぞの破天荒息子でも変わらない。宮沢賢治である必要がまったく無いのだ。
賢治の人生史について詳しい観客はそう多くはないだろう。何か縁があって研究やら勉強やらでもしない限りは普通あまり知らないはずだ。
私はたまたま仕事と趣味を兼ねて研究した事があるので、「賢治の父を掘り下げる」という斬新かつ秀逸な観点には非常に驚いた。
「あの賢治を積極的に支えていたならば、そこには大変なドラマがあっただろう」と、本作は非常に楽しみにしていた。
涙腺崩壊に違いない!と、幕間のうちからしっかりハンカチを握りしめ準備して鑑賞に望んだ。けれども、まったく泣けなかったのだ。
特に、余計なフィクション演出の場面ほど、非常に鼻についてしまった。
・「雨ニモマケズ」から始まる書きつけは賢治の死後に発見されたものであり、亡くなる時に父が読み上げるはずがない。実際、詩かどうかすらわからないシロモノだ。(褒められたのは、亡くなる日の朝、父に「国訳の妙法蓮華経を一千部作ってください」と語った件についてだ)
・父、政次郎は私財を投じて仏教会(浄土真宗)を主催し、地域の民生・調停委員として800件以上もの紛争を解決に導いた人物。
賢治は大乗仏教である妙法蓮華経に激しい感銘を受け、父を折伏しようとしばしば大口論を繰り広げたが、映画のような奇行はしていない。
トシの葬儀は浄土真宗だった為に参列せず、出棺時に現れて棺を担ぎ、遺骨の半分を国柱会本部に収めた。
・短歌や短編を書き出したのは、トシの結核がきっかけではなく、盛岡高等農林学校(現・岩手大学)在校時にすでに同人誌発行したり家族に朗読したりしている。
・先祖代々(と言っても祖父の祖父から)続いた家業は呉服屋。質屋は分家としてほとんど相続が無かった祖父が始めたもので実質的には古着屋メイン。金貸しというよりユーズドショップだった。
上記部分を脚色するのもわからないでもないが、何もこんな演出をせずとも賢治の人生に深掘りすべき箇所は山ほどある。
特に羅須地人協会の3年間だ。
・6年間勤めた農学校教諭の職を捨て「本物の百姓」になろうとする。しかし、年長の農民達からは金持ちの道楽と見做され野菜をすべて盗まれるなどの嫌がらせも頻繁だった。
・3日間だけ東京へ出向いてチェロの特訓をし、知人楽団員達と羅須地人協会にて演奏会をしようとしたが、上手くいかず中止に。(この時、演奏のお詫びに作って聞かせた童話が「セロ弾きのゴーシュ」の原型)
・徹底した菜食、農民達同様に栄養失調を招くレベルの粗食を貫く。
肺炎が悪化しても「生き物の命を取るくらいなら死んだほうがいい」と言って、卵や牛乳すら拒否した。
羅須地人協会の日々で賢治は「個人の限界を嫌というほど思い知らされ、のちに己を客観的に俯瞰した反省と苦渋をしたためている。
この辺りをもっと丁寧に映像化するだけでも「宮沢賢治の父」をする事がいかに大変な偉業であったか描き出せるはずだ。
それを中途半端なカット程度に挿入しているから羅須地人協会時代のエピソードを知らない鑑賞者から見れば「話の筋脈から考えて不要なシーン」と見做されてしまうだろう。
また、賢治の名誉の為に正しておきたい点もいくつか。
・自費出版本がまったく売れなかったのは「価格」によるところが大きい。
表紙や装丁に非常にこだわった為に、現代に換算すると「春と修羅」は1万円、「注文の多い料理店」は6400円くらいだったのだ。いくら書評が良くとも無名新人作家の詩集や童話集をこの高額で買う物好きはいないだろう。
(注文の多い料理店はタイトルから「経営指南書」だと勘違いされがちだったし)
・学業成績は決して悪くはなく、小学校では全科目甲(オールA)
旧制中学では進学出来ない将来を悲観して成績が落ち込んだが、政次郎のおかげで祖父を説得し進学を許されたあとは実力を発揮。
旧制高校は主席で入学。入学式総代を務め、2年次からは授業料免除の特待生に選ばれている。
・本は売れずとも生前から文壇で評価され、作家の知人も多かった。
死後に多数の遺稿を出版したのは父ではなく草野新平達の尽力によるもの。
以上、ごく簡単に目立った話だけ書いてみたが、これだけでも賢治は非常にこだわりの強い、なかなか大変な人物だとわかるだろう。
勘当同然ならいざ知らず、愛情深く支えたならば「賢治の父」は本当に大変だったと思うし、ドラマティックなエピソードも山ほどあるのだ。
「宮沢賢治」「雨ニモマケズ」という2大ブランドをちらつかせて、なんとなくわかったような気分にさせるのではなく「宮沢賢治」を深掘りして、そこから「父の苦悩と深い愛情」を描きだして欲しかった。
あまりに不完全燃焼だったので、勢いで観る予定のなかった「聖闘士星矢」をハシゴ鑑賞してしまったのは内緒であるw
pipiさん
pipiさんの溢れる程の映画愛と知識には敬服するばかりです (^^)
青年期の宮沢賢治が育った家庭での様子を、魅力的な役者さん達により映像化される … まさに映画ならではの醍醐味ですね ✨
映画館での感動が今また蘇ってきました。
pipiさん
コメントへの返信を頂き有難うございます。
宮沢賢治の家族の姿を通して、生というものの厳しさ、温もりを描いた作品でした。
私にとっては、温かな余韻の残る1本となりました。
今晩は。
度々。
”宮沢賢治の父である必要がない”と言うレビューにはやや違和感を感じます。
(他のレビュァーの方にはこんな失礼なコメントはしません、私はいいんかい!とは言わないで下さい。)
ご存じの通り宮沢賢治が世に認められたのは、彼が没後ですよね。彼が亡きあと、彼の詩や作品を世に認めさせたのは(諸説ありますが)故人の家族であった点に、私は”浪漫”を感じるのです。
故に、”銀河鉄道の夜”を世界に認めさせたのは、賢治の親族であったという点に私は家族の絆を感じたのです。
私は、映画鑑賞の際には”そんなはずはない!”とか余り考えずに観ます。では。
それはそうと、pipiさんの他の映画でのコメントを読ませて頂くと凄く知識・教養をお持ちの方のようですね。書物も沢山読んでおられるようにお見受けします。
私も知識欲は人並み以上にあるつもりですけれども、基本的にミーハーなので映画は自分の感覚や好き嫌いで判断仕勝ちなので、pipiさんの知識・教養に根差したコメントは大変興味深いです。
真っ向から対立する時もあるようですが(『グレイテスト・ショーマン』とか、19世紀のアメリカの実情は理解しているつもりですが、それでも楽しめましたし、現代風にアレンジした意図もわかるつもりです。でもまあ結局“好き”だから弁護してるんでしょうけど)😅
スミマセン。
今後も楽しみに読ませていただきます。
コメントバッグありがとうございます。
エンタメとの線引きが難しいところですし、監督にそれを描き切る力量があるか、という問題もありますけれども、賢治の人物像に迫りつつ、その自分の理解を超える考え方や言動に翻弄されつつ賢治を愛し支えずにいられなかった父親の愛情を描ききれれば良い映画になったと思うのですが~
pipiさん
宮沢賢治作品に触れたり、最近ではNHK「 映像詩 宮沢賢治 銀河への旅 〜 慟哭の愛と祈り 〜 」を拝見したりと、宮沢賢治の生き様を知る機会はあったのですが、父親目線とは言え、家族から見えた宮沢賢治の姿を本作を観る事が出来た事で、より宮沢賢治を知る事が出来たと思っています。
エンドロールで流れた楽曲は、いきなり現実に引き戻されなかなか辛かったですが …。いきものがかりの皆さんは、パワーを頂ける歌も多くとても素敵なんですけどね。
pipiさん、共感有難うございます。私は、鑑賞前は恥ずかしながら宮沢賢治の生涯はうっすらとしか知らなかったのですが、確かもっと日蓮宗にのめり込んでいた筈と思って違和感はありました。まあ宗教が前に出てくると無宗教の観客が引くからというのはわかるのですが、鑑賞後宮沢賢治の生涯を勉強してみると本作がどれだけフィクションだらけかわかりました。
それでも、映画としてよく出来ていればまだよいのですが、「こんなに愛情深い父親がいましたよ」というよくある口当たりの良いホームドラマと代わりなく、違うんじゃない?と感じた次第です。
好評が多い理由としては、戦前の厳格な父親像ではなく、現代の父親に似た子供に甘い父親像が共感を呼んだからでしょうか?