「驚きは余り感じませんでしたが、安心して感動に浸ることができました。」銀河鉄道の父 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
驚きは余り感じませんでしたが、安心して感動に浸ることができました。
門井慶喜の同名の直木賞受賞作を映画化。詩人で童話作家の宮沢賢治(菅田将暉)と父、政次郎(役所広司)の強い絆で結ばれた親子の物語に、心温まることでしょう。
賢治の誕生から37歳の若さで亡くなるまで。短いとはいえ、濃密に生きた時間を、2時間8分の上映時間に収めるのだから、駆け足気味になるのはやむを得ませんが、政次郎の視点という軸があるので、散漫な印象にはなりませんでした。
物語は、賢治が質屋を営む裕福な政次郎の長男として誕生するところから始まります。 賢治が赤痢にかかれば、医者になど任せられないと、政次郎はつきっきりで看病するなど、跡取りとして大事に育てらます。
けれども、家業を「弱い者いじめ」だと断固として拒み、農業や人造宝石に夢中になって、父・政次郎と母・イチ(大空ゆうひ)を振り回すのでした。
家業の質屋を継いでもらいたいはずの政次郎が、賢治の妹、トシ(森七菜)のお世辞にまんまと乗せられ、進学を許してしまうのです。
そんな中、賢治の一番の理解者である妹のトシが、当時は不治の病だった結核に倒れてしまいます。賢治はトシを励ますために、一心不乱に物語を書き続け読み聞かせるのでした。しかし、願いは叶わず、みぞれの降る日にトシは旅立ってしまいます。「トシがいなければ何も書けない」と慟哭する賢治に、「私が宮沢賢治の一番の読者になる!」と、再び筆を執らせたのは政次郎でした。
「物語は自分の子供だ」と打ち明ける賢治に、「それなら、お父さんの孫だ。大好きで当たり前だ」と励ます政次郎。だが、ようやく道を見つけた賢治にトシと同じ運命が降りかかるのでした。
子供の頃に赤痢で入院した賢治を泊まり込んで看病する政次郎に、祖父の喜助(田中泯)はおまえは‟父親すぎる”と言われていました。
本作で一貫するのは、政次郎の親バカぶりです。あの頃の時代の父親像といえば、威厳を崩さず、愛情を隠しながら、我が子の所業を見守ることが当たり前でした。
その点政次郎は、一見頑固オヤジのように見えますが、大人になっても家を出て下宿生活をする賢治に仕送りをしたりと、子どもの現状を常に考えて一番いいことをしてやろうとする、優しいというか子どもに甘い父親だったのです。
けれども賢治は、人造宝石なるものを作って商売をしたい。日蓮宗とともに生きていくのだ!そういうことを突然言い出だして、政次郎を驚かせ、あたふたとさせてしまうのです。
このあたりの描写は、聖人視されがちな賢治とは違う姿が見られ、興味深いところでした。賢治も怒る政次郎を無視してはおらず、父子の二人三脚によって、踏み外しそうになった道が軌道修正されていく様子が伝わってきます。役所と菅田の2人の演技巧者が楽しげに役に没頭。醸し出されるユーモアが心地よかったです。
政次郎は、また賢治の書く童話のファンでした。面と向かっては口に出せない息子への愛を、童話のファンという口実で伝えていたのでしょう。照れ隠しのような笑顔とぶっきらぼうな言葉で。未完で終わる『銀河鉄道の夜』を朗読する姿には、親として賢治にしてやれなかった多くのことを残念に思う気持ちがあふれていました。
役所広司は原作にある‟厳格だが、妙に隙だらけの父親”というような一文から、政次郎という人柄のヒントを得たと言います。
右往左往してきた賢治との親子関係ですが、あの時代には珍しい親子の絆を強く感じました。
トシが亡くなり、賢治が病魔に襲われ、死の影が濃厚に。一般にイメージされるような賢治の姿が描かれ、政次郎が寄り添うようにそばに寄り添います。驚きは余り感じませんでしたが、安心して感動に浸ることができました。
ただ政次郎の目から語られる本作は、宗教家としての賢治が全く語られません。30年前にある著作家の盛岡講演会に参加したあと、同じ参加者からのお誘いで、賢治の生家におもねき、当時存命だった実弟の宮沢清六さんから、詳しく兄賢治の思い出を聞くことができたのです。
そこで出た話は、本作とは全く違う宗教家というか、魂の真実を語り続けた賢治の姿でした。なかでも思い出に残るひと言は、「兄は農業学校の教壇に立つと、いつも人の一生とは、時間を旅する旅人のようなものだ」というたとえ話を生徒たちに話しかけて、輪廻転生を力説していたそうなのです。
政次郎がファンだと公言した賢治の童話がなぜ時空を越えたファンタジックな世界観に包まれているのか、賢治の宗教観を切り離して描いても彼の本質を捉えられないだろうと思います。
今生の死が終わりではなく、来世につながっていくこと。そこに賢治の大きな希望があったのです。
一説によると、賢治は生まれ変わって、現代で青春映画を描く旗手となっているという話があります。「人生は旅人」であるとした賢治の言説から、その可能性もなくはないでしょう。ちょっと不思議な悲恋を描く作品からは、「銀河鉄道の夜」などの過去の作品で描かれた世界観と共通するところはあります。
とにかくひとりの有名作家の父親という視点だけで終わった本作は、成島出監督の人生の本質に対する観点の限界を感じずにいられませんでした。
宗教を扱うのはなかなか難しいですねぇ。
批判的に描けないし、持ち上げてもいけない。
実際親父さんとはかなり激しく衝突し、家出などしていますからね。
妹の発病〜死をきっかけにちょっと宗教観が変わったようです。