「100年前のハリウッド大転換期を3時間で駆け抜ける!」バビロン おじゃるさんの映画レビュー(感想・評価)
100年前のハリウッド大転換期を3時間で駆け抜ける!
大作なのはわかっていましたが、ハリウッドに詳しくないし、予告を観てもそれほどそそられず、スルーしようかと思っていた本作。しかし、公開初日の高評価レビューに誘われて鑑賞してきました。期待以上におもしろくて、睡魔に襲われることもなく、あっという間の3時間でした。
ストーリーは、1920年代、ハリウッドの映画業界のパーティーに潜り込んだ、大スターになることを目ざすネリーと、映画製作に携わることを夢見るマニーが、それぞれ関係者の目に留まり、そのチャンスをものにして着実に成功の階段を上っていくものの、時代はサイレント映画からトーキーへと大きな転換期を迎え、俳優も製作陣もその大きなうねりの中に飲み込まれていくというもの。
まずは序盤、予告で観たエキサイティングでクレイジーなパーティーシーンが描かれます。ネリーとマニーにとっては、目ざすべき場でもあり、挑戦すべき相手でもあり、文字通りここからすべてが始まっていくことになります。しかし、終わってみれば、その刹那的で退廃的な雰囲気は、二人のこの先の運命を暗示するかのようで、本作の象徴とも思えます。
パーティーの翌日、舞台は屋外セットの撮影現場に移りますが、前夜のノリはここでも同じ。いかにもアメリカンな感じの映画撮影は、撮影エリア、スケジュール、真剣と冗談の境界線まで曖昧で、勢いだけで突き進む現場の雰囲気に圧倒されます。そんな100年前のハリウッドの撮影風景はとても興味深かったです。そして、したたかな立ち回りでチャンスをものにして、スターへの階段を駆け上がるネリーの姿が印象的でした。
しかし、時代の流れはトーキーへと移り変わります。ここでも当時の撮影の苦労が偲ばれるシーンが、興味深かったです。素人考えで、サイレントに字幕をつけるよりトーキーの方が楽かと思ったらとんでもないです。当時の機材や技術では、相当な苦労があったのだと勉強になりました。そしてこれが、時の大スター・ジャック・コンラッドやネリーらにとっては、終わりの始まりとなり、徐々に不穏な影が見え隠れします。トーキー撮影の細かい要求に困惑したり、しだいに観客に受け入れられなくなったりと、苛立ちや苦悩の日々が続きます。
栄光と没落、それは役者に限ったことではありません。いみじくも、コンラッドに向けられたエリノアの言葉が、時代も国もジャンルも超えて突き刺さります。時代の流れは、誰のせいでもなく、どうにかできるものでもありません。それを知りつつ、現状からの脱出のため、自らを断ち切る者、別の道を模索する者、最後まで抗う者と、それぞれの方法を試みますが、そこに正解はありません。それでも、その証は残ります。そんな思いを込めてか、ラストで映画を見ながらマニーが流す涙がとても印象深かったです。
キャストは、ネリー役にマーゴット・ロビーで、ハーレイ・クインを彷彿とさせるキュートでクレイジーな感じが魅力的でした。マニー役のディエゴ・カルバは知らない俳優でしたが、映画とネリーにすべてを捧げる青年を好演しています。この二人の憧れとも言える大スター役はブラッド・ピットで、ハリウッドの顔として本作の象徴的存在となっています。
自分のような映画知識が浅薄な人間でもこれだけ楽しめたので、ハリウッドに精通したかたなら鳥肌ものの喜びを感じられるのではないでしょうか。とはいえ、上映時間が3時間というのはやはり長く、必要以上にグロ描写を入れたり、移民や貧困や人種差別的な問題を中途半端に入れたりせず、本筋だけで描ききったほうがシンプルでよかったのではないかとも思います。