ヒトラーのための虐殺会議のレビュー・感想・評価
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ナチスドイツには老人ゲットーがあり大日本帝國にはPLAN75がある
この会議がどの様に踊ったのか?また、それが誠か嘘か?そんな事はどうでも良いと思った。
この演出家の狙いは会議のインターミッションで交わされる普通の書記役の女性とアイヒマンとの会話である。
「最初にこの施設を使っていただき大変に嬉しいです」と言うその女性は アイヒマンに
「楽しい職場です。他の部署より、良く笑います」と笑顔で言葉を向ける。空気が読めない程度で済む状況ではないはずだ。
女性が発する言葉が「楽しい職場です」とあまりにも短絡的、かつ稚拙な言葉である。
「65歳以上の老人は最終処分とはっきり言っている。」そんな話をしているその職場が「楽しい職場」
「北欧のデンマーク、ノルウェー、フィンランドがユダヤ人の恐ろしさを知らない」と発言する箇所があるが、イギリス、フランスをはじめウクライナ、ロシアまで反ユダヤ主義は歴然と存在した。
まぁ、大日本帝國はどうであったのだろう?ナチス・ドイツはワイマール憲法の隙間をヒトラーが掻い潜って無理矢理作った独裁国家と言われている。引き換え、大日本帝國は明治維新から引き続いた富国強兵、殖産興業によるとされている。さて?!
これはナチス・ドイツのナチズムである。ファシズムとは違う。それを理解してから鑑賞すべきである。まぁ、日本は簡単に軍国主義と言う言葉で片付けられるが、日本にはナチズムは存在しなかったのか?「福田村事件」は良い例なのかもしれない。
なお、ラインハルト・ハイドリヒは
(暗殺 チェコスロバキア人に)
アドルフ・アイヒマンは
(モサドにより処刑)と言う運命である。アイヒマンは1960年代まで生きていた。アルゼンチンでモサドで暗殺されている。
この女性がどんな人物か知らないが、充分にナチス・ドイツに加担したと解釈できると思う。
また、ナチス・ドイツは優生保護法をとっており、病んだ者や障害を持った者まで最終処分の対象にしている。コミュニストやスラブ系、ロマ人はもとより。そして、行く末には日本人もその対象になり得たのだ。「マインカンプ」を熟読あれ。
いずれにしても、大日本帝國はこのナチス・ドイツよりも長く対米国戦争をした。と言う事は、それだけで「愚の骨頂」「空気が読めない」と言わざるを得ない。しかも、東京大空襲の作戦立案者に勲章まで授けている。
最後の最後に
アイヒマンに顔色一つ変えずに「議事録です」と渡すその女性の冷静さはホラー映画の如く恐ろしかった。
「75歳になったら死んでもらいます」って考えた人と同じくらい。
ノットエレガント
「関心領域」をみて、アウシュビッツのことなどを調べている中でヴァンゼー会議を知り、この映画をみることにしました。
会議参加者全員がユダヤ人を排除することが自分たちに課せられた使命だと認識している。その共通認識におぞましさを感じましたが、すでにドイツ国内でユダヤ人迫害政策が始まってしばらく経っているのでしょうね。
その上で、対象とするのはドイツ国内だけでなく全ヨーロッパのユダヤ人1100万人であることの確認がされる。いくつかの国にはもう承諾もとっていると。これは初めて知った事柄でした。その当時のドイツに意見できない国の事情もあったでしょうが、宗教対立や経済的な妬みなどに起因するユダヤ嫌悪があちこちに存在していたことも想像されました。
最終解決のための具体的な方法を説明されるシーンで、どなたかがエレガントと口にするシーンがあります。ユダヤ人の遺体をユダヤ人に運ばせることに対するコメントです。こらをエレガントと言ってしまえる精神が恐ろしい。精神的苦痛というキーワードも、ドイツ人にむけてのものであって、ユダヤ人に向けたものは全くないんですよね。労働させるなら住居と食糧が必要というセリフはあっても、あくまで捕虜に対する扱いのような口ぶりで、人道的な観点からではない。そう決まっているから、と言わんばかり。
会議そのものは冷静に進行していき、自分が職場で遭遇するぐだぐだ会議と比べて羨ましいくらいスマートな進行なのに、内容の恐ろしさといったら。でもきっと彼らもそれが正しいと思い込んでいて、誇りすら抱いている。
誰もがその中心人物ではなくても、その一端を担うことになる可能性はある。
自分はどうしていくのか、考えさせられる。
どちらが人間か?
ヒトラーのための虐殺会議
戦争中とは思えない静かな中での会議
会議が議事によって進行される様が描かれる。
主宰するのは、軍人、親衛隊大将、ヒトラーの一の子分だろうか?
多分、ヒトラーが1つ問題提起したら、応えるべく10も20も考えさらにはヒトラーさえ考えつかない残酷すぎる事も提案していたのではないか。
出席者は、軍人や政府の役人。
役人達は、パリッとしたスーツを着こなしている。
議題は、1,100万人いるユダヤ人の最終処分について
ユダヤ人と言われると出席者達は、
口々にユダヤ人の悪口を言う。
奴隷とも言い、動物以下の表現の発言もあり、
総じて有害だと決めつけ言い切る。
個人的な恨みがあるならまだしもそんな様子は無さそうなのに。
ポーランドのゲットーを管轄する軍人が、ユダヤ人に手を焼いていると発言すると、そこを最優先すると言う、何を優先するのか。
話の全貌がわからない中、
それぞれ自分のテリトリーが侵されないか、
自身の名誉やプライドが損なわれないか、
を第一に考え、不安部分があれば、尋ねていた。
ドイツが勝っているからと全ヨーロッパからユダヤ人抹消計画を考え、他の国々のユダヤ人も同じようにすることを各国に打診した経緯も話していた。
処分の方法については
現行の銃殺刑だと、
戦時中であるから銃弾を減らしたくない、
撃ち殺すのに膨大な時間がかかる、
辺りが血みどろになり、
撃つドイツ人兵士に精神的な苦痛が生じ心配と。
これらの理由から、
銃弾を減らすことなく、血を見ることなく、
多人数を短時間で処分できる
そんな方法とは?
方法の具体化の為に
候補地が挙がっていた。
アウシュビッツ❗️
と聞いただけで、現代に生きる世界の人々は、
そこで何が行われたか、どんな恐ろしい事がなされたか、大体わかる、その施設があった地。
やはり、色々な要素を考えた上での計画のもとに、場所を決め、
広大な敷地にガス室焼却炉含めた
施設建物、引き込み線をその為だけの目的で
建設したのだ。
この会議で処分方法を認めさせ自動的にこの地と決定されたのである。
ユダヤ人と言ってもどのように分別したか、
ドイツ国内のユダヤ人と、
軍需工場で働く熟練工のユダヤ人、
ドイツの為になるユダヤ人は、優遇し
アウシュビッツでのガス室からの遺体の取り出しと焼却はユダヤ人にさせ、(ドイツ人に精神的にな苦痛を与えない為に)
その先は他のユダヤ人と同じく処分、
1/2ユダヤ人は=1/2ドイツ人であるのに、
ユダヤ人と見なし、処分。
1/4ユダヤ人は、ドイツ人。
他、兄弟、縁戚で色々複雑な事例が出た時に、
処分でなく “断種“ という提案があった。
主宰者は、それを提案した人を個別に呼び説得?で、処分に納得させた。
自身が納得するまで討論するかと思ったが、
最終的には、折れて同意する。
自身のプライドが守れ今後の事を考えてだろう。
終始、彼らはドイツ人やドイツ兵だけの精神的な心配はするが、
ユダヤ人に対しては、財産没収し、
アウシュビッツに連れて行く貨物車の
運賃?までユダヤ人に払わせる、とも話し合っていた。
あの会議に出席した人の
役職名と名前が覚えきれなかった。
アップの度にでも表示されたらわかりやすかったのに。
その後が知りたい。
議事録の映像化
“史上最低”の映画。それは、特定の人種を計画的に排除することだけではなく、映像の魅せ方にも共通している。
非常に難しい表現ではあるが、内容自体は大変勉強になるほど面白い。決して議事録の内容に賛同しているわけではなく、「バンゼー会議」自体、話し合いの構図自体に面白みを感じている。
しかしながら、想像以上にワンシチュエーションで、音楽や目立った展開なく物語が進行していく。一度だけ、作中で部屋を変えて会議する場面があるが、話し合いの構図は変化していない。
そのため、本作はタイトルの通り、「議事録の映像化」に尽きる。
人道的最善とは
第二次世界大戦で広島と長崎に原子爆弾が投下される迄、ロシアによるウクライナ軍事侵攻…一旦始めてしまうと、最早誰もそれを止める事は出来ない。その現実を見せつけられる。
ヴァンゼー湖畔に在る豪華な邸宅で、会議は粛々と進められ、そして終わった。
-ヴァンゼー会議
映画館での鑑賞
平和か?
議題は害虫駆除についてだっけ、と思ってしまうほどに淡々と事務的に会議が進む。
円滑に会議ができるようしっかり根回ししていたり細かく要件を詰めたりしていたりするところは(内容に目を瞑れば)良くも悪くも真面目な仕事人たちなんだなという印象。
クリツィンガー氏がユダヤ人の処置方法について残酷過ぎないかと懸念を示し、珍しく人道的な人もいたものだと思ったが、あくまでユダヤ人を大量に手にかけることによって精神的負荷を受けるドイツ人への心配に過ぎなかったあたりでがっくりと気が滅入ってしまった。
挙げ句の果てに「蒸発すれば(ドイツ人が手を下さなくて済むから)いいのにね」などと言い出す始末だ。
本当は少しくらいユダヤ人に対しての人道的配慮もあったのではという期待を抱いてしまったが、やはり現代日本人の感覚では理解が難しい。
しかしいつの時代も人間の根本的な性質は変わらないもので、日本においても移民問題が深刻になってヘイトが溜まったりすれば似たような状況になりかねないということは重々念頭に置いておかなければならない。
SNS等で差別的なコメントを見かける頻度も決して少なくはないことから、全くの杞憂ではないだろう。
休憩中に「奥さん元気?」「おめでただってね、おめでとう」「今度遊びにおいでよ」と牧歌的な雑談をしているあたり彼らが我々にとってもある程度共感可能な、平時においては良き隣人、家庭においては良き夫で良き父だったのであろうことが窺え、非常に薄ら寒い気持ちになった。
しかし「平和だな」はないだろう、ホントに。
エンドロール含め音楽が一切無いのは正解。
事実は変えられないとわかっていても。
なんとか結果が変わって欲しいと思いながら観てしまった。
「皆殺しなんて無理無理無理。」っていう意見もあったんだなと思いつつ、しかし、無理の理由が「労働者がいなくなる」だの、「弾丸がもったいない」だの、見事に倫理的観点がないのが怖すぎる。
今まで観てきたナチス映画を脳内で繋ぎ合わせてみるもやはり混乱。「ナチス第3の男」がハイドリヒなんだよね。「ハイドリヒを撃て」っていうのもあったよな。などなどもう一回過去作も改めて見返したくなりました。
戦争の恐ろしさ
ユダヤ人はこの世から消し去らなければならないということを大前提に、総務省やら総督府やら東部担当官やらよく区別ができない様々な立場の高官が、文書でのやり取りでなく美しいバンセー湖畔の建物に一堂に介して話し合おうという会議の一部始終。
1942年の段階ではドイツはまだ優勢だったのか嘘か、フランスの一部より西南と北欧を除いてほぼ全てがドイツの手中にあり、ドイツ国内のみならず全ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させる使命を感じている。ただこの時点で彼らのような高官が「ここにはこんなに食べ物があるんだな」と言うくらいだから、庶民は間違いなく貧していただろう。
意見の中には「先の戦争ではドイツ軍として戦ったユダヤ人もいる」などユダヤ人を十把一絡げにしたくないというものもあるが、65才以上や功労者は別の収容所を用意するという結論で良いことになってしまう。
ラストにユダヤ人虐殺の手段の話になり、1人ずつ銃殺では非効率過ぎて不可能という議論になる。そこでガス殺が出てくるのだが、国民性が日本人に似ていると言われるドイツ人が、アウシュヴィッツ強制収容所などの凶行に至った理由が少し分かった。
ドイツ人がズラリと並ぶとワールドカップのドイツ選手と被る。戦争とは友愛や倫理とは切り離されるものなので、生まれた時代が違えば、彼らだって、もちろん私達だって…。
会議の行い方の見本のような映画。 ただ一つの強烈な違和感を除いて。
第二次世界大戦時にナチスドイツが行ったユダヤ人大量虐殺(以下:ホロコースト)を扱った作品は数多く存在する。しかし、ホロコーストを“スムーズに履行するための会議”は今まで聞いたことがなかった。本作はその会議「ヴァンセー会議」の内容を、残された議事録を基に描いているという。ちなみに、
会議に要した時間は90分という。
なんやと?90分で決めたやと?ホロコーストをスムーズに完遂するために政府高官および各省庁の重役、計15名で会議を開き、1,100万ともいわれるユダヤ人の運命を一刻に満たない時間で決したのか。衝撃である。いったいどんな雰囲気で会議が進んだのか?それを観るために劇場へ脚を運んだ。
映画開始冒頭から会議が始まるのかと思うてたが、そうではない。席の割り振りから始まり、参加者の簡単な説明があり、そして議長:ハインリヒが政策の味方に対し最終確認をする。具体的な数字を出しているとこをみると用意周到さが窺える。90分で決めたとはいえ、入念な準備を行って万全を期して会議を開いたのだろう。また会議始まって冒頭から「ヒムラー(=ヒトラーの側近)よりユダヤ人問題の最終的解決をすみやかに実行すること」というお達しを皆に伝えることで会議の目的を明確にしたことも、皆の意識を一つに向ける効果がありそう。かくして、会議はユダヤ人の数と、それに伴う移送問題と収容所問題に分けられた。
しかし意見は存在する。収容所を持つ管轄の負担はどうか?移送にかかる鉄道の輸送力は?欧州全体に散らばるユダヤ人を集める方法は?これらに関しては議長のハインリヒが書記のアイヒマンらと予め策を講じていたのだろう、軽快に計画を説明していく。これに関しては誰もが納得した。すると今度は役所の人間:シュトゥッカートが意見する。混血の方はどうする?1/2は条件付きでドイツ人として認める。1/4ならドイツ人だ。法律も示している。それをいまさらユダヤ人とするのか?他のドイツ人が混乱し、場合によっては家族を失うドイツ人が出ることに懸念を示す。他方、第一次世界大戦を経験したクリツィンガーは言う。計画的にユダヤ人を“処理”するのは若いドイツ兵だ。それも欧州全体に及ぶと処理の期間は長くなる。成熟していない若者が長期間処理を続けるにあたり精神的な障害を追わないか心配だ、と。ここはハインリヒも用意していた策が通じなかったか、上手く丸め込めなかった。そこで彼は、シュトゥッカートに対しては1対1の話し合いと言う手を使い、相手に配慮しつつ腹の内を吐き出しながら説得した。相手はなんとか納得した。クリツィンガーには、処理はユダヤ人が行い、ドイツ人は精神的に参らないように配慮する案を出した。クリツィンガーは納得する。「これなら人道的です」と。こうして会議は終結する。
ここまで観て、私は会議や議論に関しては素人ではあるも、だからこそ「会議はこうやって進めていくんだな」と思った。味方の確保と根回し、事前の入念な下調べ、具体的な数字把握、周りが納得できるような案の準備。周りに対する配慮。会議の目的の明確化。意見があったときの冷静な対処。議論がかみ合わない相手には1対1であっても懐に飛び込む勇気と決断力。だからこそスピードある意思統一ができるのか。なんか会議の見本を見ているような、ビジネスにも活用できそうなイメージである。こんなコメントを書く自分は途中まで思考が麻痺していたんでしょう。しかし、映画の後半の中頃あたりから、ふと強烈な違和感に気づきます。
だれも“ユダヤ人を根絶やしにする”ことに異論を唱える人はいない。
一瞬ユダヤ人のことを考えて、さすがにまずいのではと思われる節を持つ人がいる。さすがに人道的に・・・かと思いきやよくよく聞けばそれをする“ドイツ人の肉体的・経済的・精神的負担”を危惧する内容なんです。夥しい数のユダヤ人が死ぬことに誰一人罪悪感を持っていない。ここにいる皆の共通認識は、ユダヤ人=害虫、である思想だと感じてしまう。つまり本作で描かれているのは、如何に効率よく、負担が少なく、ユダヤ人を処理するか・・・。
民族を滅ぼす計画を、害虫を駆除するビジネスのように語っていること。
この映画はそこに焦点を当てている。映画を観てて途中麻痺してしまっていたが、これが実際の歴史であったことと思うと静かな恐ろしさを感じます。戦争とゆがんだ認知(=差別)がもたらした結果がホロコーストを加速させた。関係者は対岸の火事を見ているかのように。
そしてふと気づく。現代でも起きている戦争・人種差別・迫害のなかでこうした会議が起きているのではと。ゆがんだ認知を持つ者たちだけの会議が行われていないかと。この映画は、そうした人にならないように、そうした人(政治家)を生み出さないようにと訴えているように思う。過去にそれを起こしてしまったドイツだからこそ描けた作品なんでしょう。今起きていることを過去から学ぶかのような、なにかには気づいてくれと言っているような映画でした。
恐ろしい。
ユダヤ人が戦争を望んでいる
この人種の除外(だったかな?)に異議はない
射殺するドイツ兵が心配
まずはうちのユダヤ人から処理を
など、え?論点そこなん?と目を見張るワードがてんこ盛り。や、わかってたけども…。
この議題に、各人が自分の仕事を全うしようと、各々の立場で反対意見を言ったり、意見が通らなくても言うべき主張ができたと満足したり、もっとコネを求めてゴマすったり。来年度の予算執行のーとか、コロナ対策としてーみたいな、議題を扱ってるかのような態度。たぶん実際そうやったんやろうな、このように振る舞えることが、人間の醜さなんやろうな…と思いました。
映画ハンナアーレントでの小物感溢れるアイヒマンと、
この映画での有能なアイヒマンの落差に、視野を限定して生きる“凡庸な”人の恐ろしさが、より自分に刺さります。
「凡庸な悪」をきっちりと映像化
ハンナ・アーレントが本作にもキーマンとして登場したアイヒマンを表した言葉「凡庸な悪」。
それが単に彼だけではなく、ナチスにおける重要事項の決定会議の参加者に蔓延していたことをしっかりと映像化した作品。
やや退屈なシーンもあるにはある。ただし、議事録を元に作った、という言葉を信頼すれば、600万人というユダヤ人を死に至らしめた決定が、このような空虚な会議によって決まったことにただただ戦慄する。
今だから向き合うべきこと
ヴァンゼー会議
1942年1月20日
ナチス政権下のドイツ
ヴァン湖(Wannsee)のほとりの
別荘に集まった内外政の主要閣僚
によるほんの90分の間に行われた
「ユダヤ人虐殺計画」のための会議
ヒトラーが演説で国民に宣言した
「ユダヤ人問題の最終的解決」を
徹底化するためもので
その冷酷さから「金髪の野獣」
と呼ばれた親衛隊大将
ラインハルト・ハイドリヒが
権限の掌握と各所へ徹底するために
部下のハインリヒ・ミュラー
アドルフ・アイヒマンらと
行ったのである
映画は本当に
会議「だけ」でBGMすらなく
淡々と行われてそして結論して
淡々と終わっていく異色のもので
あまりの映画としての味気なさが
逆に異常さをいやがおうに
演出していると感じたのが
印象的である
そもそも
ヒトラーは神聖ローマ帝国「ヲタク」
であり世界都市ゲルマニア構想
なんてのもユダヤ人排斥なんてのも
そうした思想から来るもの
「ムチャぶり」なのである
というのも
ナチス政権下のユダヤ人政策は
財産没収やゲットーへの疎開等は
行われていたものの
第二次世界大戦下であり
軍需工場の稼働や物資輸送などの
合間で行うには余りに負担が多く
「後回し」になっていた
図式的にはゲットーにあぶれる
ユダヤ人の「処理」を推し進める
親衛隊側が内務省・総督府の面々を
説得するような図式となる
その会議参加した内政側の
内務省次官シュトゥッカート
4カ年計画省次官ノイマン
(ナチスは4カ年計画の国家再生計画を
国民に約束していた)らは
「減少した雇用はどうするのか」
「優秀なユダヤ人も輸送するのか」
「ドイツ人との夫婦子供はどうするのか」
「軍事物資の輸送の合間にどうやるのか」
「第一次世界大戦で共に戦ったユダヤ人は」
など様々な問題をハイドリヒにぶつけます
内務省の法解釈を越えたものだからです
内務省の人々は「最終的解決」が
意味するものを虐殺だと薄々わかっています
だから国民感情も考慮するし
ヒトラーの言うことがハッキリ
矛盾していることも突きます
占領下のユダヤ人の総数は1100万人
にもなり銃で昼夜休みなく
射殺していくと480日かかる
とまで言って批判します
この映画を観ているとあまりに
ユダヤ人のに対する人権意識が無いので
だんだん言ってることがマシだとか
相対的に考えてしまいがちですが
皆おかしなことを言っています
最初から1/4の血統のユダヤ人とか
考えずにただ断種すればよいか
とんでもない事言ってます
そしてハイドリヒは各意見を聞いた上で
アウシュビッツでガスでやります
作業もユダヤ人にやらせてそいつらも
後でガスでやるのでドイツ人の心は
痛みません
なんて言ったらなんと内務省の人も
そんなんで納得してしまうのです
結局自身の立場からお役所的な
感覚でしか考えていないところも
おおいに絶望的に感じるシーンでした
○○はヒトラーだとか言い張るの
界隈は大好きだけど世界共通の悪人
とかってレッテル貼りが大好きですが
どうしてそうなってしまったかを
歴史から辿ることが現代人の責任です
それが本当に
戦争や人種差別や虐殺を本当に
人類がやらないようにするためのね
目下中国によるウイグル人へのもの
ロシアとウクライナ
世界は変われるか?
変われないのか?
あたかも鳥インフルエンザに感染した鶏の処分方法を決めるように…
鳥インフルが発見された鶏舎内部を一網打尽に効率よく処分するにはどうすればよいかについて討論しているような内容だった。数か月前に見たロズニツァ監督の「バビヤール」についても言及されていた。銃殺にするとあまりに時間がかかりドイツ人の精神も崩壊するし、銃弾も勿体ないとか、混血についても、8分の1はどうする、4分の1はどうするとか、人道的配慮という範囲にユダヤ人は含まれないとか。
もし大日本帝国が早めにこの民族浄化について気づいていたら、果たして日独伊三国同盟はなかったんじゃないかと思う。確か東條内閣のときに、東條首相に「あんな民族差別するような国の言うこと聞く必要ありますか!」とかみついた閣僚(将校?)がいたような。
有名な史実が並ぶ
The Conference
ホロコーストの方向付けを最終決定した主要幹部らの会議。気の利いた仕事で評価されてきた軍人。自省庁、各地方の立場からの駆け引きも、前提が違うとこうも歪んでしまう。映画としてのキーマンの2人が後半に違う表情を見せる。音楽で脚色されない、館の外の哀愁とは違う静寂が意図を持つ。
企業の退屈な会議と思わせて内容は物騒すぎた
大企業を思わせる雰囲気を限りなく思わせていて
内容は人をどう簡単に始末するか?が繰り広げられる
コストパフォーマンスを思う発言
総統はワンマン社長だな・・・と凍った表情で観ていた
エンタメ!等はなく淡々と内容が進んでいくが
一度観てほしいと思う
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