ヒトラーのための虐殺会議のレビュー・感想・評価
全95件中、81~95件目を表示
淡々と、ドイツ人的(偏見)に
ハイドリヒとアイヒマン中心に、ヴァンゼー会議を淡々と中継するような作品だった。
ユダヤ人は害悪であると思い込む大前提は、ある意味当然まったく否定されず、法的に正しいのか、自分の職務的にどうか、という論点で進むのが、とても偏見だけどドイツ人っぽく感じた。まあ日本人も同じか。
ヒトラーのためのと言いつつチョビ髭も出てこないが関心を集めるための邦題かな。どちらかというとゲーリング元帥のためのだった。
いゃー。凄い内容の会議だった。
かねてより、ドイツのユダヤ人虐殺に関し、製作される映画は殺される立場のユダヤ人から描かれてばかりであった。正直なところ、私は飽きていた。
加害者であるドイツ人の立場からの映画が製作されるのを待っていたら、この映画が公開された。
ユダヤ人虐殺処理が、理路整然と議論されていく。会議参加者にとって、ユダヤ人虐殺を反対するものはなく、いかに効率的に、いかにドイツ人の精神的負担が掛からないよう討論する。そら恐ろしくなる映画だ。
現在、ロシアがウクライナ侵攻した際、ウクライナ人のロシア移送もこんなような議論をして、実行にしたに違いない。
予備知識もなくいきなりこの映画をみても、会話の裏に何が隠されているのか、正直わかりません。鑑賞後、パンフレットを購入しました。出演者は50代から60代の年齢の人達が演じていますが、史実は40歳前後の壮年期の年代で、演じた方より10歳は若い。
秘書を除いて、この会議の参加者は全員戦争犯罪者ではないかと思いましたが、実際は処刑された人は3人でした。自殺が2人。暗殺された人が1人。失踪者が1人。刑に服した人が1人。失踪者を含め8名が生き延びたことになる。
静かであり、強烈な会議
議論はあれど、実行方法の反対意見はあれど、結論はユダヤ人根絶。
強硬派も穏健派もいれど、共通認識はユダヤ人根絶。
まるで、日頃経験している会社などでの会議のように、淡々と進んでいく。
観ているうちに、会議に引き込まれて自分ならどのようにすべきかと考えている事に愕然とした。
音楽が一切無いのが、自然的に会議に立ち会っているような雰囲気を醸し出す。
「忠実で優秀」な部下
第二次世界大戦中の1942年1月20日、ベルリンの高級住宅地、ヴァン湖(ヴァンゼー)畔にある親衛隊の所有する邸宅で開催されたこの会議、議長であり進行も務めるのは国家保安本部長官ハイドリヒ。会議で決議されることはその後の歴史が語る通りなのですが、これだけのことが僅か90分ほどで「全会一致」で決められたことに改めて驚かされます。
勿論、出席者はそれぞれ自らの領域における責任者、代表者であり、譲れない部分を持ち合わせての参加なのですが、ハイドリヒが次々と懐柔していきます。そして、そのハイドリヒの助けとなるのが上司に対して「忠実で優秀」な部下、アイヒマンの存在です。アイヒマンは事務方として、この会議の準備だけでなく、会議中において「作戦についての計画とエビデンス」を淡々と説明しつつ、また、関係各所を納得させる落としどころまで押さえた「目配せ」を忘れません。
それにしても、書記を務める秘書の女性を含めた出席者16名の様子はとても「1,100万人の命を奪う計画」を決める会議とは思えないほど、皆「平然」としています。異を唱えることも結局はナチスの利益と自らの保身。これぞ、まさにハンナ・アーレントの評した「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」だと認識しました。
ただ、正直引っ掛かることもあり帰りにしみじみ考えたのが、自分も仕事で難しい立ち位置であるる状況にいるとき、「スタンスの取り方」や「アウトプットの仕方」などで目を瞑ったり、誤魔化したりしてないかなということ。私もハンナ言うところの「凡庸な人間」であり、たまにはこういう映画を観て、我が身を振り返ることの必要性を感じました。
何故なのかは、民主主義だからです。
遠い昔、遥か彼方のヨーロッパの出来事なので、日本人には理解するのは難しいでしょう。
原題は「Die Wannseekonferenz(ヴァンゼー会議)」です。
邦題は「ヒトラーのための虐殺会議」です。
映画の中で、総統という言葉は出てきます。
ヒトラーは、この会議に出席していません。
邦題は、観客動員数を増やすために、意図的に付けられているようで、相応しくありません。
原題は、この映画で描かれている「Die Wannseekonferenz(ヴァンゼー会議)」を示しています。
原題の方が、良くこの映画を表しています。
映倫区分は、「G」なので、誰でも鑑賞することはできます。
第一次世界大戦、第二次世界大戦、ユダヤ人に関して、知りたいと思う人に、お勧めできる映画です。
実話をストレートに描いているので、感動的なストーリーというより、ドキュメンタリー性が強く、
感情移入はできず、会話が多く、字幕を読むのも大変で、理解するのは困難です。
登場人物は、16人に限られるので、事前にパンフレットで確認しておけば、理解できます。
ヴァンゼー会議は90分で、映画の上映時間は112分なので、再現映画という感じです。
第一次世界大戦、第二次世界大戦、ユダヤ人に関しての知識に不安がある人は、事前にパンフレットを購入し、読んで、分からないところは、調べないと、この映画を理解することはできません。
パンフレットには、ヴァンゼー会議に出席した人の写真、名前と経歴、詳細な年表が掲載されています。
地図と地名についての説明はないのが残念です。
映画の中で、地図についての説明はあります。
地名についての説明はないので、パンフレットの年表に掲載されている地名を確認しておくと、
この映画を理解しやすいです。
この映画を理解したいのなら、ユダヤ人に関する映画「ヒトラーに屈しなかった国王」、映画「シンドラーのリスト」、映画「アウシュヴィッツ・レポート」、映画「ヒトラーと戦った22日間」、映画「ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」、映画「ホロコーストの罪人」、映画「ゲッベルスと私」、映画「サウルの息子」、映画「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦」、映画「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」、映画「ハンナ・アーレント」、映画「否定と肯定」を鑑賞し、理解する必要があります。
ヴァンゼー会議を理解していない人が、この映画を見ても、理解することはできません。
ヴァンゼー会議は、1,100万人のユダヤ人を虐殺することを決めた会議ではありません。
ヴァンゼー会議は、1,100万人のユダヤ人問題を最終的にどのように解決するかについて決めた会議です。
解決策が、ガス室を使用して、ユダヤ人を虐殺することになったということです。
日本では、当然のように、議事録を破棄し、改ざんしているから、議事録という証拠を残したことに違和感を感じる人がいるかもしれません。
ヴァンゼー会議に出席した人は、1,100万人のユダヤ人を虐殺することを決めたのではないという証拠として、議事録を残し、責任を逃れようとしたという感じです。
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が、ドイツ民族共同体からユダヤ人排除を掲げました。
ナチ党は、ドイツ民族共同体からユダヤ人排除を掲げて、総選挙で、第一党になり、ヒトラー首相が就任しました。
ドイツ人がユダヤ人を排除することを民主的に決めたということです。
ユダヤ人を排除することは決定事項で、誰も反対するようなことではなく、どのようにユダヤ人を排除するかが問題だったということです。
冒頭に出てくる演説は、何の演説なのかは分かりません。
YouTubeで公開されている「【日本語字幕】ヒトラー首相就任演説」を見ると、当時のドイツの様子が理解できます。
ヨーゼフ・ゲッベルスはユダヤ人を非難し、ドイツ人は大喝采をしています。
ヒトラー首相は、ユダヤ人については言及せず、言っていることは、日本の将来の首相が言ったとしてもおかしくない内容です。
ドイツ人がユダヤ人を排除することを支持していることが良くわかる映像です。
民主的に決めたことに関する映画なので、民主主義国家では、起こりえることなのです。
2012年12月16日、衆議院選挙が行われ、第一党になったのは、自由民主党です。
2013年 7月21日、参議院選挙が行われ、第一党になったのは、自由民主党です。
2014年12月14日、衆議院選挙が行われ、第一党になったのは、自由民主党です。
2016年 7月10日、参議院選挙が行われ、第一党になったのは、自由民主党です。
2017年10月22日、衆議院選挙が行われ、第一党になったのは、自由民主党です。
2019年 7月21日、参議院選挙が行われ、第一党になったのは、自由民主党です。
2021年10月31日、衆議院選挙が行われ、第一党になったのは、自由民主党です。
2022年 7月10日、参議院選挙が行われ、第一党になったのは、自由民主党です。
この選挙の結果、国会は軽視され、閣議決定で物事が決められ、日本人は従うしかないという日本の現状に似ています。
2020年9月13日、菅義偉官房長官は、自民党総裁選に立候補し、フジテレビの番組で、
「私どもは選挙で選ばれているから、何をやるという方向を決定したのに、反対するのであれば、異動してもらう」と語り、自民党総裁になり、日本の首相になりました。
日本人は、日本の首相が決めたことには反対できないということです。
1995年4月9日、青島幸男さんは世界都市博覧会の中止を公約に掲げ、東京都知事選挙に無所属で出馬し、当選しました。
青島幸男都知事は、世界都市博覧会を中止しました。
昔の東京には、このようなこともあったことを思い出しました。
議論において大切なこと
終始、胸糞悪い気分で話が進みます。
ほんとうに、苦しくなるので要注意。
でも、本作を見終えて、
まず思ったのが、
似たような階級、人種、性別、が集まって
会議なんてしてちゃいけないよなってこと。
そんな偏った会議、恐ろしい結末しか生まないよ。
あの会議を止める人が一人もいない異常性。
みんな加害者側だからでしょ。
被害者じゃないからでしょ。思い巡らせられない。
それよりも保身を考えてる。
あと、会議中に当然だけども“ユダヤ人”という言葉が
頻繁に使われるのだけど、
会議の最後の方なんてもう頭の中でユダヤ人を
描いて話しているというよりは、
なにかもっと抽象的な何かを指しているように聞こえた。
それによって、今回の効率化みたいな話になっていったような気がする。
だから、もっと具体的な一人一人の人間を
想定するのを忘れちゃいけないんだよな、と思った。
今作はずっと会議室で、ナチス側しか出てこないけれど
頭に浮かぶのは、これまで見てきた惨劇の数々でしたよ
本当に苛々しながら観ていたのだけど、
最後にはもうどうにもならない歴史になってしまったのだと気づいて、酷い無力感と悲しみに襲われました。
もうこんな歴史を繰り返しちゃいけない、と思うのと、
今だって、様々な人種や性別やセクシャリティを対象にして、似たような人たちが集まって、似たような会議が行われているのかもしれない、と思うと、本当にグロテスクな気持ちになりましたよ、今作だって、たった一つの会議から、600万人の人生が左右されてるんだから。
小さな一つ一つを大事にしなきゃいけないよ、
具体的な人間一人一人を想像しないといけないよ。
ずっと会議してるだけの映画 そう言う意味では新鮮だった それにして...
ずっと会議してるだけの映画
そう言う意味では新鮮だった
それにしても、
第二次世界大戦中のドイツでは
こう言うシーンが普通の日常の一コマだったんだろうなと思うと
なんとも言えない
あと、軍人がたくさん出てくるフランス映画の感想でも書いたけど、
登場人物の役職と立場と顔と名前が、
覚えられないまま映画が終わってしまった
やや特殊な映画だけど、それでも見てほしいなと思う一本。
今年25本目(合計678本目/今月(2023年1月度)25本目)。
※ 時間合わせのために「蒼穹のファフナー」をみたあと向かいましたが、こちらのアニメ作品(52分)にレビュー需要はないと思うので飛ばします。
ここの特集や予告編、公式ホームページ等からわかる通りがすべて、といったタイプです。
また、私は少しお手洗いにいっていて3分ほど抜けていますが、基本的に「会議室」以外のシーンが存在しない(導入とエンディング除く)という特異な映画です(「映画」というかは怪しいけど、そこは度外視)。
扱う内容がやや特殊ですが、高校世界史程度の知識があればついていけるように字幕も丁寧です。
一方で、最初に「内容の趣旨的に、現在からみて不穏当な表現・字幕が含まれるが、当時の時代背景を考慮してそのままにしてある」と出ます。したがって、一般指定(この映画はPG12以上ではありません)ということを考慮すると、やや「表現自体も緩和されている」ため、何を言いたいかややわかりにくいところもあります(いわゆる「ぼかし」字幕)。一方で、明確に不穏当だなと思える字幕も確かに出ます。ただそれは当時のナチスドイツの当該会議の残っていた資料等をかき集めて映画化するにあたって、「できるだけ当時の歴史のまま」作成し放映するという方針であったことは容易に推知できるため、その点の減点もしにくいです。
総じて「知的な大人向け」という枠になります。正直、上記に書いたように「会議室の中で10人ほどが延々とユダヤ人問題を話し合うだけ」というのに尽きるので、アクションシーンもなければ何もなかったりします。その意味で、映画館でやっていれば映画ですが、「どちらかというと」、市立図書館とか、そういう公的な場で流されるのが想定されているのかな…という気はします。
採点にあたっては減点要素がないのでフルスコアにしています。
----------------------------------------
(参考/減点なし/ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害)
・ 実際に醜悪であり多くの犠牲者を生んだのが、この映画でも描かれるナチスドイツであることは言うまでもありませんが、中世ヨーロッパごろから程度の差はあれ、国によってユダヤ人差別はありました。
近代になると、フランス(「オフィサー・アンド・スパイ」/ドレフュス事件)ももとはこれですし、多くのイギリス映画で扱われる「サイクス・ピコ協定」等は、「現在のイスラエルの国境自体が確定しない」という無茶苦茶ぶりなことを(各国とも、程度の差はあっても)やっているのが実情です。確かに収容所を作ったり何だのというのは、ナチスドイツとその同盟国など数か国に限られますが、有形無形(特に無形)の形で各国ともユダヤ人問題については驚くほど「人権意識」が当時なく(今でも何らかの意味で差別の残る国は多いです)、この映画はドイツを描いたものですが、反対解釈して「ドイツ以外の国はまともだったのか」というと、決してそんなことはない(わかりやすいのが、去年2022年の「オフィサー・アンド・スパイ」)ということは留意する必要があります。
----------------------------------------
81年前の今日、ベルリン郊外の美しい別荘でおこなわれた90分間の会議
音楽が一切ない映画だった。自分の手を汚さず人間を大量殺害する計画が議題の会議。ユダヤ人殺害はもう始まっていたがドイツ以外の国も処分はドイツにお任せ、それを受けて(真面目な)ドイツは、効率性を最重要視した方法に既に着手していた。それにお墨付きを与えるのが目的の会議。準備万端で正確に報告するアイヒマンは決して凡庸ではなく有能な35才。さらに切れ者で優秀な議長のハイドリヒは37才。この2名を入れて制服組は6名、重要ポジションの官僚9名で計15名、議事録記録は若い女性秘書1名。
「私は牧師の息子であり、皆さんより年上だからか倫理的に考える。先の大戦も経験している。若いドイツ兵がどれだけ精神的ダメージを受けアルコール中毒などに苦しめられるか」と述べたクリツィンガーは51才、会議参加者の中で最年長者。
ハイドリヒの議長ぶりは見事だ。会議は90分、と開始前にハイドリヒは述べる。休憩を数回入れ、議論が多少紛糾するとすぐさま少数で、あるいは1名を呼んで個別に話す。自分が話しているときに口を挟まれたら丁寧に黙らせる。一方でこの計画や議題の進め方に納得が行かないメンバーには十分に意見を言わせ耳を傾ける。自身は無言と饒舌を上手く使いこなす。
議題、80年前の世界情勢、参加者が着用している軍服とバッジを除いたら、なんてすばらしい会議なんだろうと私は思ってしまった。沈黙もダラダラもない、怒鳴らない、気まずくとも自分の意見を言うことができる、野次なし。もちろん参加者間での嫌みやマウントはある。
印象的な言葉は例えば「考えずに行動すると失敗します」。「法律は基盤であって議題にはなり得ません」(ユダヤ人とは誰を指すのか?を定義した法律が既にあるのに、親や祖父母や曾祖父母の誰かがドイツ人であってもユダヤ人だろうと、「ユダヤ人」の範囲をどんどん広げる意見が出てきたことに対する法律家シュトゥッカートによる反論)。ハイドリヒは二人だけの場でシュトゥッカートの論旨の優秀さに触れシュトゥッカートの自尊心をくすぐる。自分が関わった法律はいじられたくなかっただけだろう。
そしてこの会議で決まってしまった。アウシュヴィッツ以後に詩を書くことは野蛮だが、アウシュヴィッツ以前にヴァンゼー湖畔で効率性最優先の野蛮は既に始まっていた。
アーカイブの大事さに心打たれた。議事録をとっていた、それが1部だけ残っていた、それが廃棄されず保管されていた。それがなければこの映画は生まれなかった。そしてこの映画はドイツで作られた。その意味はとても大きい。
おまけ(2024.8.10.)
ベルリン郊外、ヴァンゼー会議が行われた家=記念館を訪ねた。門と建物の入口も含めて中の1階は丁寧で詳細な展示で埋め尽くされていた。ドイツ語、英語、ヘブライ語、点字、音声による解説つきの豊富な資料。入場無料。来場者の寄付を受け付ける透明のケース。一部だけ残っていた議事録展示;A4サイズ15枚、ケースの左側にはタイプライターで打たれたオリジナル、右側は読みやすいフォントで打ち直されたPC原稿、1ページ目から最後の15ページ目まで全て読める。映画では「1月20日」だから家の周囲には雪が残っていた。暑く快晴の日、涼しい風を送ってくれる湖には沢山のヨットが湖に浮かんでいて夏のバカンス中であることに気づく。一方でそれに負けないほど沢山の老若男女の来場者は皆、真剣に資料を読み写真を眺め音声を聞いている。その場にいることに奇妙な感覚を覚えた。現在はどんな時代なんだろう。よくなっているんだろうか?
普通なのに異常:悪い意味で期待を裏切られる衝撃的な内容
恥ずかしながら、この映画を観るまで題材となっているヴァンゼー会議を知らなかった。
この会議によってすべてのドイツ占領下および同盟国から東ヨーロッパの絶滅収容所へのユダヤ人強制送還が決定されたという。
名前をよく耳にするアウシュヴィッツ収容所の始まりもここから。
会議の様子はごく普通の会議。これが衝撃だった。1つの民族の命を奪うための議論をしているのに、会議の出席者たちが気にするのは、みな自分の利権ばかり。普段の職場の会議とほぼ同じである。
とても既視感のある様子でユダヤ人をどのように処理するかという非人道的なことを淡々と議論しているギャップに気持ち悪さ、おぞましさが襲ってきた。
大政翼賛
2023年1月11日
映画 #ヒトラーのための虐殺会議 (2022年)鑑賞
ナチスの政権下の各省の高官が集まりホロコーストの基準や方策について議論する
優秀な官僚達は、省庁の利権、覇権、メンツしか気にせず、ここから600万人の虐殺が始まったのが恐ろしい
@FansVoiceJP さん試写会ありがとうございました
全95件中、81~95件目を表示