ヒトラーのための虐殺会議のレビュー・感想・評価
全96件中、41~60件目を表示
悪魔の会議
淡々と推し進められる会議。ヴィンゼーで行われたゲシュタポ主催、各役所のトップが集まり国の政策を具体的に実行するために事細かな議論が進む。
政策実現のための法解釈、担当部署の役割分担、かかる費用等々。はたから見ればごく普通の会議だ。だがその会議で審議されている内容は欧州に存在する全ユダヤ人問題解決のためである。
ユダヤ人問題とは何か。自分たちが勝手に敵とみなし迫害を始めたユダヤ人の処遇をどうするかということである。これは自分たちで雨を降らせておきながら雨が降ってきたと騒いでるようなもの。自分たちが作り出した問題をなんとか解決せねばと、それはまさにマッチポンプだ。
会議ではゲシュタポがいかに他の部署の人間を納得させ、自分たちがこの問題を解決するうえで主導権を握るかが淡々と描かれる。
そもそもこれは出来レースだ。彼らがユダヤ人問題解決を主導することは始めから決まっていたのだ。ナチス独裁体制の下、その意向に反するものなど無きに等しい。
こんな会議はそもそも意味をなさない。議席の過半数を占める政権与党が閣議決定で国の行く末を安易に決めてしまうどこぞの国のように。
この問題解決において、部署によっては異議申し立てもある。人としての問題、法的な問題。しかし結局それはユダヤ人のための異議申し立てではない。あくまでもドイツにとってどうなのか、現行法に照らしてどうなのかという異議申し立てでしかない。
法務担当者は自分の面子が保たれればいいだけである。彼が法と照らし合わせて断種処置が望ましいと淡々と述べるあたりはやはりユダヤ人を人間扱いしてないと見て取れる。
また、唯一の人格者とおもわれた人間も虐殺を行う側のドイツ人のメンタルケアさえできればと、あっさり納得してしまう。
ここにいる誰一人ユダヤ人を守ろうとする人間がいないことを思い知らされる。淡々と進む会議の中で着々とユダヤ人虐殺の手筈が進んでゆくだけなのである。
ユダヤ人にとってその運命を決定づける会議がただ流れ作業のように短時間でなされる様はその後彼らが同じく流れ作業のように処刑されてゆく様へと繋がる。本作の鑑賞後に「サウルの息子」を見ればその絶望感はよりひとしおだろう。
邦題にもあるように、会議出席者にヒトラーを否定するものは誰一人いない。彼らはヒトラーを信奉し、そのことにまったく疑問の余地もない。それが間違ってるとつゆほども思わない。これこそがカルトの恐ろしさと言える。そのカルトに支配されたドイツ人はユダヤ人にとっては悪魔でしかなかった。ともすれば人間は天使にも悪魔にもなれるということをまざまざと思い知らされる。
いまの現代日本でも亡くなった指導者をいまだに盲信し続けてる人間たちを見るにつけ、カルトの危険性は現代においても例外ではない。
かつてドイツは取り返しようもない罪を犯した。唯一の救いはその罪を真正面から受けとめ、逃げずに自身の罪と対峙し、けして同じ過ちを繰り返さないよう努力してる点だ。
自身の罪に向き合うどころか歴史を修正、美化して反省しないどこぞの国とは大きな違いである。
恐怖から生まれる冷酷さ
次の虐殺会議は…。
1942年1月20日。絵に描いたような静かな湖畔の別荘に集まってくる高官や軍人。15人の人物によってたった90分で取りまとめられたユダヤ人1100万人の虐殺計画。議事録を元に再現されたヴァンゼー会議。とても意義のある、そして勇気のある映画だと思います。
論点はどこへどのように運びどう殺害するのが効率的なのかということ。1100万人の命の話ではない。土地を奪い、資産を奪い、アイデンティティを奪い、最期は身ぐるみ剥がして命を奪う。美味しそうな食事にお酒。時には笑いが起こる一室。恐ろしくてたまらなかった。
今、ロシアとウクライナで起こっていること。人類はどうしても歴史から学ぶことができない。何故なのか。子供だって殺す。親がいないのに生きていく方が残酷だから。どうしてそんなことが言えるのか。今、世界のどこかで、もしくは世界のあちらこちらでこのような会議が開かれているのだろうか。
その対象はもしかしたら日本かもしれない。
無音のエンドロールがいたたまれない
エンドロール含めて音楽の全く無い映画というのを初めて観た。あくまで議事録の映像化にこだわったのか、ストーリーに起伏もなく、正直映画としてはあまり面白く無い。ただ議事進行を務めるハイドリッヒとアイヒマンの仕切りは見事で、彼らが組織内で非常に優秀な人材であった事を窺わせる。議題を別にすればビジネスマン向け「効率的な会議のあり方」の教材に出来るかもしれない。(自分も参考にしたくなるところがいくつもあった)。平板な展開で唯一盛り上がってくるのが「最終処理」の手段について論じるシーン。(手を下す側にとって)人道的?な殺戮手法を延々議論し続ける。横で顔色ひとつ変えずに聞いている女性書記官。ナチに限らず欧州人にとって、異民族の絶滅というのは歴史的に見てもそれほど違和感のない政策なのかもしれないと、こちらの感覚がおかしいような気持ちにさせられた。
ユダヤ人問題の最終的解決
特別処置って言葉が怖い。
悪趣味な映画かな、、と思ったが議事録を元に作られた歴史再現ドラマです。こういう映画をわざわざ作るって、ドイツ偉いとつくづく思う。
大仰な音楽も演出も無いです、エンドロールも只々無音、、、黙祷です。
会議はナチスvs政治家になってますが、どちらもユダヤ人を地球上から殲滅する事は同意の上。問題になるのは処刑に携わる兵士のPTSD、ユダヤ人技術者、一次大戦でドイツの為にたたかった功労者の処遇。
そしてドイツ人とユダヤ人混血問題。
彼らのユダヤ人への憎しみ半端なく、そこら辺がピンと来ないんだけど、ピンと来なくて良かったよ。
LGBT問題もチェチェンみたく、ちょっと国の指導者が違うとあっさりこんな会議がどこかでこっそり開かれてるかもしれないと思うとマジ怖い。
もう会議自体は非常にスムーズで合理的、そして司会者が優秀。僕らの会社の会議もこのくらい無駄なく進むのが理想的。どこ感心してるんじゃ、、、、。
追記:この映画の元になったヴァンセー議定書や参加者の自伝などに詳しい人の話を伺う機会があったのですが、ほんとはもっとビジネスライクに最終解決(ユダヤ人絶滅)に向けて指揮権の移譲が話あわれ、ドイツ兵のPTSDに関する記述はなかったようです。
おぞましい
知ることに意味がある
強烈な違和感
一貫して会議をしているだけです、回想シーンもありません。
登場人物たちは自身の立場において職務をまっとうしようと議論しているだけです。
議題さえ違えば。
立場の違いからくる意見の相違や権益を奪われたくないとする言動から、しばしば議論は荒れますが、彼らのユダヤ人に対する見解は共通しています。
彼らの前提にある思想、価値観がとうてい理解できないために、強烈な違和感があります。
この人たちはいったい何を議論しているんだ?と不快感嫌悪感を感じる前に、脳が理解を拒否しているようでした。
このレビューを書き起こすのにも時間がかかってしまいました。
本作は実際の議事録にもとづく再現だそうで、戦争の醜悪さを伝える新たな切り口として斬新です。
23-017
「普通」の会議
残された議事録に基づく完全再現だと思う。
準備段階(配席や食事の準備、列席者への根回し)から、休憩そして裁決に至るまで、90分の会議の一部始終を描いた映画。舞台はただそれのみ。
各組織の管轄争い、利害の絡んだパワーゲームの側面はありながらも、大きな紛糾もなく、会議は紳士的で見事に議事進行されており、そういう意味でも一見「普通の会議」を見ているような気がした。だからこそ、その異常さが際立ち、見ていてゾワゾワ、ドキドキせずにはいられない。
議題は、いかに効率よく(コストをかけずに)1100万のユダヤ人を1人残さず抹殺するか。「大義」(ユダヤ人は不浄で争いの火種で消えるべき存在であるという考え)に基づく「任務」の遂行のために、数字上の計算と共に行われる議論には、規律と組織を重んじるドイツ人の特質も随所に感じられる。休憩中の会話やふとした表情に本音が感じられるようなシーンもあるが、「倫理」を持ち出して異議を唱える参加者もそもそもの大義に異議を唱えてはおらず、各人が自分に与えられた「任務」に徹しようと努めているようだ。
個人的に一番印象に残ったシーンは、終盤のアイヒマンの虐殺計画の説明を横で聞いている議長のハインドリヒが、満足そうな恍惚にも似た表情を浮かべているところだ。アイヒマンの官僚的な有能さ、ハインドリヒの優秀なリーダーとしての人格が、より一層不気味さを際立たせていた。
これは国民のため、子や孫のため、世界平和のため…本当にそうか?結局は、ヒトラーという狂人のためでしかないんじゃないの?
いざ戦時下の渦中にいたら、人間はこんな風になってしまうのだろうか。
少し難しいかも
23-017
ただの会議なんですよね、議題以外は。
ホロコーストを扱った「別角度」作品の一つと言って良いのではないでしょうか?実際の議事録を元に作ったそうです。ですから、映画として云々・・・というよりも、会議が行われたという事実と、その場で話された内容を多くの方に届けるという意味合いで、大変重要な作品だと思います。故にとっても興味深い作品になっていると思います。
その会議の経過を通じて当時のナチスドイツの軍、役人の力関係や個人のパーソナリティをうまく散りばめ、さながら池井戸作品の「企業モノ」みたいな感じ(笑)・・・けど、これってとっても恐ろしい議題について、皆冷静かつ建設的に話し合っているという・・・薄寒い話なんです。
会社の効率的な会議のお手本ですよ、これは。根回し、議事進行、決を取るための周到な準備。素晴らしい。90分で終了した理由がよくわかります。みなさん、優秀!
けど・・・議題は・・・・悪魔のそれです。
方針を誤っている独裁者やカリスマやリーダーが居るってこういうことなのね?って感じです。ロ◯アって北◯鮮って、某巨大国の重要会議ってこーなんだろうなぁ、、、、なんて思っちゃいました。だって、誰一人、このおかしな議題への疑問を持たないんだもん。すごい。
ほんのちょっとでもヒューマニズムや人としての葛藤を期待している自分がいましたが・・・現実ってそんなに甘いもんじゃないってね。
作中ではユダヤ人を表す言葉がまぁひどいです。でも、そういう扱いだったってことだもんなー。会議の中では、たくさんのホロコースト映画で描かれた虐殺までのプロセスが話し合われます(こいつらが決めたのか・・・)。仕事の一つとして話されます。呆気に取られるくらいに命がぞんざいに扱われます。まさにゴミのよう。敗戦後、「ヒトラーの指示に従っただけ」って言って戦犯逃れした人はたくさんいたのでしょうが、この映像を見ると「いやいや、虎の威を借る狐だって犯罪者だぜ」と言いたくなります。ナチスドイツの全責任者を処しても良かったんじゃ?
もっともっと演出をぶち込めば大作になりそうな作品。けど、このフォーカス具合が良作となり得ているのかも?
恐るべき「最終的解決」
第二次世界大戦下、ヨーロッパ各地にいる1100万人ユダヤ人の処遇をどうするか…実際に行われたという90分の会議を描いた作品。
ナチスを描いた戦争映画は数あれど、銃声の一発も響かない、本当に延々と会議の様子だけが描かれた作品など他にあったでしょうか?
沢山の人物が出て覚えきれないし、皆高官だけあって言葉選びも慎重かつ難解。よって、細かな所までは理解できなくもこれ程までに引き込まれるとは見事な作品です。
成程、感心などして良い話では無いですが、ホロコーストもただ我武者羅に行われた訳ではなく、ナチス側の効率や負担、混血の問題についても…。
各重役の裏に見え隠れする思惑が、話を一筋縄には行かせない。内容はともかく、見応えがある。
とにかく、所々少々熱くなる場面はあれど、こんなにも恐ろしいことを淡々と、本当にビジネスの一部とでも言わんばかりに冷静に話し合う姿が恐ろしい。。
沢山の高官が登場しますが、1番恐ろしかったのはアイヒマンかな。他の人物も言っていることはアレですが、まだ感情が垣間見えるものの、アイヒマンは本当に1ミリもテンションを変えず淡々と・・・。
最初は隠語のように語られていた会議も段々と生々しくなっていきましたしね。。
1つの場面が続きつつも飽きさせないつくりに驚かされるとともに、この悲劇の重さに改めて苦しくなった作品だった。
ユダヤ人の最終的解決
あまりにも淡々とした議論に驚く
ユダヤ人虐殺を政策として決定し、虐殺の方法を議論した「ヴァンゼー会議」を描く、一風変わったナチス映画。
基本的に当時のドイツ政府の高官たちが議論する姿しか映らないので単調になるかと思っていたが、なかなか緊迫感のある映像だった。それはやはり1100万人のユダヤ人を根絶しようという大暴挙が、異論をほぼ挟まれることなくあまりにも淡々と議論され決定されていくからだ。若干反論もあった。でもそれはユダヤ人を殺すことへの反論ではなく、自分の仕事が増えないように、もしくは自分が作り上げた法律への解釈が変わることのないようにという憂慮からの反論。唯一の人道的な配慮はドイツ人兵士に向けられたもの。会議の参加者に多少の人道的な戸惑いみたいなものがあるかと思っていた私のわずかな期待をあっさりと崩すものだった。
1つの民族をここまで憎み、根絶したいと考える思考はどこから来るのだろう。個人的にはやはり経済的な格差や不平等感から始まっているのではないかと考えてしまう。それは今もヨーロッパで起こる移民への排斥運動やネオナチの台頭につながっている。80年前の出来事だが、全然終わっていない問題ってことだ。現代のことを考えさせるという意味でもとても意義がある。
また、会議の運営って視点で考えると別の感想も。議長を務めた国家保安本部は自分たちがユダヤ人虐殺を仕切るために、各省庁の合意を取り付けようとしていた。だから根回しが周到だった。ビジネス的な意味では優秀だ。でも、結論ありきの会議は参加者にとってかなりしんどい。自分が会議に参加している感覚になってしまうとなかなかの疲労感が残る映画だ。
最も印象に残った
全96件中、41~60件目を表示