「意欲作ではあると思うけど…。」ヒトラーのための虐殺会議 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
意欲作ではあると思うけど…。
<映画のことば>
問題解決には悲劇も伴いますが、避けられないでしょう。ユダヤ人問題を解決するのに機は熟しました。後の世代には決断力も「本能の覚醒」もないでしょう。我々が重荷を背負うことで、あとの世代が幸せになるのです。
映画を観る立場からは、登場人物の会話からストーリーを読み取り、その場の雰囲気に入っていかなければならない作品ということでは、本作も、一種の「会話劇」と言えると思いました。
評論子は決して歴史問題には明るくはないのですが、作品の全体から察するに、この会議は、ナチス党側がドイツ第三帝国の官僚側との間でユダヤ人問題の「最終解決」について、その方針には理解を示しつつも、必ずしも乗り気ではない官僚側と最終的な合意形成を図るべく、ナチス党側が主導して開催されたもののようです。
ナチス党の方針には賛同しつつも、政治的な野心のない官僚側としては、自分の管轄範囲には余計な「厄介ごと」を持ち込んでほしくなかったというのがホンネだったのでしょうか。
そのような「温度差」を埋めて、最終的な合意形成を図ることが、ナチス党側としての、この会議の至上命題だったように、評論子には思われました。
もしそうだったとしたら、脚本の上で、そのような「色づけ」(脚色というほどの大袈裟なものでなくとも)がもっともっと前に出ていた方が、映画の観客としては、この会議にあたかも同席していたかのように、作品の中に入り込んで、会議の進行をリアルに体験することができたようにも思います。
<映画のことば>
「我が国の可能性は拡大の一途。下手に怖がって萎縮せよと?致命的な誤りです。さらなる飛躍を目指し勇気を持たねば。」
「戦争は障害ではなく好機です。戦争だから入れる場所もあり、個々の人間の悲劇に紛れ、事実を作ることも可能です。徹底的に介入し、壮大な構想で社会を形作る。シャベルを土に差さないと、農民も畑を耕せません。」
こういうふうに、政治的な野心で気持ちがいっぱいになってしまい、それ故に近視眼的な倒錯に陥ってしまった軍国主義者が、国民を戦争に駆り立て、敗戦という結末と国土の焦土化を招いたことは、同じだったように思われました。評論子には。ドイツでも、日本でも。
りかさん、コメントありがとうございました。
『6月0日 アイヒマンが処刑された日』は、寡聞にして未観でした。
このサイトで調べてみたら、面白そうな作品です。
なんとか媒体を探して…観たいとおもいます。
そのレビューにも、またコメントをいただければ…。
その節は、よろしくお願いします。
の人たちが冷静に判断さえしてくれていれば、と思いますよね。
日独共に。
ですが、罪の深さと言えば、
同じ国民である筈のドイツユダヤ人も含めヨーロッパ系ユダヤ人を根絶やしにするが如く、
財産没収の上に、大虐殺したドイツ🇩🇪の方が深いかと思いました。
最近観た『6月0日アイヒマン処刑の日』で、ユダヤ人にはアラブ系もいて、その人たちは、
こんばんは♪
冒頭の言葉、
「現在を見なさい、間違っているでしょう。」と言いたいです。
スーツの官僚側は嫌々だったのですか。しかし、ナチには逆らえませんよね。
終わりの言葉、
大多数の国民からしたら、
少数の政治家や軍隊上層部、