「9歳でアイヒマン裁判を見たゲショネック監督の遺言でしょうか」ヒトラーのための虐殺会議 マツドンさんの映画レビュー(感想・評価)
9歳でアイヒマン裁判を見たゲショネック監督の遺言でしょうか
見る人をものすごく選ぶのですが、良く練られた脚本で、緻密に撮られた群像会話劇(つまり会議劇)です。
会議の前から描くことで、職務上の地位、人となり、人間関係を説明しています。人数が多すぎて、それにドイツ人の名前が頭に入りにくくて、ハイドリヒやアイヒマンくらいしか結局分からないのですが、2度見ると、そのさりげなさから覗く巧みさに、ようやく気付けます。実際の議事録を元にした、という謳い文句はありますが、会議の上座下座をこっそり入れ替えるなんていうことは明らかな創作で、そんな些細な描写も、利己心が会議を動かしていることを象徴しているように感じます。
アイヒマンは言います。「私は、銃殺もガストラックも見ましたが、食欲がうせます」有能な官僚で、冷徹、非情なアイヒマンですら、食欲がうせるんだ、と驚きました。この人たち、議題に上がる法的な解釈や、効率性ばかりにとらわれて、全体像、つまり人殺しに関して話し合っていることを忘れているんじゃないの、なんて解釈もできなくはないのですが、それは違います。食欲がうせる惨状を、分かった上で議論を戦わせているんです。
私たちは、感情を理屈でコントロールします。また、慣れれば感情は摩耗します。そして、敵という言葉でくくれば、共感の対象から外せます。
その時代時代の価値観に基づき、合理性や理知的な判断を重ねた冷静な議論が、狂気を生み出しさえする。過去を振り返り、断罪することは簡単です。しかし、今の私たちがそうした誤った選択をしないようにするための確実な思考方法や、合意形成の方法を私は知りません。
平和と戦乱のきわどい均衡にある今の時代に、御年70歳のゲショネック監督がこの作品を問うたことを、私たちは重く受け止めなくてはいけないのではないでしょうか。