「目的と手段」ヒトラーのための虐殺会議 penさんの映画レビュー(感想・評価)
目的と手段
目的と手段というのはなかなか簡単なようでいて、実は結構難しいものをはらんでいるように思います。大きな目的(ミッション・ビジョン・バリュー)のために、戦略が立案され、個別目標が決定され、その個別目標を阻害する要素があれば、それを洗い出し、それを効率的に解決する方策を探し出し、模索し、論議して決定する。
この映画で再現された会議を見ると、整然とした秩序のもとで、それらがある意味優れた形で、達成されていることに気づきます。例えばその労働力が目的の達成のために必要不可欠であるユダヤ人達の扱いをどうするのか?女性や子どもを含め一晩中大勢のユダヤ人を拳銃で銃殺したドイツ兵や将校の中に、精神に異常をきたす実例が出ている事を踏まえ、その精神的負担や物理的負担を軽減する「人道的」対応をどうするのか?そんな阻害要因が一つ一つ論議され、シュミレーションされ、理路整然と最適解を探すように、解決されてゆきます。(前者は利用しつくして最終処理する。後者はガス室に送り込む。)
問題はひとつ。
それは「大きな目的」がどうしようもなく誤っているということ。
「世界支配の権利を持っているのは疑いなくドイツ民族であるが、その最大の障害がユダヤ人であり、『アーリア人の勝利か、しからずんばその絶滅とユダヤ人の勝利か』の二つの可能性しかあり得ないとしている」ナチズムの思想(WIKIより)です。生物学的には差がないのに関わらず、フィクションのうえに壮大な人種の物語を作り上げるその醜い思想なのだと思いました。
「大きな目的」を誤ると、何が起こりうるのか?
そのことを、この作品は雄弁に物語っているように思うのです。
企業でも「パーパス経営」が叫ばれている昨今、「何が大切なのか」を改めて感じさせる作品ではありました。