福田村事件のレビュー・感想・評価
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目をそらさない人でいたい
関東大震災の直後、多くの朝鮮人が虐殺されたのは明らかな史実だ。この歴史の怖いところは、殺したのが自警団を結成した一般の日本人市民たちだということ。ヒステリックな集団心理の怖さを感じる。
そんな震災後の朝鮮人虐殺が行われた中での日本人殺害を描いたこの映画。序盤は地震発生までの福田村の姿と香川から出発する行商一行が淡々と描かれる。それが結構長いのに不思議と飽きない。仕事をし、飯を食い、セックスする。今で言う不倫や浮気もあったりする。時代だなーと思うところもある。でも、時代は違えど彼らが普通の人々だということをうまく描いていた。
そこで地震が発生。不穏な空気に一変する。そこで活きてくるのが、今まで描いてきた普通の人々の中にある朝鮮人への差別意識。福田村には朝鮮人がいない中、行商で訪れていた薬売りの一行を、村を襲いに来た朝鮮人だと勘違いする流れ。とても緊迫感のあるシーンだったが、朝鮮人だろ?日本人だ!のやり取りを聞きながら、猛烈な違和感を覚えていた。そこじゃないよと。そのモヤモヤを、永山瑛太演じる行商の長が振り払う一言を放ってくれた。あの展開はハッとさせられる。
説教くさくなるのを極力抑えたように思える作りだったが、それでもインパクトは絶大だ。悲しいシーンもあるのに、その悲しさよりもショックのほうが強くて泣けなかった。最後の字幕も含めてやるせなさと憤りを強く感じてしまう。なんて映画だ。これは目をそらさずに観ておくべきだ。
観たい度◎鑑賞後の満足度✕ これだけの凄惨な事件だから如何様にでも作劇出来たのにこんな脚本では駄目である。演出も平板。何が普通の農民を「鬼」にしたのか、なれたのか、誰でもなるのか、掘り下げが足りない。
①戦後生まれの身としては(といっても1961年生まれだから戦後から16年しか経っていなかったとは、戦後78年目の今から見ると不思議な感じ)、戦前の日本が何故にあれ程挙国一致的に戦争へと突き進んで行ったのか、国民は何を思い考えていたのか、抗う気はなかったのか、抗えなかったのか、流されただけなのか、いつも疑問に思っていた。
母親が戦中派、といっても当時は小学生だったので竹槍の訓練には早かっただろうと思っていたら、なんとチャンと訓練の時間が有ったという。「敵が来たら本当に刺し殺す気やったん?」と訊いたら「そうや。でもその前にパンパンと撃ち殺されるやろなぁ、と友達と笑い合ってた」、とのお話。
子供らしい無邪気さと言えばそれまでだが、戦後生まれとしては何となく笑えない話。
その当時の空気とか時代の雰囲気とかが分からないとなかなか理解しづらいんだろうなぁ、と思う。
そういう戦前の時代相と“福田村事件”の背景の時代相とには通底するものが有るように思う。
しかし本作は、起こったことを表面的に描いているだけ。‘昔、こんなことがあったですよ、ひどいですねぇ、怖いですねぇ’というだけ。100年も封印されてきた(私には何故に100年も封印されてきたのか、という方がより深刻で向き合わねばならない問題のように考えるが本作では最後のプロップで紹介されるだけ)だけに、断片的な出来事しか分かっていないから映画としてはフィクションの部分(人物とか、その人の行動とか)を設けて話の間を埋めなければならないのはわかるが、そのフィクションの部分がいかにも作り物っぽく+不必要(というかもっと上手作れなかったのか)で興ざめる。
②関東大震災の時に関東で何百人という朝鮮人や中国人が流言飛語のせいで虐殺されたのはよく知られた話である。
”流言飛語”が東京内だけでなく関東一円に拡がっていたためである。
この流言飛語(震災の混乱に乗じて朝鮮人が日本人を殺そうとしている等々)が何故出てきたか広がったか、人々が信じて自警団まで作ったか。
現代はそんなことはもう起こらないと言い切れるのか。SNSでフェイク情報や流言飛語が当時より拡散しやすくなっている現代、その怖さは全くないとは言えますまい。
③あげつらいたい欠点は山ほどある本作なので、どこから言えば迷うところだが、今(2024.02.12)本作を思い出しながら頭に浮かんだことを先ずは書こう。
本作は基本的に井浦新と田中麗奈の視点から描かれている。つまり、部外者・第三者からの視点だ。
視聴者の大部分と同じ立ち位置であり、言い方は悪いが安全圏にいる者たちの視点である。
当事者の視点はない。だから生々しさがない。
資料が少なく百年前の話だから、当事者の観点から描きようがない、という意見も有るかもしれないが、そこが想像力が有るかどうかの分かれ目であり、フィクションにする意味があると思う。
要りもしないSEXシーンなど挿入せずに、もっと描くことがあった筈だ。映画には兎に角濡れ場が必要だと思う制作側のあまり上品でない下心が透けて見えるようだ。
④
中学、高校で差別、偏見の授業として観せるべき
大正時代、朝鮮人差別が日本人に蔓延っていた。
関東大震災の発生をきっかけにデマが流れ、朝鮮人が拘束されまた見つかり次第殺害されるように。
軍国主義下、敵視された者は殺される悲惨さと殺らなければ殺られる不安、現代人が観ると何で?と思うだろうが今現在ウクライナでも同様なことが起こってるだろうし、災害時にフェイクニュースがSNSで瞬く間に広がりを見せたりアメリカでの人種差別による暴行や殺人もこの福田村事件と何ら変わらない。
ネット社会で匿名を良いことに好き勝手に有ることないこと発信し誹謗中傷する世の中。またそれを見聞きし信じてしまう現実は殺害までしなくても死に追い込むことは誰もがしうることです。
近所の住人の噂話、地域でもデマや新聞報道、ロシアや中国のように情報統制や発信の規制、岸田政権はこの事件の記録がないので確認できないとしているが確認しようとしないのが現実。
この映画はありとあらゆる多種多様な差別、偏見が度を越すと悲惨な結末しかないことを伝えている。
クラウドファンディングもあって作品が完成し役者達のリアルな演技に良くぞここまでの作品を制作してくれて有難うと言いたいです。
必見です
人間は恐ろしい生き物だ
まさに、人間の愚かさが凝縮したかのような映画『福田村事件』。出来事は、関東大震災の大正期だけど、いまだってたいしてかわらない。人間の本質なんて今も昔も同じだ。だから、同じ過ちを繰り返さないためには、過去の出来事の正しい認識が必要となる。
関東大震災の人災
それは、1923年の関東大震災後に起きた。
いわゆるデマがゆきかい、人々の不安を煽った。
社会主義者や朝鮮人、あるいは不定の輩が、混乱に乗じて井戸に毒を入れたとか、乱暴をはたらいたとか。
なぜ、マスコミがこんなデマを流したのかが大事だ。
真相が、今の時代に正確に伝えられているとは思えない。
映画は、そんなデマに振り回される千葉県東葛飾郡福田村の出来事。
この事件の顛末を、映画は、丁寧に描いてゆく。
デマが、本当のことになってゆく
そんな過程が、怖い。
疑えばきりがないのに。
ある方向に集団が向いてしまうと、修正がきかなくなる。
その過程が、おそろしい。
時代背景の要因も大きい。
富国強兵からはじまる、軍国主義国家日本。
そして、大正時代にはいり、自由を謳歌する大正デモクラシー。
社会主義の台頭。
これらを手動するのは、インテリ層。
当然おもしろくないのは、農民層と取り残された人たち。
政府の政策の失敗からくすぶる市民の不満。
市民の対立を上手く利用したのが、政府とそれに加担したマスコミ。
一度言い出すとあとに引けない怖さ
そんな、関東大震災とその後の動乱を凝縮したのが、『福田村事件』
嘘も、100回言い続ければ、真実になる。
そんな人間の怖さが、よく出ている。
一度言い出したことを訂正できない、修正できない変なプライド。
なんなんだろうこれって。
軍国主義国家のいびつな倫理観が、アチラコチラに出てくる。
怖い話だ。
今の時代は、大丈夫なのか
これもあやしい。
東京都知事なとは、関東大震災の慰霊に書簡を送るのをやめた。
もう、この日本人に都合の悪い出来事を消し去りたい勢力がいる。
政府の閣僚にも。
これが、今の日本社会の一つの流れになっているのが、怖い。
そうではないはずだ。
過去の過ちをちゃんと正確に認識することが大事だ。
さらに、事実を歪曲するのでなく、事実を事実として認識する。
でないと、同じことの繰り返しだ。
人間の愚かさだけで済む問題ではない。
東出昌大
村人も薬屋も馬鹿ばっかと涙した
今だからこそ観るべきか
悲しいけどあの御守り役に立ちましたね。
とても考えてしまってます
15円50銭って言ってみろ!
関東大震災100年目という節目で福田村事件映画化。知っての通り震災の混乱の中、流言飛語が大きくなり多数の朝鮮人、中国人、並びに日本人まで犠牲者を出した事象を追っていく。このタイトルはこれを言えるかで日本人か否かを試したとのこと(結果不十分ではあったのだが)
まずキャストの豪華さに驚き。水道橋博士の頑迷な感じはハマり役だし、東出くんの割と皮肉だなと思う配役、コムアイさんの佇まいもよかった。主役を張れるひとたちがたくさんいたのも凄いなと。衣装も美術も素晴らしいし、惨事が起こるまでの積み重ねるられるドラマもしっかりしていた。
もう少し公開規模が大きくしてほしいけれど、差別描写が多いので難しいのかなとも思います。当時とは比べるべきもない情報伝達が早い社会になってますが、自身の耳に心地よい情報しか選択しないひとが多くなっている気がします。これで教訓を得られるとは言い難いですが、一見の価値はあります
御茶ノ水博士、怪演
配役がすごいと思った。
ここに集まった俳優陣は、みんなが森監督にシンパシーを感じていることは間違いない。
井浦新と田中麗奈、戦争によって心が離れてしまった夫婦を。
東出昌大とコムアイ、戦争中の孤独感が結びつけた不貞関係の船頭と未亡人を。
ピエール瀧と木龍麻生、新聞の役割をめぐる金とメディアの矜持と確執。
永山瑛太、被差別部落を率いるブライド高きリーダー役を。
戦争中も、それぞれに感情があり生活がある。
その中でも、特筆すべき存在感を持っていたのが水道橋博士だ。
小さな体に大きめな軍服、なにかと現体制の論理を吐き出す歪んだ唇、思わずお前は朝鮮人に違いないと叫んでしまう右翼的言動。
だけど、少し前は彼も善良な農民だったのだ。
水道橋博士は、戦争という環境のなか強い自警団団長役になりきっていた。
現実には真逆の人なのに、そんな役をやった。
だからだろう、彼は鬱になり体調を崩し当選したばかりの議員をやめた。こんな状態では役に立たないだろうと。
ぼくだって、そんな環境に置かれたらわからないと思う。戦争によって、どんどん思考は狭ばり、しまいには考えることすら、やめてしまうのてはないか。
そんな恐ろしさを感じる映画でもあった。
評価85点
※映画としてみた時、詰め込みすぎたという印象も残った。
観るべきと言うより観なくてはならない映画
これはもう観るべきとかのレベルでなく、観なくてはならない映画である。100年も前に起きたこの事件が、半世紀を過ぎてようやくその事件の存在が明るみに出て、100年後にこうして映画化されるまでの長い行程を経てきたことを重く受け止める必要があるのではないか?この映画には、今の日本が抱えているまだ表在化してない問題が数多く提起されている。
THE YELLOW MONKEYの「jam」の歌詞の中に、外国で飛行機が落ちてアナウンサーが嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした」、、、僕は何と言えばいいんだ?何を思えばいいんだ?と言う有名なフレーズがあって、この映画の終盤にこれを想起させるセリフがあり、まさにそれがこの不幸な事件のトリガーとなる。この映画のポスターの一見着飾ったおしゃれな男と女は、何の荷物も持たずに大きな川を今にもひっくり返りそうな小舟でどこに流れていくのかわからない様子だ。この景色こそ、豊かそうに見えて、実は貧しくて心許ない現代の日本を象徴しているようだ。
現在だからこそ必見
ドキュメンタリー出身の監督だからか事前の整理とセッティングがものすごく丁寧で、我々観客は登場人物達をそれなりに理解するのみならずちょっとした親近感すら抱くようになるが、後々何が起こるかはある程度知っているので前半から祈るような気持ちになる。
いざその日が訪れてからも事が重大化するまでは時間があり、なるほど官民結託した流言飛語はこうして一見悪意のない大衆によって街道沿いに広かったのだとよく分かる。(実際にどのように広がったのかを詳細に研究した書籍も最近出た。)
そしていざ事が始まる瞬間は呆気なく、誰もが「身を護る」「村を護る」とだけ思っている。そう。それは彼らの意思によるものではそもそもなく、それまでに国家権力とメディアによって周到に用意された分断と偏見と差別と、だからこそ「仕返し」されるのでないかという恐怖によって起こるべくして起こったことなのだと分かる…
そうした状況の前では、周到に配置されたいわゆる「リベラル」な人々が如何に無力かということも。
観れば分かる。これは「100年前に起こった僕らに関係ないこと」などではないと。誰もが今まさに思い当たるだろう、彼らの姿は僕らの姿だと。僕らはことほどさように、簡単に鬼畜に、殺人犯になり得るのだと。我々は差別主義者で虐殺者たり得るのだと…
こうやって白日の下に曝し記憶し反省することによってしかこの罪は贖えないんだと。
劇中、行商人一行が「日本人か否か」を誰何されるが、観客誰もが考える『朝鮮人なら殺してええんか!?』というセリフが虐殺の始まりとなるのもまた良く出来ている。
劇映画として良く出来すぎているためにすべてフィクションなのではないかと考えてしまいそうになるが、おそらく若干マイルドにされた事実なのだと心に刻む必要がある。
欠点があるとするなら、みな役者さんなので少々小綺麗に過ぎることと、朝鮮帰りの奥さん(田中麗奈)のエピソードが不要に思えたことくらい。
多分望んで出演されたと思しき豪華出演者の方々の演技も素晴らしいものだった。
震災100年目で、朝鮮人虐殺の『事実』を否定する政治家どもが大手を振っている現在だからこそ作られる意味があるし、必見の作品。
分断は悲劇を生む
恐ろしく激しい作品
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