「間に合って良かった~オスカルの帰還~」ベルサイユのばら ギリカンさんの映画レビュー(感想・評価)
間に合って良かった~オスカルの帰還~
自分はベルばらリアタイ世代(中学生)で、その後は離れていて、予告を見て懐かしさに鑑賞2回して(ミュージカル部分に引っ掛かり確認の為)中途半端なミュージカル風演出とアントワネットを軽視したエピ選択に腹を立ててこちらに酷評を投稿した者です。
その後暫くしてからもう一度鑑賞し、『言い過ぎた』『良い所も沢山あったのに、悪い所しか書かなかった』『製作者へのリスペクトと配慮が足りなかった』と後悔するも、同じ作品のレビューは出来ないからと諦めて放置していたのですが、最近削除出来る事を知り、削除させて頂きました。以前の投稿で不快になられた方には謹んでお詫び申し上げます。
今更改めて書くまでもないかと思ったのですが、新たに書きたい事もあり、再投稿させて頂きます。
正直、ミュージカル風表現とアントワネット軽視に対するマイナス評価についてはあまり変わっていません。
自分がミュージカル大好きなせいで拘り過ぎなのかもですが、歌付きBGMと登場人物が歌っているらしいミュージックビデオと完全なミュー表現が混在していて集中が途切れるのが勿体無い感じで星0,5マイナスです。(オープニングと仮面舞踏会の使い方は好みだったのですが)
そして、何よりちゃんと描いて欲しかったデュバリー夫人とのやり取り。アントワネットの王族としての矜持を最大に表す、オスカルの『生まれながらの女王』という言葉に説得力を持たせる唯一の見せ場だったのに。これがあるからこそ、二人が袂を分かつシーンにも深みが生まれると言っても良いくらい重要なシーンだった。全部やらなくても、経過を噂話で説明して、「今日は~」から「フランス王室は娼婦に負けたのです」までだけで良かったのに。
そして、ヴァレンヌ逃亡事件はナレーションベースで良いのでフェルゼンの献身と絶望を入れて欲しかった。理代子先生が、フェルゼンが生涯独身を貫いた事に言及して欲しいとお願いして、果たされたわけだけど、それもこのエピがあるとないとでは重みが違うと思った訳です。ここで星1つマイナス。
一方で、画面の美しさは本当に脱帽でした。50年前にはネットもなく建物や室内の詳細も殆ど分からない、多分美術書と観光案内書ぐらいしか資料もなく、隔週刊の毎号連載も相まってけして満足ではなかったであろう背景が美麗に甦り、衣装も繊細で美しく、大昔のマンガ少女としては、この上なく満足です。
何よりオスカルがオスカルだった!過剰に男性的でもなく、無理して男っぽく振る舞ってもいない、環境と育ちで男っぽくなってるけど、そこにアイデンティティがあるのではなく、武門の名家の跡取りとしての誇りであの振る舞いなのだというのが分かる。だから、「今宵~」での恥じらいには思わずキュンとしてしまうし、終盤での名台詞の数々にも納得してしまう。正しくオスカル様でした。
いくら宝塚などでコンテンツとしては継続してるとは言え、50年も前の作品を劇場映画として制作するのは殆ど賭けだったと思います。製作陣の勇気に敬服します。
余談になりますが、実は本当に言いたい事がここからあります。
以前の投稿で、TVアニメの方は男性による原作の改悪と書いたのですが、実は序盤の5話程度で「なんじゃこりゃ、いくら1年続けるからオリジナルエピソードが必要と言っても、荒唐無稽過ぎない?そもそもオスカルが『女の子守りなんて出来るか!』とか言うわけないだろ!長浜監督ぅ~💢」とか思ってリタイアしたんです。そして終盤で、視聴していた友人から「凄いことになってる」と言われて覗いて見て、本当に酷い事になっていて「出崎監督ぅ~💢」となってすぐにリタイアしたのですが、ちゃんと視ていないのにあまり断言するのもいかがなものかと、ユーチューブ配信を視てみました。31話以降ですが。
そしてあまりの酷さに目眩が。結局、両監督とも戦前戦中生まれの、女は愚かで弱くて男に守られる者、男に啓蒙されるもの。なんですね。そしていらないリアリティーを乱暴に添えて来たり。
オスカルとアンドレの愛の行為を、少女マンガのロマンチックな場面からお外に持って行く必然はなに?もしかして男のロマン?
オスカルがアンドレに命令してくれなんて言うわけないだろ!これも身分の高い女が男に従うという、男のロマン?
そして、あろうことか一番大事なオスカルの名台詞も、フランス万歳もないんですよ!もう悪意があるとしか思えない!出崎監督●ろす!(いやもう既に…)
すみません。興奮し過ぎですね。
実は、パンフレットや公式ブックで理代子先生が「原作に忠実に作ってくれた」というのを目にする度、「本当に~?あんなにアントワネット軽視なのに。まあ、アーシュラKルグィンもゲド戦記の試写会では拍手してゴロー監督と握手したけど、本国に帰って、『こんなはずじゃなかった。ハヤオがやってくれると思ったのに』て呟いてたそうだし。公式の場で文句は言えないよね」とか思っていたのですが…。
あんな酷い改悪をTVアニメでされてたから(実写のフランス映画も酷かったらしいし)それを思えば、本当に今回の劇場版アニメは、可能な限り忠実だったと言えますよね。
読者として全然追いかけてもいなかった、寧ろその後ちょっとアンチ気味だった自分ですらこれだけ頭に来てるのに、作者である先生の当時の悲しみを思うと涙が出そうです。
先生がお元気なうちに、ベルばらを、オスカルを先生の元に還してあげられて良かった。それでもう、マイナス分は帳消しになりました。
しょうもない超長駄文失礼しました。
追補:勢いに任せTVアニメについて言い過ぎておりますが、あくまで原作に対してどうであったかという意味での批判であり、作品そのものの価値を否定するものではありません。
当時はアニメが原作と違うのはむしろ当たり前でしたし、当時の価値観や、1年に渡っての制作における必要性(視聴率等も含めて)等、制作サイドが創りたい物を創るのが正しく、『原作に忠実に描く事が正義』では当然ありませんでした。
私自身原作通りに描く必要は(アニメに限らず)ないと基本的には当時も今も思っておりま す 。(レミゼもオペラ座の怪人も近年ならゴーストアンドレディとかも原作通りという訳ではないけど名作ですし)
今回はただ、多分自己投影していたオスカルに一番言わせたかった台詞、描きたかった姿を変えられた理代子先生の、当時の気持ちを勝手に推測(妄想)した結果、先生の「原作に忠実に描いて頂いた」という言葉に納得した痛い昔のファンの妄言と思し召しください。
TVアニメ版ファンの方には不快な思いをさせてしまい、お詫び申し上げます。
4/23追記
ゆやん様
ご批判ありがとうございました。真摯に受け止めさせて頂きました。
勢いに任せてまたもや言い過ぎて、不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。
本文に追記致しましたが、あくまで、原作に対しての変更部分への個人的な不満であって、作品の価値自体を否定するものではありません。
それでも強い物言いで、ファンの方に悲しい思いをさせた事実に変わりはありません。すみませんでした。重ねてお詫び申し上げます。
今度はテレビアニメ版の批判ですか。悲しい。私は子供でしたが、テレビアニメ版に勇気をいただきました。従う、の発言も当時はん??と思いましたが、年代を経て、ずっとアンドレを従えてきたオスカルの優しさ(オスカルの信念としてのプライドは捨てず)と、逆に余裕すら感じました。男の監督とかそんなものは知らずにおりましたので、純粋に物語として見ての感想です。男として生きるなんてあり得ないファンタジーですが、少しでもリアルを感じました。
私は劇場版も大好きです。ベルサイユのばらに対する愛を感じます。どちらも共に生
Bonita様
コメントありがとうございました。
変えなくて良い所を変えて劣化させる意図が分かりませんよね。
正直、当時下に見られていた少女マンガの、若い女性作家に対する侮りが透けて見えると言ったら言い過ぎでしょうか?
アンドレの死もオスカルを庇ったものから、意味のないものに。確かに目が見えないのに出来る訳ないだろうとも思えますが、リアル追及したいなら失明の度合いの方を調整すれば良いのに。市民に味方し追われて下水道に隠れさせたのと合わせれば、『やっぱり女は戦いってのが解ってないな』という気持ちが滲み出ている気がします。
基本原作至上主義ではないので、メディアにより変わるのは構わないと思うのですが、作品の芯ともいう部分を貶められては黙ってはいられません。
オスカルの『人は心だけでなく体も全て自分のものであり、自由だ』という、この至高の台詞を削除(そりゃ「妻となったから夫に従う」なんて言う人がそんな台詞を言うわけないですよね)した事は未来永劫、絶対に許されるべきではないと思います。
劇場版はそこがしっかりしていて良かったと思います。
大変共感したので、ひとつコメント書かせてください。TVアニメをリアルタイムで見ていたはずですが、首をひねることばかりでした。(テーマソングは好きだったけど)
オスカルがアンドレの失明を分かっていてパリへ出動ってことになっていた。
アンドレの失明はアランたちしか知らなかったから、最期の場面でオスカルが「見えてないのか?なぜ言わなかった。なぜついてきた。このばかやろう!」になるのですから。そしてこの場面でおそらく観客は号泣するのですから。ここは原作に忠実な劇場版はすごくよかった。
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