エンパイア・オブ・ライトのレビュー・感想・評価
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映画を巡る上質のファンタジー
オリヴィア・コールマンはいつも期待を裏切らない。
それどころか、常に新しい挑戦をして、驚かせてくれる。今回も、ヒラリーの姿に、彼女の演技者としての自分を越えようとする意思を感じた。
ところで、サム・メンデスのこの映画は、予告編ではラブストーリーorヒューマンドラマみたいに感じられるが、私にとっては、上質のファンタジーそのものだった(大好物)。
80年代の映画館を改装して臨んだ美しいロケーション。時代背景は80年代のイギリス南部だが、登場人物の多くは、映画の夢に棲むフェアリーたち。そして、映画への愛が、凝った映像と素晴らしい音楽によって語られている。
廃墟のような屋上レストランの美しさはタルコフスキーを思い起こし、映写室の映写技師とスティーヴンのやりとりは、正にニュー・シネマ・パラダイスへのオマージュ。
鳩をヒロインにわたす青年の手付きは、「波止場」のマーロン・ブランドの姿がかぶる。
海と砂浜のシーンに漂う寂寞感は、明らかに、フェリーニへのリスペクト。
どれをとっても、好みの映像が次から次へと繰り出され、至福のときだった。
1980年代の貧富の分断、レイシズムやジェンダーギャップ、精神疾患への差別・偏見などは、現代にも通じ解決していない問題も多いが、映画館の仲間たちが示す底抜けの理解と優しさは明らかに80年代の現実とはかけ離れている。実は映画の妖精たちだから、愛に溢れた仲間でヒラリーは絶対大丈夫。
コリン・ファースだけは例外で、当時も今もいそうな典型的なエセ紳士の俗物を演じていて、これはこれでとても上手だが、典型的な悪役の妖精。最後にいなくなって実害はない。
ヒラリーがラストシーンで並木通を静かに去っていく姿は、第三の男かな? 戦争の傷が顕なウイーンの街でアリダ・ヴァリは枯れ木と廃墟の中を歩いていったが、オリヴィアを包むのは新緑の美しい木々。希望に満ちたファンタジーの終わり方で、納得がいく。
暗いけど、心温まるリアリズム映画の秀作
ゲーム、映画、ドラマ、なんでもファンタジーがもてはやされる昨今、久しぶりにリアリズムに徹底した、味わい深い映画を見ました。とても良かったです。
最低限の効果音だけで、ほとんど音楽もない、全体的に仄暗く、事件は起こるけど、それが劇的に人生を変えるものではなく、そう、現実を生きるって、そういうことだよね、と思わせる静かな力のある作品です。
トリニダード・トバゴ出身の知人がおりまして、映画を見て考えさせらたところ、以下ネタバレで、長くなりますが、興味あれば、読んでいただきたいと思います。
●オリヴィア・コールマン演じる、主人公ヒラリーの心の闇について
物語後半に、ヒラリーが不安定になって、子供の頃父親に性的対象にされたこと、母親からの保護もなかったことを泣いて叫ぶシーンがありました。
こうしたトラウマと愛着障害を抱えたまま、大人になった方のなかには、知能も高く、仕事にも真面目に取り組むことも出来るのに、他者と上手く関係を築けず、性的に他人に操られてしまう(支配人との関係に表れている)また、セックスで関係を維持しようと思いこむ(かなり年下の違う人種の青年と関係を持つことをためらわない)等、周囲から理解されないゆえ、社会的に生きづらい方がいます。
冒頭の医者とのやりとりからも、こうした患者さんは、生まれつきとか、脳の損傷が問題ではないので、トラウマの発作が起きないよう、冒頭にあるシーンのように、薬を服用しながら、規則正しい生活を送るということが、社会復帰のあり方で、ちょっとわかりづらいですが、現実的な描き方だと思いました。
スティーブンとの関係で、一時的に愛着を取り戻したかのようにみえるヒラリーが、気分の高揚と共に、薬を服用せず、強い意志の裏返しとしての、突飛な行動に出て、不安定になっていく様を、オリヴィア・コールマンが素晴らしい演技で魅せてくれます。演出もよくできている。
心配してフラットを訪ねてきたスティーブンから、心を閉ざすように、カーテンを閉めていく、彼女の眼の演技は凄かった!
●黒人青年スティーブンの背景ついて
母親と共に、トリニダード・トバゴから移住して来た青年、スティーブン。トリニダード・トバゴはカリブ海の島国で、イギリスの元植民地であり、奴隷貿易の拠点港があり、戦後は英国連邦の国家として独立しました。公用語は英語(イギリス英語)、教育も英語でなされます。なので、アメリカ映画で描かれる黒人や移民とは、少し意味合いが違います。
20世紀半ばまで、連邦からの移民は、自由に英国へ入国できましたが、段階を経て、より制限が厳しくなったのが、この映画で描かれた1981年です。
●イギリスの時代背景について
1979年、イギリスの首相になった保守党のサッチャーは、衰退する英国経済を復活させるために、政治経済に大鉈をふるい、炭鉱の閉山、労働組合の解散などを断行しました。物価が上がり、斜陽の国が再び経済大国として浮上するきっかけにもなりましたが、その一方で、多くの失業者を産み、労働者階級が不満を募らせた時代でもあります。
映画の舞台、ケントはロンドンから列車で小一時間なのですが、どこか取り残されたような、少し寂れた海辺の街。きっとこの劇場も、60年代には賑わっていただろうと、想像させます。
映写技師の仕事も昔ながらで、そうか、今はデジタル化と共に、映写室もなくなってしまったのか、と切なくなりました。
主人公は、心の病を抱えながらも、優しい同僚達に支えられ、社会復帰することができて良かったと思います。
日本だったら、小さな街で恥を抱えて生きていくのは、もっと大変でしょうからね。
小さなドラマを重ねながら、季節はまためぐっても、緑の芽吹きは決して去年と同じではなく、少しづつ変わりながら、やがては朽ちていく…。心に染みるエンディングでした。
サム・メンディス、さすがです。
古風な劇場
を主体にした物語なのかと思ったら、精神的に闇を背負った女性と黒人の青年の恋に色んな事が降りかかって来ます。それを乗り越えて彼らの恋愛がどうなるか?です。ヒラリーはかなり年上の設定ですよね?
ふんわりやさしく、とにかく美しい
今年になって映画がらみの映画が増えている。本作もそう。1980年代初頭のイギリスの映画館が舞台。でも、他の映画館映画のような映画愛に溢れている感じはあまりしない。映画のことなんかほとんど話題にならないし。映画館に掲示されている作品名やポスターでそうかこの作品の時期かー、なんてこちらが想像するだけ。
ヒラリーの孤独、スティーヴンの境遇と遭遇する事件、二人の恋。どこに焦点を当てているのかわからなくなる。ボヤッとした印象。個人的には涙するようなシーンはなかった。
でも印象は意外といい。エンパイア劇場の人たち、劇場でクローズされていふフロアに射し込む光、そしてトレント・レズナーの音楽。ふんわりとやさしくて、とにかく美しい。終わり方も何か劇的に変わったわけではないけれど、明るい印象のラストで悪くない。とても不思議な映画だった。
オリビア・コールマンもマイケル・ウォードもよかった。あれだけ年齢差があるのに嫌な感じがしないのは2人が醸し出す雰囲気のおかげ。そしてコリン・ファース。英国紳士然としているのはいつも通りだが、なかなかのクズを見事に演じていた。こんなのもいけるんだな。
にしてもマイケル・ウォードの美丈夫っぷりときたら‥
劇中トビー・ジョーンズ扮する映写技師が解説するように、映画とは決して画像自体が動くわけではなく、静止画を連続してスクリーン上に映しているに過ぎないから、静止画と静止画の間に必ず暗闇が発生する。しかし一秒間に24コマの静止画を連続投影することによってこの暗闇は消え、あたかも画像が動いているように見える。映画とは人間のこの錯視のメカニズムを利用することによって成立している。つまり我々は映画を観る際、その美しい光と同量の闇を観ることになる、或いは美しさとは闇の別名である、とか。さすがにこれは飛躍しすぎか。
この映画での80年代初頭の英国地方都市の映画館は、はからずもマージナルな立場に置かれた登場人物たちが集うシェルターの機能を呈していた。私のような不出来な人間もまた、自分の似姿としての映画に、これからも助けを求め続けることになるのだろうな。
チャンス
人生五十年生きていると、こういう映画が身に沁みる
二十歳ぐらいで観ていたら、ただの退屈な映画に感じていただろう
オリビア・コールマンをはじめトビー・ジョーンズやコリン・ファース(裏切りのサーカス組)の芸達者が脇を固め、他の役者陣みんないい!
役者の表情で泣かされる
映像の美しさと切なさですかね?
大したはなしでもないのに、妙に惹きつける魅力があります。
停滞の時代の英国のどんよりした雰囲気が曇天の海岸添いの地方都市に浮かびように映し出されます。画面画面の構図と図柄が、才能としかいいようのないセンスで繋がります。
さすが007を任される監督、平凡な話をドラマチックな語り口で飽きさせません。
しかし、オスカー女優の演技力は凄まじい限りです。
人それぞれの刺さり方
往年の映画ファンなら、グッとくるんだろうなあとは思うんだけれど、私はあまり映画文化に思い入れがないので、ので、そこはスルー。
エンパイア劇場をはじめとする、映像がとても美しく、全編、光と影が印象的だった。
わたし的には、
自分と年齢的にも近く心が不安定なヒラリーに、思い入れてしまって、心に刺さりまくりだった。
オリヴィア・コールマンの名演技があってのことだと思うけれど。揺れ動きすぎる彼女に、こちらも揺さぶられっぱなし。
スティーブンもとてもいいけれど、映像技師のノーマンや同僚のニールと、ヒラリーの距離感もすごく好きな感じだ。トビー・ジョーンズ好きなんよね。ノーマンの出てくるシーンは、どこもすごく良くて これが名優というものかと思ったり。
自分的には、最高の映画だった。文句なしの満点評価。
鑑賞動機:監督メンデス+撮影ディーキンスの組み合わせ7割、コールマン2割、映画館映画らしい1割
撮影賞とって! お願い!
Lightは映写機の灯(キセノンランプかな)だけではなく、映画が人生を照らす灯火である(人もいる)ことも重ねられているのだね。絵になるシーンが多い映画で
説明されていないことは多いけど、ある程度推測できるくらいは語られているし、そこまで大きな瑕疵には思えなかった。
スタッフの面々がなかなかユニークでもうちょっと日常シーンが見たかった。あ、ゲスい支配人はいらないです。
流石に死体の落とし物や暴徒の乱入は経験ないなあ。
劇場スタッフが映画をタダで観るのを許容されているのは、内容を把握することが業務で必要だからでしょう。それは別にしても、もっと映画を観なよ、ヒラリー。客席でのあなたはとてもいい表情だったもの。
もう少し時代が進むと、基本的に人がつきっきりになる必要のない(=映写技師さんがいらない)半自動の映写機になる。黒丸の代わりになるものがあって(電気を通す銀紙シールがフィルムに貼ってある等)映写機の切り替え、スクリーンサイズやレンズや音量の変更を制御してたはず(うろ覚え)。現在のデジタル上映だと、映像自体に影響を与えることなく制御されているのだろうけど。
この映画のような世界が、早く終わることを祈るばかり。
サムメンデス&オリヴィエコールマンというだけで、映画館に足を運ばせるには十分すぎる。いつものように事前情報は極力排して臨んだものの、予告でコールマンの表情が、何を表すのかかなり気になるところではあった。
共にある種の痛みを抱える人々の物語。互いに癒しを求め合う関係は、設定は違えど「希望の灯り」を思い出させた。1980年代よりも、より理解が進んでいると思われる現代でも、変わらず深く根を張るテーマであることは変わりない。
映画は静止画の連続でその間は暗闇なんだ。
イギリス映画は、映像と音楽に、成熟した国の文化を感じるんだよなあ。舞台は1981年1月、憧れていたかっこいいイギリスの頃だ。だけどこの頃をピークとして、(むしろそれ以前からすでに)かの国は停滞し、文化は爛熟から下降へと。そう、激甘の熟れた果物が実を落とすように、差別や貧困や失業という社会問題が増えていく。そんな時代の、一地方の映画館を舞台にした物語。
心を病んだ中年女性と、黒人青年の交流。それはそれで、二人の心が通い合う感情の揺れ動くさまは美しくもある。だけど、なぜそう容易く(少なくと自分にはそう見えた)肉体関係を持っちゃうかなあ。そこを求めない、そういう欲望さえもない方が、物語として美しいと思うだけど、それは国民性の(もしくは単なる自分の好みの)違いなのか。相手に強めの好意をもつという感情は、性欲へとなるのか。堅い信頼由来の友情関係では満足できないのか。男と女の友情ってないのか。中年と青年の友情も、白人と黒人の友情もないのか。そのせいかな、オリビア・コールマンがいつのまにか寺島しのぶに見えて仕方がなかったのは。
そんなことを言ってるくせに、あとからさざ波のように押し寄せてくる余韻は、やはりあの映像や音楽に彩られて、美しい記憶として残っている。自分の中の美しい思い出も、こうして記憶されているだろうなあ。一瞬一瞬の静止画のように。その間が暗闇(苦い経験とか)であることを忘れたかのように。むしろ、暗闇に挟まれたからこそ、思い出は輝き、美しいのかもしれないけど。
女王陛下vs.英国王
パンチDEデートの桂三枝的には、エンパイア劇場と言うよりも…オリビア・コールマン劇場!(古すぎ)。特に、統合失調のよくないときの状態でスティーブンにまくし立て鬼気迫る様子は、ヤバいよヤバいよーと呟きたくなるほど圧倒的。プレミア上映のいきなり舞台挨拶でも、歯に口紅に付いてるとかの細かい演出がよかった。
日本だったら、こーゆー人は腫れ物に触る扱いをしそうだけど、職場のノッポ君にパンクな姉ちゃんはじめみんな優しくいい人たちで(元英国王除く)、ヒラリー復帰時のお祝いシーンには思わず泣けた。人間の脳はコマとコマの間の闇は認識できないというトビー・ジョーンズのセリフがすべてを物語っていて、終盤、映画館に勤めながら映画を観たことがなかったヒラリーがスクリーンの光を見つめるシーンでまた泣けた。
最近、立て続けに公開される「映画を描いた映画」はバビロンしか観ていないのだが、本作は色々な差別や抑圧を描きながら、暗闇に身を沈め映画を観ることがその救いとなっているという点で、チャゼることなく、とても上品かつ上質。作品の舞台は、スクリーン前にステージがあって両脇に彫像が立ち、絨毯が敷かれた大理石の階段を上がってホールへ向かう。まさしく劇場であり、シネコンばかりの現代日本にはこんな映画館はどこにもないだろうから、せめて丸ピカの2階席とかで観られたらより雰囲気が感じられたかも(しかし丸ピカで上映はなし)。
オリヴィア・コールマンに圧倒される
児童虐待の過去、統合失調症、人種差別、#MeeToo的隠蔽、サッチャー時代に生まれた格差社会のねじれ、、、要素てんこ盛りで、不安定な人間が出会えばこうなるよね、みたいな刹那的なロマンスの展開に鼻白む点も無きにしも非ずだったけど、オリヴィア・コールマンの熱量というか迫力というか憑依したような演技力にただただ圧倒された。
81年、大学生時代のヒット映画懐かしかった。その頃、こんな風な差別があったのはロンドンじゃなくてこんな風なシャビーな映画館のある片田舎だからこそだったのかなあ。全く解決されていない、新自由主義の蔓延した現代社会の問題がそのまま投影されている感じ。
アール・デコの素敵な映画館「エンパイア」が舞台の人間模様♪ 映画を...
アール・デコの素敵な映画館「エンパイア」が舞台の人間模様♪
映画をベースにした映画(バビロン、ファイブ ルマンズ)が多い今日この頃♪ これは空気感も景色も、いかにも英国の物語らしい映画。
物語の本筋からは外れるが、フィルム映画に関してのセリフや映像に映画愛が満載♪ 「レイジングブル」「炎のランナー」の時代、そして閉塞したサッチャー時代の英国。
緊迫した場面に微かに「炎のランナー」のテーマ曲が聞こえてきたり、お洒落♪
オリビア・コールマンは・・こういう役柄を演じると、嵌るし凄いなぁ・・。傷ついた心を癒すのも人、傷に塩擦り込むのも人・・。で、癒されることが必要な時は、おそろおそろながらもついつい無防備になっちゃう人間・・、結果が良ければいいけど・・実際は残酷なことが多いかも・・。
で、良き出会いがあっても、必ず別れもある・・一人では生きていくなくて♪おばちゃんだって恋したいよね♪ おじちゃんだって・・♪ ピーター・セラーズの「チャンス」が観たくなりました♪
エンパイア劇場が素敵
柔らかな音楽とともに、古くて格式のある劇場に順々に灯りがともっていく。このオープニングだけで、ぐっと期待が高まる。舞台となるエンパイア劇場が素敵。映像が、とりわけ夜のシーンが美しい。
しかし、これは好みの問題だが、主演のオリビア・コールマンに色気も魅力も感じられず、セックス依存のイタい中年女性としか見えなくて、感情移入できなかった。同僚たちもあまり真面目に働いているように見えなかったし。その中で、映写技師のノーマンはいい味を出していた。
「炎のランナー」や「チャンス」は、映画館で一人で映画を見始めた頃の作品。スペシャルズのツートーンスカも懐かしい。
エンパイア劇場のロケーションがあって成り立つ作品で、「映画」そのものより、今だからこそ「映画館」にスポットを当てた意図は理解できるだけに、残念。
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