「海辺の街」エンパイア・オブ・ライト 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
海辺の街
撮影がよかった。コールマンの演技もよかった。雰囲気もよかったが本題が転がって違うところへ落ちた。立派なプロダクトだがつまづいていると思った。
Rotten Tomatoesを見たら多数の批評家がディーキンスの撮影をほめていた。コールマンとMicheal Wardの演技も賞賛されていた。が、脚本は扱き下ろされ、トマトメーターは45%だった。
半ばまではとてもよかった。
80年代初頭、海辺の街。レトロな映画館。統失持ちの盛りを過ぎた孤独な女。
上質な雰囲気を撮影が支えていて、あとになってディーキンスだと知ってみると、感慨深いものがあった。
撮影(CinematographyもしくはDirector of Photography)が主張する役向きだとは思わないし、ディーキンスが撮っていることを察知できるほど映画通でもない。
だが予備知識なくEmpire of Lightを見て「撮影がいい」と思った点においてやはりディーキンスはすごいと思った。
Rotten Tomatoesでは筋書きやスクリプトが批判されているものの、どこかなぜいけないかの指定には苦慮が見られた。
たしかにどこがなぜいけないか説明しにくい。細かい違和感は指摘できても、決定的なconsポイントにはならない。
なんかちがうなと感じるところが多かったが「なんかちがうなと感じたから」だとレビューにならない。
このもどかしさの言い訳としてコールマンが上手だから──はあると思った。上手すぎるので筋書きや台詞の瑕疵がスポイルされてしまうのだ。
ヒラリー(コールマン)は辛い過去から統合失調症をわずらっており薬を常飲することで穏やかな気質を保っている。
メンタルに疾患をもちながら職に就けた義理のため館長の性的な誘いを拒みきれず関係を続けている。
新人の好青年スティーヴン(Micheal Ward)と会い恋愛感情がめばえるが、気分が高揚し薬を飲まなくなることで破綻があらわれる。・・・。
あえて言うならリアリティと感傷のバランスが妙だった。羽根を怪我した鳩をなおしたり、セラーズのチャンスを見て泣くのは感傷的だった。そこだけじゃなく、エモーショナルにしたい空気とリアリティでいきたい気勢が不整合していた。引用も唐突で、統失の彼女がチャンスを見て泣くのは出来過ぎだった。
だが哀感漂う白人女と黒人青年の恋慕はさわやかだった。
スティーヴンが遭遇する外世界のまがまがしさ(人種差別や暴動)を普遍的なものととらえることもできる。
わたしたちも幸福な気持ちのとき、まがまがしいものに遭遇することがある。
たとえば恋人あるいは家族と街や商業施設にいるとき、輩っぽいのがたむろして騒いでいるところに遭遇するみたいな──そういう状況におちいることがある。
そのような外的なまがまがしさと、ヒラリーのメンタルに起こる内側のまがまがしさ、それらが人と人の間に試練を及ぼし、乗り越える様子が描かれている。
世界はまがまがしいものだらけだからね。
言いたいことはすごくわかる映画だった。