「1980年代の英国南部の海辺の街に古くからある映画館エンパイア劇場...」エンパイア・オブ・ライト りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
1980年代の英国南部の海辺の街に古くからある映画館エンパイア劇場...
1980年代の英国南部の海辺の街に古くからある映画館エンパイア劇場。
かつては4スクリーンで上映し、バーやラウンジも併設していたが、いまでは2スクリーンで上映するのがやっと。
時はサッチャー政権下。
不況は蔓延り、黒人を中心とした移民への風当たりは強くなっていた頃。
そんな時代、エンパイア劇場で統括マネジャーとして働く中年女性のヒラリー(オリヴィア・コールマン)は1年前ほどに統合失調症を患い、いまも治療中の身。
劇場支配人エリス(コリン・ファース)には、愛人ともいえない関係で性的欲求を満たす要求をされていたが、周囲は薄々気づいていたのかどうか。
仲間たちともつかず離れずの間柄であったが、ある日、無断欠勤が続くスタッフの代わりとして、若い黒人青年スティーヴン(マイケル・ウォード)が新たなスタッフとして加わった。
ヒラリーとスティーヴンは、いまは使われなくなったバーラウンジの鳩を介抱することで急接近するのだが、ヒラリーの精神状態に良い影響もそうでない影響も与えるのであった・・・
といった物語で、「いい映画」というのが率直なところで、ただし、それ以上の何かしらの深みに乏しいのは、ヒラリーとスティーヴンが急接近する心情を描くのが乏しいせいで、ヒラリーはともかく、スティーヴンが彼女に惹かれるのがあまりよくわからない。
ま、ひとがひとを好きになる、惹かれるのに理由はそれほどないのかもしれないが、どうもね。
英国の80年代の時代背景は観ているとわかってくるので難でもないのだけれど、エンパイア劇場で上映される映画について、いささか予備知識がいるかもしれません。
音楽だけが流れる『エレファント・マン』とエンパイア劇場初のプレビュー上映作品『炎のランナー』についてはある程度の映画ファンならば説明は不要と思われるが、
スティーヴンが映写技師ノーマン(トビー・ジョーンズ)と観る『スター・クレイジー』と、巻末ヒラリーがひとりで観る『チャンス』については予備知識は、本作を観る上であったほうがいいかもしれません。
なので、
『スター・クレイジー』はジーン・ワイルダー&リチャード・プライヤーのコンビ、『大陸横断超特急』につづく2作目。
前作では脇役だった黒人のプライヤーがワイルダーとがっぷり四つに組み、超ヒットをかっ飛ばしたコメディ映画(日本では皆目ヒットせず)。
そろって懲役400年だったかを食らったふたりが脱獄するハナシで、リチャード・プライヤーが本作でマネーメイキングスターになりました。
さらに監督が黒人の名優シドニー・ポワチエで、スティーヴンが入れ込むのも無理はありません。
もう一本の『チャンス』はハル・アシュビー監督で、ピーター・セラーズの遺作。
原題は「Being There」、そこにいること。
富豪のもとで庭師だけをやっていた世間に疎いチャンス(ピーター・セラーズ)が、ひょんなことから政治家の妻(シャーリー・マクレーン)と知り合い、「庭仕事」の関する言葉を曲解されて政界に担ぎ出されるというハナシで、政界トップの座につきそうになるチャンスは、我関せずと天寿を全うする・・・という展開。
世間知らず、だれからも気にかけられていないのでは、というあたりがヒラリーの心に刺さるわけです。
(これは、映画の内容を知っていないと、ヒラリーが泪を流す理由は理解しがたいかも)
というわけで、過去の映画に少々おんぶにだっこ、というあたりは問題かもしれないのですが、治療を放擲して悪化、精神を病んで、果ては警官に扉を破られ、ソーシャルワーカーに救い出されるシーンで、キャット・スティーヴンス『雨にぬれた朝』を背景に流すあたりの対位法演出はサム・メンデス監督らしいなぁと感じました。