「暗いけど、心温まるリアリズム映画の秀作」エンパイア・オブ・ライト オカピさんの映画レビュー(感想・評価)
暗いけど、心温まるリアリズム映画の秀作
ゲーム、映画、ドラマ、なんでもファンタジーがもてはやされる昨今、久しぶりにリアリズムに徹底した、味わい深い映画を見ました。とても良かったです。
最低限の効果音だけで、ほとんど音楽もない、全体的に仄暗く、事件は起こるけど、それが劇的に人生を変えるものではなく、そう、現実を生きるって、そういうことだよね、と思わせる静かな力のある作品です。
トリニダード・トバゴ出身の知人がおりまして、映画を見て考えさせらたところ、以下ネタバレで、長くなりますが、興味あれば、読んでいただきたいと思います。
●オリヴィア・コールマン演じる、主人公ヒラリーの心の闇について
物語後半に、ヒラリーが不安定になって、子供の頃父親に性的対象にされたこと、母親からの保護もなかったことを泣いて叫ぶシーンがありました。
こうしたトラウマと愛着障害を抱えたまま、大人になった方のなかには、知能も高く、仕事にも真面目に取り組むことも出来るのに、他者と上手く関係を築けず、性的に他人に操られてしまう(支配人との関係に表れている)また、セックスで関係を維持しようと思いこむ(かなり年下の違う人種の青年と関係を持つことをためらわない)等、周囲から理解されないゆえ、社会的に生きづらい方がいます。
冒頭の医者とのやりとりからも、こうした患者さんは、生まれつきとか、脳の損傷が問題ではないので、トラウマの発作が起きないよう、冒頭にあるシーンのように、薬を服用しながら、規則正しい生活を送るということが、社会復帰のあり方で、ちょっとわかりづらいですが、現実的な描き方だと思いました。
スティーブンとの関係で、一時的に愛着を取り戻したかのようにみえるヒラリーが、気分の高揚と共に、薬を服用せず、強い意志の裏返しとしての、突飛な行動に出て、不安定になっていく様を、オリヴィア・コールマンが素晴らしい演技で魅せてくれます。演出もよくできている。
心配してフラットを訪ねてきたスティーブンから、心を閉ざすように、カーテンを閉めていく、彼女の眼の演技は凄かった!
●黒人青年スティーブンの背景ついて
母親と共に、トリニダード・トバゴから移住して来た青年、スティーブン。トリニダード・トバゴはカリブ海の島国で、イギリスの元植民地であり、奴隷貿易の拠点港があり、戦後は英国連邦の国家として独立しました。公用語は英語(イギリス英語)、教育も英語でなされます。なので、アメリカ映画で描かれる黒人や移民とは、少し意味合いが違います。
20世紀半ばまで、連邦からの移民は、自由に英国へ入国できましたが、段階を経て、より制限が厳しくなったのが、この映画で描かれた1981年です。
●イギリスの時代背景について
1979年、イギリスの首相になった保守党のサッチャーは、衰退する英国経済を復活させるために、政治経済に大鉈をふるい、炭鉱の閉山、労働組合の解散などを断行しました。物価が上がり、斜陽の国が再び経済大国として浮上するきっかけにもなりましたが、その一方で、多くの失業者を産み、労働者階級が不満を募らせた時代でもあります。
映画の舞台、ケントはロンドンから列車で小一時間なのですが、どこか取り残されたような、少し寂れた海辺の街。きっとこの劇場も、60年代には賑わっていただろうと、想像させます。
映写技師の仕事も昔ながらで、そうか、今はデジタル化と共に、映写室もなくなってしまったのか、と切なくなりました。
主人公は、心の病を抱えながらも、優しい同僚達に支えられ、社会復帰することができて良かったと思います。
日本だったら、小さな街で恥を抱えて生きていくのは、もっと大変でしょうからね。
小さなドラマを重ねながら、季節はまためぐっても、緑の芽吹きは決して去年と同じではなく、少しづつ変わりながら、やがては朽ちていく…。心に染みるエンディングでした。
サム・メンディス、さすがです。
フォロー&「TAR」へのコメントありがとうございます。
引きずり込まれるような作品は、久しぶりです。頭を整理してから「TAR」の2回目に臨もうと思ってます。