「劇場の光は さまざまな人生を映し出す」エンパイア・オブ・ライト humさんの映画レビュー(感想・評価)
劇場の光は さまざまな人生を映し出す
イギリスの田舎町・海岸通りのエンパイア劇場の朝
まだ誰もいない館内の静寂
重いドアがゆっくり開き、ガス灯色のあかりがつくたびに趣きが照らされていく
華やかな赤い絨毯の表情と靴の下の幸福な感触、どこかの世界に自分を連れていく階段、ポップコーンの香りは高揚感と一緒に鼻の奥で弾けて散る
一歩踏み入れると全てをわくわくさせるのは
そこが心を震わす特別な場所だとわかっているから
…………
開場のためのルーティンをさっさとこなすヒラリー
長く勤めていることがわかるテキパキとしたその姿
一転、
宙を仰ぐまなざし、バスタブの湯に潜る姿、何かを避けあわててレストランから出る寒い夜…そこにみえるヒラリーだけの時間は、影に覆われて虚ろに佇む池のよう
親への不信感の中で育った過去は愛される記憶の薄さ故に自尊心を知らず、苦痛や屈辱をないことにして過ごせるように彼女を慣らしたのだろうか
支配人の思うままに、愛情の見えない不倫関係に繋がれる諦めの日々は、不況の荒波にのまれて使われなくなった劇場の立ち入り禁止の部屋のように時を止めている
ヒラリーにとっての劇場は、わくわくさせる場所なんかでなく淡々とくり返される日常でしかなかった
そんなヒラリーが、職場に入って来た青年スティーヴンと心を通わせるうち恋に落ちる
不安定だったヒラリーの心身は好転し、笑顔の質も見違えるほど
薬の瓶を手に取ることなく戸棚の扉を閉め、主治医の前で今までのように無理をせずに振る舞う
おしゃれに気を配るようになり、冴えない顔で踊っていたダンス教室での様子も生き生きと楽しげになる
そして何よりも、支配人の嫌な誘いをはっきりと否定できるようになるのだ
切なさでしめつけられるように観ていた前半の彼女が変わり、私も胸をすくわれるような気分で見入る
一方、スティーヴンは人種的な迫害を受けながら数々の辛い経験をし進学も諦めていた
彼が夢を持つ姿をみることは、ヒラリーにとって現実逃避であり疑似体験的な希望を抱く意味があったのかも知れない
人を器で決めつけず「諦めちゃだめ」と温かく素直な気持ちで励ましてくれるヒラリーを彼は信頼した
そして彼もまた、劇場に勤めているだけで自分は映画を観ないというヒラリーに「映画を観て」とすすめる
ヒラリーの心にある空洞に気がついていたからだ
傷を負った鳩をふたりで助けたように、お互いのやさしさに触れながら歳の差も人種も越え補い合うように関係を深めていく
海へ続く美しい景色。
幸せそうな表情。
開放感。
愛おしさ。
砂の城。
情緒の波。
肩を寄せる二人。
視線の冷たさ。
やるせない哀しみ。
にじむ優しさ。
あるまじき暴力。
いわれなき差別。
呼び戻す不安。
つくられる悪。
無理のない関係。
心の叫び。
落ち込みと自責。
人としての魅力に心を通わせた2人の穏やかな時は1980年代の負の社会情勢も背景にして変化し、やがて訪れる
〝別れと出発。〟
胸に迫るあの抱擁と過去になっていくシルエットが残光に浮かぶ
劇場は、さまざまな人生を映し出す
その光が溢れんばかりのものであろうと、一筋のものであろうと、かけがえのない尊い意味をみせ全身に流れこむ
そして
「人生とは心の在り方」だとささやいてくれるのだ
魅力的なロケーション、キャスト、ストーリー
愛しいおもいに掴まれる作品でした
修正済み
コメントありがとうございます
同じシーンでの共感は嬉しく思えます!
しばらく食べていませんでしたがポップコーンの香り…とても贅沢な物なんだなぁ⭐️感になった素敵なレビューですね!
コメントありがとうございました。情感あふれるすてきなレビューと思い、いいねさせてもらいました。これからも人生を映し出す暗闇の中に通い続けていきたいものですね!
コメントありがとうございます。ノーマンの物語も気になりますよね!
出来れば22歳になった息子さんとの暖かな展開を見たかったです。
ラストの抱擁も、仰る通り別れと出発を、哀しくも爽やかに描いていた名シーンでしたね!
コメントありがとうございます。あの映画館素敵ですね。日本でも昔の映画館ってあんなだったかなあ?なんか汚くて臭い印象しかないなあ。タバコ吸ってるおじさんに注意したら馬鹿にされて意地悪だった(私は当時高校生?大学生?覚えてないです)。シネコンは機能的で快適です。でもハレの雰囲気は残念ながらないですね。いずれにしても映画館大事。配信で見ることができてもなるべく映画館で見たいです
今晩は。
私のレビューとは異なり、素敵で詩的なレビューですね。
今作は、私は映画館で働く人たちにスポットライトを当てた点も良かったなあ、と思います。
私は映画館ではポップコーンを一度も食べた事が無いのですが、概ねマナーの悪い方は、年配の方が多い気がします。けれども(多分アルバイト)の若き方々は今作にあるように、丁寧に客に挨拶し、ササっと掃除をして気持ち良く映画を観る空間を創り出してくれています。
今作はその様な方々への敬意も含めて作られた映画ではないかなと思いました。(いましたよね、フィッシュ&ティップスを持ち込もうとした下衆なる親父。)では。