砂塵にさまようのレビュー・感想・評価
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巨匠のデビュー作
イランの巨匠、アスガー・ファルハディ監督の長編デビュー作。一作目には作家のエッセンスが詰まっているとよく言われるが、この監督も最初の長編から持ち味を発揮している。青年が愛する女性と結婚する。しかし、とある事情からすぐに離婚するよう言われ、慰謝料を払わないといけなくなる。愛する妻と別れるのはつらいが、慰謝料を工面することも別れた妻への愛の証しだと考える青年は、危険な毒蛇捕獲の仕事を始めようとする。
しかし、彼には結婚当時にした借金もまだ残っているのだ。借金取りに追われて、偶然の乗った車は人の気配がない荒野の砂漠へと向かう。そこで毒蛇取りを生業とする初老の男性と諍いながらも毒蛇を取ることになる。
離婚や愚かなことに懸命になる男性、イラン社会の保守性など、後のファルハディ監督が題材とするキーワードがいくつもあることに気が付く。蛇に噛まれた指を切り落とし、接着してもらうために氷と一緒にビン漬けにした指と蛇の入ったビンが隣り合って映されるカットが妙に印象的。全体的に粗削りなのだが、監督が描きたいものがはっきりと示されている。
ネタバレあり。哀れ男の結末。男はつらいや!
『愛された理由は?』
『さぁ?』
『聞けば良かった。』
『聞いても答えない。』
『なぜだ?』
『女はみんなそうだ。』
この会話を聞いて、愛していると思っている男の傲慢さを感じた。答えてくれないのが、本当は『愛していないから』とは大概の男は答えない。
その後、老人の奥さんの話になる。
『なぜその人を殺したか?』
『妻に目をつけたからだ。』
『奥さんを愛していた?』
『最初はな。』
『その後は?』
『愛していない。』
『じゃなぜ写真なんか?
裏切たのか?』
『妻の為に殺したんだ。』
やはり、この老人も男。
傲慢そのもの。
『妻は捕まったら消えた』と老人は締めくくる。
いきあたりばったり
今では巨匠のファルハーディ監督の長編第1作。愚かな若者が結婚し、離婚させられ、金に困って行き当たりばったりの行動するというお話。
一途な若者の行動はコミカルではあったが、なんだか支離滅裂だ。
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