ボーンズ アンド オールのレビュー・感想・評価
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骨まで愛して
RAW少女のめざめ(2018)やぼくのエリ(2008)を思わせる。
世間から隠れ、人と違う体質に葛藤している。
人食はしたいが非道はしたくない。
とてもそういうものを描いているとは思えない語り口でもっていく。
同情しにくいが人食をとったら自分探しのロードムービーになっていた。
マレン役テイラーラッセルはジェナオルテガに似ていた。
サリー(ライランス)やリー(シャラメ)と道連れになったり離反したり、人食と自分の出自に納得のいく答えを見つけようとする。
思春期らしく乱れる心象が描かれ、なぜこれが食人ネタのホラーになっているのか不可解なほどの逃避と恋愛と青春のドラマになっている。
ふたりの無頓着な気配がいちばんの魅力。着のみ着のままであちこちを巡る。からだが訴えるフリーダム。適当な服装とぼさぼさの髪とシャラメのだらしない英語。New Orderがかかって眺望がひらける。謳歌される若さ。
さすがルカグァダニーノだと思った。
とはいえ食人と青春はアンバランスだった。
が、ラストでようやく腑に落ちた。
なるほど「骨まで愛して」と言いたいために恋愛を描いたのか、と。
まったく気づかなかったがこれは城卓矢の1966年のヒット曲「骨まで愛して」を映像化したものだった。
すなわち、愛する彼氏をフルボーンズしちまった少女の悲哀の物語。
愛しているからあなたを食べる──という究極を描いていることでRAWやぼくのエリというより大島渚の愛のコリーダに近い映画になっている。
──と考えたら笑うところじゃないのだがなんか笑えた。サスペリアもそうだがグァダニーノの何がすごいって与太話を壮大に語ってしまうところじゃなかろうかw。
思春期とカニバリズム
思春期とカニバリズムを合わせて描いた作品として、近年の「RAW少女のめざめ」と少し比較して観てしまったのだけど
(以下RAWの内容に触れるので注意してください)
両者とも、食人の衝動を血筋や遺伝的な継承があるように暗示されてるんだけどRAWはそのあたりがめちゃくちゃ上手くて(一人に焦点を当て切っているのもあるかもしれない)。遺伝的するとゆうことに納得度があったけど、ボーンアンドオールは、いまいち納得ができない部分があったり、食人が食欲なのか愛情の衝動と関連してるのか、何故同族は食べてはいけないのか(それが彼らの論理なのか、本能なのかみないなことが分からない)カニバリズムを扱ってるのに
何となくそのあたりがフワフワしてるのが気になる。
吸血鬼ものなのに、性質の設定があやふやだとなんか嫌だなってゆう感じに似てる。
遺伝することに感しての納得度が得られないのは、親子感の確執のメタファーとして食人を描いてる様に見えてたり
思春期もので、ロードムービーで、食人もあって、親子や家族の確執もあってなどなど盛り込み過ぎた結果、物語の強度が低い感じに仕上がってしまっている印象。
サリーの存在も少し意味わからなかったな、狂人的ピエロの様な存在なのは分かるし、行動に論理的な説明ができない人物として描かれてるんだろうけど話を無理矢理進める為に無理矢理いる存在のように見えて、何だかなとゆう感じ。だから落ちもね、なんだかな〜って感じ。
文字通り"骨まで愛して"のロマンチックな感じにしたかったんだろうなぁみたいな感想。
君の名前で〜のときも思ったがこの監督は
物語より気持ちいい決め絵や、空気感でいい感じに観せるのが上手くて
結果中身がやや薄くみえる作風なのかもと思う。
主人公のテイラー・ラッセルさんの世界に納得してない様な目や、少女と大人の間のような素朴なたたずいや、服のスタイリングと
80年代の様なノスタルジーのある風景が良かった。
シャラメもセクシー。
美しいぞ、これは。
なんだろう、ちょっと不思議な気分。
人肉を食べる種族がフツーにいて、
その人たちの恋愛事情を垣間見た感じかなー。
だから、人肉を食べるという非日常な行為が二の次三の次ぐらいになってて、
ストーカーやその種族の生き辛さの問題や…
最初はウゲッて思ったのに、いつの間にか受け入れてた...。
とにもかくにも、純愛の二人が美しい...。
それにしても、ティモシーから目が離せん。
俳優も雰囲気も悪くないのに、色々と残念
原作既読した者としての感想。
予告編の絵面や雰囲気、俳優は、原作の魅力をいい感じで体現してくれていそうだと期待したんだけど。観終わって残ったのは残念感のほうが強かった…
普通の人間の中に、なぜか生まれてしまうイーター=人喰いという忌まわしい存在。その人喰いである少女マレンが主人公だけれど、本作は、マレンと、同じく人喰いの少年の恋を中心に描いたが故に、恋愛ものとしてもホラー?としてもどっちつかずになったように思う。
原作は、マレンが人喰いであるため実の母(映画ではなぜか父に変換されてる)にも疎まれて見捨てられ、ひとりで生きていかざるを得なくなる。その設定は映画でも変わらないが、何が違うといって、マレンが人を食べるのは、自分に対し好意や愛情を寄せてくれて、かつ、自分もその人に惹かれた相手に限られる、という重要な設定が映画では失われている。つまり、自分が誰かを好きになればきっと人喰いの衝動を抑えきれず殺してしまうから、マレンは人と親密な関係が築けない。この上ない孤独を抱えてしか生きられない少女なのだ。
その彼女が、人喰いの少年と出会って惹かれあい、いったんは別れてもまた二人でいることを選んだ時に起きる出来事が、マレンの生き方を定める。つまり原作は恋物語ではなく、マレンの辛い成長と自立の物語なわけで。美しくも哀しく、恐ろしい捕食者として歩き出すマレンを、映画でも描いてほしかったなあ。そうすれば、少年リーを演じるティモシー・シャラメの繊細な美貌は、マレンへの供物としていっそう輝いただろうに。
原作と映画は別もの、とわかってはいても、やっぱり残念なものは残念だし、たとえ違うものになるとしても、違う魅力を見せてほしいと思うのですよ。
人を喰って愛を貫く二人
人喰い族というホラー映画然とした要素が売りの作品であるが、本作はただそれだけの作品ではないように思う。そこにはマイノリティの苦悩が隠されているような気がした。
マレンやリーのカニバリズムの衝動がどこから来るものなのか。それは映画を観終わっても良く分からなかった。ただ、遺伝が関係していることは明確に示唆されており、そこには抑圧されながら生きる被差別民の姿が投影されているような気がする。
また、食人の衝動はここでは恋愛の衝動に似た意味で語られているような気がした。
例えば、それは同族を匂いで感知するという彼らに特有の本能からもよく分かる。これはオスとメスが放つ”フェロモン”に近い生理的現象なのかもしれない。
また、彼らは生きていくために我々と同じように普通に食事をするが、人肉を喰うと特別な興奮と快感が得られるということだ。これはセックスの快感に割と近いものなのかもしれない。
こうしたことを併せ考えると、マレンとリーが惹かれあっていく今回の物語には”性的少数者”の苦悩が何となく透けて見えてくる。
人種差別やLGBTQ等、本作は深読みしようとすればいくらでもできる作品であり、単にホラー映画という外見だけで捉えてしまうには惜しい作品のように思う。物語の根底に忍ばされたメッセージを汲み取りながら観ていくと大変歯ごたえが感じられる作品である。
ただ、寓話としては面白く読み解ける作品なのだが、このカニバリズムという設定はやはり余りにもインパクトが大きい。それゆえ、どうしてもその意味については解明を試みたくなる。
しかして、本作はその本質に迫れているか?と言えば、自分はそこまでの深淵さが感じられなかった。どうしてカニバリズムなのか?その真意が読み解けなかった。
本作にはヤングアダルト小説の原作があるようだが(未読)、そちらにはマレンたちが食人になった経緯などは書かれているのだろうか?
監督はルカ・グァダニーノ。展開で首を傾げたくなる個所が幾つかあったのと、マレンの父親が残したカセットテープが余り上手く活用されていないことに不満を持ったが、演出は概ね安定しているように思った。リメイク版「サスペリア」に続き奇しくもホラー付いているが、見せ場となるようなビジュアル・シーンは前作ほどの刺激性はないものの、作品のテーマとしては十分に野心的で先鋭的で、改めてこの監督の独特な作家性には魅力されてしまう。
キャスト陣では、どうしてもリーを演じたティモシー・シャラメに目が行ってしまうが、サブキャラにも魅力的な俳優が揃っている。
特に、マレンが最初に遭遇する同族のサリーを演じたマーク・ライランスは印象に残った。自己の中に人喰いの自分とそうでない自分を抱えた精神分裂症気味な怪演がインパクト大である。
また、マレンたちに骨まで喰う恍惚感を嬉々として語るマイケル・スタールバーグ、マレンの母親を演じたクロエ・セヴィニーも少ない登場ながら印象に残る演技を見せている。
咀嚼するのに時間がかかる
稀に、咀嚼しきれない映画を見る事がある。まさに今回の映画はその類のものだった。想像しやすいストーリー、演技派ぞろいのキャスト、観客の情感を煽る数々の旋律。計算されつくされた美しさは、一見チープとも言えた。けれど、飲み込めない。心のどこにもつっかえないままに、映像は流れていった。
もちろんそれだけと言えばそれだけなのだけど。同じ監督の映画を見た際に似たような感情を抱いたので、少しこの気持ちを解きほぐしてみようと思い文字に書き起こしている。
人をくらうという事を軸としたこの映画は一体観客に何を投げかけているのか。正解のない日々にもがきながらも微かな幸せを、大切に大切に抱きかかえながら過ごす日々。その刹那の瞬きの中に何が隠されていたのだろう。
人は常に何らかの欠陥を伴い、孤独というものに鈍感であり、敏感だ。
一度自らの不足分を知ってしまったら、孤独に気づいてしまったら、あっという間に均一だったはずの世界は崩れてしまう。もう過ぎ去りし日々の思い出は散々に砕かれて、かき集めた愛しい日々はどろりどろりと指の隙間から滴り落ちていく。
脆くて愚かな人間は、ここでどうしようもない矛盾を抱える。
美しく生きたい。醜く生きたい。それは生に対するどうしようもない憧れと執念が生み出した魔物だ。誰しもの心に巣くうおどろおどろしく、気高い魔物。
私達はその片鱗を映画の中に垣間見たのではないだろうか。
骨ごと食いつくしてしまうことで得られる恍惚感。後には何も残らない。
白いシーツは真っ白で、風で柔く揺れる草原はおぼつかない。それが幻であれば。それが私の一部であれば。私はもっと強く生きていけるだろうか。この矛盾を愛しいものであると認めれば、もっともっと、私は美しくあれるだろうか。
これが私なりの映画の解釈だ。
最後の自問に対する答えはない。それは、これから生きていくうえで見つけていきたいことだ。
hungry like the wolf
冒頭の、
女の子たちの部屋で、
「Save a prayer」
(「hungry like the wolf」が入っているアルバムの曲)
時代設定、
主人公の年齢、
歌詞の意味、
なんとなく展開がわかる。
アウストラロピテクスが、
2000000年前、
紀元から、
2000年、
とすれば、
ケダモノの時代の方が、
圧倒的に長い。
というわけではないが、
こういう作品を今年のベスト、
いや、
人生のベスト作品に挙げる人も多いだろう。
この主人公の2人に共通する特徴を自分の何かに当てはめて、、、。
これは好きだった
人喰いの少女マレン。
人を食べたいという強い衝動。
他とは圧倒的に違う「一人ぼっち」感が好きだった。マレンを演じたテイラー・ラッセルの無垢な感触が好きだった。
ティモシー・シャラメ演じる同族の青年との出会い。彼らの「二人ぼっち」感が好きだった。
もう一人の同族はマーク・ライランスが演じた謎の男。40歳以上歳が離れたマレンとの実らね恋。彼と誕生日が5日しか違わない自分はまさに同世代。彼の孤独とグロテスクな行動の一部始終が身に沁みた。
アメリカ🇺🇸各地を転々とするロードムービーとしても秀一。映像美、音、そして音楽が好きだった。
そう、この作品かなり好きだった。
凄い役者揃い
登場人物は皆孤独を抱えている。
いい人そう、から始まる二人。一緒にいられなかったサリー。それでもどんな時でも孤独は各々に存在する。
愛して食べても孤独は存在するきっと。その後のマレンは。と思いを馳せる。
それにしてもキャスト全員の演技は鳥肌モノ。全てのシーン。みごたえありです。
骨の全てまで
結構好きだった。
この監督が映し出す"人"は本当に綺麗。
アメリカの田舎町に映る、社会からはみ出た2人の逃避行。その随所で切り取られる2人の表情が凄く印象に残ってる。
テイラーラッセルの現実を知った哀しみやときたま見せる本能的な表情。ティモシーのどこか幼さを感じさせつつも、重たいものを経験した上でのやるせなさ。
そんな負の感情の中で、2人が惹かれ合うなかで見せるあどけなく光を感じるような瞬間。
そのときどきで見せる表情が、背景と音楽と(あとだいたい車と)合わさってグッと心に何か訴えかける。
社会の中で孤独感を感じ、それでも生きていく。
背負ったもの・経験したものの重さはけっして1人ではかかえきれない。サリーや母親のように。
お互いを補完するかのように惹かれあって、
骨まで全て愛してる。
人肉食というかなりハードなテーマだけれど、
移り行く心情変化と、純愛の中で、ホラーにはし得ないどこか爽快感をも感じる、そんな後味がした。
ティモシーシャラメ
ティモシーシャラメは全部すてき。
マレンもワンピースが似合ってかわいかった。
テキ屋のお兄さんがかっこいい。彼が君の名前で〜に出たらよかったのに。
ルールはそれぞれ。あなたと私のルールは違うってセリフがかっこよかった。
シャラメじゃなかったらみなかったかな…。
本能から
彼らは人を食べなくても生きてはいけそうに見えましたが、本能が抑えられなくて衝動的に人を食べてしまう様にみえました。理性では抑えられない何か、、、例えば性欲の様なものでしょうか。
グァダニーノのカメラは、80年代の荒んだアメリカを舞台にしていても芸術的でしたし、燻み具合も絶妙でした。ティモシーもこういう陰のある役が良く似合いますよね。
普通ってなんだろう?
ひとを食べる衝動が抑えることが出来ないもの同士のロードムービー。
ものすごい設定だなと思っていたが、美しい映像と美しい役者の美しいラブストーリーだった。
グロさはほとんどなく、もっと多くの人に見てもらいたい作品だと思った。
自分を尊重していく。多様性を認めていくという社会の流れがあるが
自分を尊重することが、人を傷つけることになってしまう。そんな悩みをもっている人が存在することに気が付かされた。
世の中の普通とはいったいなんなのか?
普通なんてあるのか?という思いにさせてくれる作品だった。
ヴァンパイヤや人狼のアレンジかな
ティモシー・シャラメを観に行っただけなので、内容への賛否両論云々はどうでもよくて、「もうちょっとシャラメのカッコいいシーンを増やして欲しかった」という感想がまず真っ先にw
基本、世の中に受け入れられないマイノリティとして「人喰い一族」の設定を出しているのかなと。
ヴァンパイヤや人狼と変わらない、人間の命を糧に生きる魔物みたいな扱いですが、それらは現代ではもはやファンタジーとして定着してしまい陳腐さすらあり、ホラーになりにくいので、こういう風にアレンジしたのかと理解しました。
そして、この設定だと、「死んだ相方を食べること」がセックス以上の「一つになる恍惚感」をもたらせるわけで。
いろいろあざとさも感じてしまいました。
まさかカニバル映画で感動するとは…
ホラーではなく人食いによる純愛ロードムービーといったストーリー。
R18でゴア描写もしっかりあるが、ティモシー・シャラメの美しいビジュアルによって緩和されているのか鑑賞していて苦にはならなかった。
この作品は人食いを社会的マイノリティーとして描いていて面白い。
人を食べたいと思う衝動や食べることに対する苦悩が丁寧に描かれているので、だんだんと人を食べる人もいるのかと途中からうっかり受け入れてしまった。
ラスト リーがマレンに向けて言った「骨まで全部食べて」という台詞でタイトル回収。
ラストでしっかりタイトルの意味を回収し、またその行為が人食いにとって愛情表現の最上級の行為だと気づいたとき、妙に感動してしまった。
同族は食べないとタブーにしていた行為を最愛の人にしなければならないマレンのつらさ。最愛の人にだったら食べられてもいいと思うリーの愛。
マレンが泣きながらリーを食べるシーンはおぞましいのに、確かな愛がある感動シーンになっていた。
グロいシーン以外はいいよ、良いのよ。。
すみません、ホラー系が苦手なもので...
ティモシーシャラメの美しさだけが救いでした💦
(中性的なファッションも大好物でした)
途中から『人喰い』という設定は見ないようにしてました。
同族であると気付き、好意を持つ。
これって普通に、
特殊なカルチャーが好きだったり
特殊じゃなくても、同じアーティストが好きだったりしたら、お互い心開きますよね。
だからこの作品も『恋愛ドラマ』として見ていたんですが...
サリーちゃんてば😭
ストーカー親父だったのかよ!!
現実世界にも居ますよね、
自分の事わかって貰えると思ってる痛いヤツ。
相手の気持ちも考えず、独りよがりもいいとこです。
あのお母さんも、娘からは狂ってる!と独りよがりな考えだと思われたけど、
でも親からしたら、
こんな血は断つべきだ!と思うのも分かる。
だって、その後の彼女はどう生きるの?
辛すぎて、考えたくも無いわ。
タイトルの意味は、、
骨まで愛して...ってのと、
愛する人とひとつになる...っていう事なのかな?
百歩譲って、
同じお墓に入るのと一緒って事??
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