TAR ターのレビュー・感想・評価
全101件中、41~60件目を表示
性別関係ない世界
ターの圧倒的な実力と魅力は本人の努力の賜物だけど、圧倒的な権力を持つと人はその力を行使したくなるんだろうな。
若者をフックアップしてるつもりでも、体裁を保つ為にあっさり切り捨てる。
ターはレズビアンだから、とかではなく、人間にはジェンダーの境目なんてなくてコミュニティ内のパワーバランスで成り立っている、んだな。
もちろん、個体差があるけど女性=協調型ってわけじゃないよ、と。
てか、そもそもジェンダー論を唱えてる時点でアレだな。
映画館が暑くて大学で教えてるシーン、ちょっと眠くなっちゃった。最後あのシーンが効いてくるから必要だったんだけど、淡々とターの日常を描いているから最初はちと退屈。
でも、退屈で安定した頂点の生活が愛欲によって少しずつ崩壊していき、フックアップしてるつもりで踏み台にされちゃってるラストとか、もう老害ってこういうことなんだな…と美しいケイトブランシェットを見て思う矛盾よ。
さすがのケイト・ブランシェット
正直長く感じた。前半部分なにが起きてるのか、もしくはこれから起きるのか全然分からなくて退屈に思えた。
が、後半部分は何とも不気味なある種ホラーのような気味の悪さと追い詰められて狂っていく主人公ターを演じるケイト・ブランシェットの素晴らしさ。
後半は良かったけどちょっと自分には難しかった。
ケイト・ブランシェットは凄まじい存在感があって流石でした。
エンターテイメントとしてブラッシュアップの余地あり
内容やストーリーがダメかというと、そんなことはないのだけれど、2時間40分の長尺にした挙げ句、明快なエンターテイメントにしなかったのは頂けない。かといって、心の深部に入り込んだ芸術作品でもない。アカデミー賞の脚本賞と編集賞の候補になったにしては、構成がお粗末すぎて、「面白くなりそうなんだけど、この部分はカットして、この内容を足して」と演出家などに沢山直されそうな脚本がそのまま映画になってしまっている。
ターと誰か(評論家、仲間の指揮者、師である先輩指揮者)とのツーショットの会話が長すぎ、あの部分をもっと簡潔にして、ターによる過去のパワハラ兼セクハラをもう少し分かりやすくし、転落後の彼女の話を厚くした方が、エンターテイメントとしてもっと楽しめた。
主人公が男性で、権力で女性音楽家を食い物にしてたというありがちな話を、時代に合わせて、主人公が女性で同性愛者に変えただけのストーリーになってしまった。
ノエミ・メルラン不発でした
ケイト・ブランシェトとノエミ・メルランのカラミに期待して観ました。
ノエミ・メルランの映画は「不実な女と官能詩人」から続けて七作目です。
ベルリン交響楽団の主席指揮者になったリディア・ター(ケイト・ブランシェット)。なんだかんだ言っても、女王様。第一バイオリン奏者のシャロン(ニーナ・ホス)とは婚姻関係をもち、養女と3人で暮らしていました。フランチェスカ(ノエミ・メルラン)はリディアの弟子で、マネージャーでしたが、副指揮者候補でもあり、師匠を熱愛(プラトニック?)していたような。突然、新人のチェロ奏者にぞっこんになりるリディア。以前にちょっとつまみ食いしたクラリスという女性奏者の処遇を巡って、フランチェスカと齟齬が生じ、男子学生へのパワハラ動画がSNSに流されるという今時のストーリー。そこへクラリスが自殺したと報道され、両親から訴えられる。クラリスの自殺への関与をマスコミに嗅ぎ付けられる一方、フランチェスカが突然失踪してしまいます。ノエミ・メルランは蛇がうようよ泳ぐ汚い沼の筏の上で横たわっていました。蛇に噛まれて死んだのでしょうか?自殺?よくわかりませんでした。
ニューヨークで出版した自叙伝はスキャンダルのせいでかえって売れたかも。
ケイト・ブランシェットは英語もドイツ語もスラスラですが、ドイツ語と時の字幕が出ない。これは片手落ちじゃないの?
メジャーな交響楽団から干されたリディアはタイだがラオスだかの楽団の指揮者に招かれますが、お客さんたちが、みんなへんなコスチューム。モンスターハンター?
わけがわかりませでした。
うーん😔
もしかしたら、ターっていう題名は
モンスターとハンターのターにかけたのか???
かなりのモンスターペアレントだったし、あっちのほうではかなりのハンターだったようですしね。
とにかくケイト・ブランシェット
結論から先に言うとケイト・ブランシェットの演技につきる作品だと思います。
とても丁寧に作り込まれている作品だとは思いますが、説明が少ないのである程度クラッシックに関する知識がないと、作品の良さが分かり難いものになっています。また、各エピソードが映像ではなく会話の中で語られることが多いため、かなり集中して観ていないと、ストーリーに付いていけなくなるかもしれません。もう少し万人受けするように分かりやすくして欲しかったです。特にラストシーンについては、私はTVゲームの類いを全くやらないので、正直なところどういう意味なのかよく分からなかったです。観賞後に調べてみてようやく分かったのですが、事前に分かっていれば、また違った感想を持てたのではと思うと少し残念です。
ただ、先にも述べましたがケイト・ブランシェットの演技には凄まじいものがあり、それだけでも一見の価値はあると思います。とても演技をしているとは思えないくらいターになりきっていました。何故この演技でアカデミー賞の主演女優賞を取れなかったのか不思議でなりません。
作品の評価としては、分かりにくい点を考慮すると星4つなのですが、ケイト・ブランシェットの演技に敬意を表して星5つとしました。
教えてあげよう族が湧いてるかと思ったらそうでもなかった/字幕が女言葉で?
なるべく事前情報を避けたいのでここも全く見ずに映画館へ。
終了後、皆さんの豊富な知識応酬合戦になってる映画.comを想像しながらるんるんレビューを開いて肩透かし。
「実際のところバッハは……」「フリーボウイングとは……」「このレストランは実在するんだけど……」「なんでアダジェットがヴィスコンティだと笑いが起きるかというと……」「てゆーかマラ5の最初のファンファーレをこうするところがアイディアで……」「ジャクリーヌ・デュ・プレ、出たーーー!」「このプライベートジェットの型式は……」「コッポラが撮ったのはもちろんベトナムなわきゃなくて……」「てか、ここでワーグナーに繋がる、基本メインの登場作曲家が皆ドイツなわけで……」「佐渡裕も英語とドイツ語ちゃんぽんだったかも……」「これはバーンスタインですね」「これはモンハンのコスプレ上映会でなんでヘッドホンかというと……」。
パンフには上記などなどが全部解説されてるんでしょうか。
あと、とりあえずベルリンフィル・コンマスの樫本大進の感想を聞きいてみたい。
音のいい映画館を選ぶほどオケシーンが多いわけではない。いきなり爆音になるシーンも演出的コケ威で指揮台に立っていてもあんな音量ではないでしょう(多分ボリバルを除く)。
ターの話し言葉の字幕がいわゆる女言葉なのは映画会社や翻訳者で葛藤はなかったんだろうか。
ペトラのパパですよ〜とまで言ってるんだが。もし日本特有の女言葉に訳されてると製作陣が知ったらどんな反応になるんだろう、と思った次第。トランスジェンダーじゃないにしても、せっかくあんな大熱演してるんだからそういうところはもう少し原語への歩み寄りがあってもいいかな。
苦しくなる
裁判、恋人との関係、アシスタントの不在、副指揮者との断絶、スキャンダルなどいろいろな負を背負ったまま最後の演奏に挑むと思ったら転んでメンバーを殴って終わる。あれだけ練習したのにそれだけか。鬼気迫る、それこそ火が出るようなとんでもない演奏が見れると思ってわくわくしていたら肩透かしだ。そんなつらい目にあっても人生は続くし、しかし身から出た錆でもある。
ターが実家に戻ってVHSで見た指揮者の言葉が心にしみる。
テーマ性や表現はすごいのだけど、全体的にお高い感じは全く好みではない。しかし、お高い世界だからこその高みが存在する。
現実世界でも過去の女性に対する行為でピカソの絵が値下がりしているという。創作や芸術や表現が、決して民主主義でも正義でもないことは当然なのだけど、それを是としない人々がいる。SNSのロボットと言われた人々が是とする、コンプライアンスでOKな表現や作品と、魂の自由を信じる人々が求める創作に、この世界はぱっくり別れるのではないだろうか。もうそうした動きは始まっているようだ。
納得や理解が難しい
自分は同性愛者でありながら、ジェンダーの批判的観点をもつ学生を圧迫する姿勢は納得できず、お気に入りの団員をわざわざオーディションにかけながら、他の団員の応募者はなく、非団員の応募者と天秤にかけるはめになったり、養子や恩師には親密な態度を示していたが、迷い込んだ家でけがをしてからは、ボタンのかけ違いのように不具合が次々と起き、パートナーとも行き違いになり、『地獄の黙示録』の舞台に行くことになってしまう。演奏場面が多かったのは良かった。
私の見た、「TARター」
「ター」の予告編は、マーラーの交響曲5番の冒頭を、ケイト・ブランシェット演じる主人公が指揮する場面で始まる。ベートーヴェンの交響曲5番、いわゆる「運命」の、あの旋律が、歪んで、肥大化して飛び出してきたような、エキセントリックなフレーズ。その鮮烈で、ある意味、グロテスクな音響と、両腕を鷲の両翼のように天に向かって突き上げる、ターのアクションが見事にシンクロし、同時に、マーラーの音楽の悪魔的な魅力と、ターという女性指揮者のカリスマ性も、シンクロして、圧倒的な印象を残す。映画のチラシに使用されている写真が、この場面。
映画の中でも、楽屋落ちのようにターのジョークとして、ヴィスコンティの名前が出てくるが、「ベニスに死す」で、この5番のアダージェットが印象的に使われて以来、マーラーの音楽を使用した映画はたくさんあるが、「ベニスに死す」に比肩するのは、「ター」くらいなのではないか。本編でも、ここは、ごく短いシーンだが、映画を見ている我々も、このワンシーンで、ターというキャラクターに魅了される。同時に、映画の中の演奏者や聴衆が、ターに、否応なく惹きつけられることも納得する。
この映画のあらすじは、おおよそ、次のように紹介されている。
リディア・ターは、アメリカの5大オーケストラで指揮者を務めた後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に女性として初めて就任する。ターは、同性愛者で、オーケストラのコンサート・マスターの女性と、公認のカップルとして生活している。天才的能力と類まれなプロデュース力で、トップの座を築いた彼女だったが、今はマーラーの交響曲5番の演奏と録音の重圧と、新曲の創作に苦しんでいる。そんなある時、かつて彼女が指導した若手の女性指揮者が自殺したというニュースが飛び込んでくる。
観終わって、ネットで、この映画の感想を拾い読みしてみると、以上のおおすじ以外は、微妙に違う、時には、正反対のストーリーを、人それぞれが、「読み取って」いる。場合によっては、「この映画、意味不明」と投げ出してしまっているものも、少なくはない。エリート女性指揮者の、パワハラ・セクハラがらみの、心理サスペンスといったふうに売り込んでいて、そういう期待で見はじめると「意味不明」となって、評価は、星ひとつとなってしまう。
魅力的だが、いかにも傲慢な(こういう、なんとも難しい役どころを、ケイト・ブランシェットが見事に演じてみせる)ターが、中盤以降、ストレスから、次第に、周囲のものごと、特に、「音」に過敏になっていく。この「音」が、幻聴なのか、どうなのか、結局、はっきりとはしない。いや、意図的に、はっきりとさせていない。
公園を歩いていて聞こえてくる女性の悲鳴は、明らかに幻聴だろう。その一方、深夜、冷蔵庫の機械音らしきもので眠れないのは、我々も体験するような、現実だろう。ところが、同じく、深夜、メトロノームの音で目が覚めてしまい、それが、クローゼットの中で作動しているのを発見する。これは、現実なのか。サスペンス劇のように、「犯人」が確定するのかと思っていると、「犯人」は、結局、最後まで登場してこない。というか、客観的にみて、そんなことができそうなのは、同居している人間くらいだが、そんな話の展開には、全くならない。となると、あれは、まるごと、ターの幻聴であり、幻覚・妄想だったのか。
そう考えると、例えば、ターが強引に抜擢する女性チェロ奏者が、ターの送るクルマから降りて消えていった建物は、あれは果たして、現実なのか。あんな完全な廃墟のどこに、あの女性の入っていく部屋があるのか。話の中心となる、ターが精神的に追い詰めたとして非難される、スキャンダルとなる、自殺した女性指揮者との関係にしても、確かに、メールを助手に削除させる場面はあるが、本当のところはどうだったのか、映画の観客には、分かりはしない。いや、わかるように描いてはいない。
そのスキャンダルで、ターは解任され、代役を立てたコンサートにターが乱入して、大騒ぎとなり、ターは、追放されたというのが、大方が受け取るストーリーだろうが、果たして、そうだったのか。スキャンダルが大きくなり、呼び出されたターは、女性との関係をきっぱりと否定する。次の場面は、円卓にずらりと並んだ「幹部」たちが、いっせいに、再度、呼び出されたターの方を振り向くところで切れて、そのまま、ダイレクトに、ターが、コンサートに乱入する場面となる。断片をつなぎ合わせようとするなら、当然、上記のようなストーリーを推測することになるが、果たして、これは、みんな、現実なのか。
われわれは、ありもしないはずの「メトロノーム」を見せられて以来、ターを取り巻く、現実と、彼女の「幻聴」「幻覚」「妄想」を、ごちゃまぜに見せられているのではないだろうか。映画を見終わっても、確とした「解答」は与えられず、いや、それは、たぶん意図的に、放棄されている。
また、本筋とは何の関係もない、アパートの隣人の、理解を絶するような迷惑な行為が描かれていて、ターのストレスは、さらに高まるのだが、「こんな不条理とも言いたいような現実って、確かに存在しているよな」と思い、ますます、幻想と現実の境目があいまいになっていくように、映画は仕向けている。
決定的なのは、そのラストシーンで、追放された(らしい)ターが、東南アジアのどこかで、現地のアジア人のオーケストラを指揮し始める、と、スクリーンが舞台上に降りてきて、続けて、映し出される観客は、すべて、異様なコスチュームを着た男女の群れ。私は、ゲームというものに全く関心がない人間なので、ネットを見て、それが、ゲーム「モンスターハンター」のコスプレらしいという書き込みを発見して、ゲームの音楽の実演と映像を楽しむコンサートだったのかと、その設定が、やっとわかったのだが、だとしても、あの異様に押し黙った、半裸の男女の群れが、現実のものとは、とても思えない。
現実なのか、幻想なのか、分かりはしないし、分かるようにもなっていないが、ターは、一心に、指揮棒を振る。2時間半の間、われわれは、現実とも非現実とも判然としない、ターの内面にそのまま入り込んで、その分裂した世界をまるごと観て・体験する。そして、まるで、ターの「心の中の世界」にとり残されたような感覚で、映画館を後にする。
ターの師として設定されているバーンスタインは、マーラーの魅力を、分裂した、この現代の社会をまるごと、つまり、分裂したままに音楽にしてみせた所にあると解説している。ネット上やマスコミ、時には身の回りにも渦巻く、隣り合わせの「希望」と「絶望」、「美」と「醜」、「栄光」と「悲惨」、「いたわり」と「無慈悲」、「生」と「死」…それらを、分裂のままに描き出し、不思議なことに(バーンスタインは、「パラドキシカルに」と、表現している)われわれを「浄化」するのだ、と。
そのストーリーさえ判然としない、分裂したままの心の世界を見せる、ターという映画の不思議な魅力は、マーラーの音楽と通じるものがある。となると、マーラーの交響曲の演奏と録音を、ストーリーの中心に据えたのは、単なる思い付きや好みではない、周到なお膳立てなのかもしれない。
音楽は永遠に続く、でも人は
出だしからタイトル、いや、エンドロールみたいな始まりでびっくりです。
そして男性の説明というか、解説に少し長すぎないと少しうんざりしてしまったのですが、インタビューに答えるケイトの姿が凄く自信に溢れていて、格好いいと思ったのですが。
女だけど娘のいじめ問題に、自分はパパよと豪語する姿、自分は大人だ、子供が勝てる訳がないだろう、その姿は普通の人から見たら、ちょっとなんて思うだろうけど。
これは仕方ないというより、彼女にとっては普通なんだろうなあと思ってしまいました。
高みに上ると見方も多いけど、敵も絶体いるだろうから弱みなんて見せられないだろうから。
時々聞こえてくる奇妙で不快な音、同時に精神が不安定になっていく様、パートナーがいながらも心が揺れていくのは、これって仕方ないなあと思ってしまうのです。
いや、彼女みたいな人は男だから、女だからという言葉、括りって足枷というか、首に縄をつけられたみたいな重荷以外の何者ではないのかと思いました。
ラストがとても印象的です。
栄光の舞台から転落したけど、再生、復帰できるのか、観ている側が選択、答えをなんてという感じです。
でも、自分の行く先が天国か地獄かなんてわからない、船を下りるのも自由です、なんて言われて降りる人はいるの。
一度挫折したからまた同じ事になるかもしれない、迷うのは人なら当たり前、でも答えを出すのは自分しかいない。
こればっかりは他人に頼れない、残酷でも目がそらせないのです。
緊張感半端ない
こういうアーティストを扱った映画ってすごい癖があるものも多いよね。
アマデウスとかセッションとか(違うかもだけど
ストーリ的には、凄い展開があるわけでも無いんだけど、その中身がめっちゃ濃いんだよね。
その中で、それぞれの役者さんの演技が相まって、緊張感が半端ない。
気が抜けないんだよね、見ていて。
堕ちていく様も、話だけでなく顔つきが明らかに変わってるんだよね。
そして今作は音楽も注目点かな。
素晴らしいね。
まぁ、最後綺麗に解決とかはしないけど、つい見入ってしまう作品でした。
ター
クラッシック音楽の知識必須。最低でも学校の演奏部くらいの経験が必要。
それくらい敷居が高い。
いわゆる「映画コメンテーター」とか自称している輩のレビューはシカトで観る/観ないを判断することをお勧めする。
「ブランシェト」の演技だけを観に行くのは可。10年に1回の演技。素晴らしい。あそこまではなかなかできない。
主演女優賞は「ブランシェト」だったな。最近は変な忖度は付き纏って更に映画がつまらなくなったが、あそこまでやって賞を貰えなくなると役者が可哀想だし将来の映画の内容が低下するだろう。
トッドフィールドは人の内面を掘り下げるとか曝け出すのが好きだが、これはかなりピンポイントな人の掘り下げ。なので作り手の取材もかなり高い。
交響楽団の指揮者の話なので徹底的な指揮者のリサーチに基づく「ブランシェト」の演技は重ねて必見である。(但し、前述のとおり楽団関係者でないと所作の意味合いまでは理解出来ない。)
無知でも楽しめる「アマデウス」とは違いこれは交響楽団に関わるくらいの人間でないとついていけず飽きる。
俺も不覚にも2回寝てしまった。
あっちの映画も2度寝したが・・・。
俺みたいな「映画音楽かじり」くらいな奴では理解は出来ない。
なんたって、「ジェリー・ゴールドスミスの『猿の惑星』は〇〇の盗作よね。」ってマニアな台詞の中の“〇〇”を知らない俺は、思わずスルーしてしまい今だにピンときていない。
「ゴールドスミス先生」の代表作でアカデミー音楽賞ノミネートの曲に対しての台詞に何の反応も出来ないのは非常にまずいので、勉強しに再度映画館に行かせて頂きますよ。
出る杭は打たれる
クラシックに詳しいわけではないけれど
いくつか楽器を演奏してきた経験があるので
オーケストラの練習シーンや迫力ある演奏シーンには
酔いしれます。むしろもっと聴きたい・見たいとさえ
思いました。ステージの上のあの緊張感を思い出し
懐かしさも感じたので、その辺は物足りません。
ター(ケイトブランシェット)が天才であるが故に
絶対君主的な言動が鼻に付く人も多いみたいですが
女性がそこまでの地位に立つには、
能力があるだけでは無理な世界だと思うので
如何に努力を積み重ねてきたか視点を変えてみると
もっと違った見え方があるのではないかと思います。
.
.
全体的にターの悪評ばかり目に付きますが
ジュリアード音楽院での授業で、
頑なにバッハを認めない
男子学生(音楽的理由ではなく)に、
懇々と辛抱強く指導するシーンは
むしろ学生のためを思っての指導であり、
そこを理解しきれない学生が悪態をついて
退出する時には「お前に指揮者は向かん!!」と思ったし、
おまけに緊張か苛立ちからか終始貧乏ゆすりをする彼に
わたしならブチギレる自信があります🤣(笑)
.
.
副指揮者セバスチャンを更迭も、理にかなっていたし
一方的な更迭ではなく、きちんと対面で会話をし
理由は明言しなかったけれども、とても良心的な配慮が
見て取れた。
※副指揮者なるものが存在するという事を本作で
知りました。
.
.
要するに、彼女の才能に嫉妬し、己の才を過大評価する
何者かたち(複数だと思っています)によって陥れられた。
そんな印象です。
まぁ多少のセクハラはあっただろうし、自分の立場が危ぶまれる相手
クリスタの存在は目の上のたんこぶだったため
各楽団に批判的なメールを送り付けていたのもどうかとは思うが…。
それでもそんなことをするなんて、格式高い業界こそ普通にあるでしょ
(偏見ですw)
.
.
自信と誇りをもっていたベルリンの指揮者としてのプライドから
あの行動に出たのは至極納得する。自分の首を絞めるはめには
なったけれども、それでも彼女は強い。
クラシック界から新しいジャンルの音楽の世界でまたその名を
轟かせるスタートになったと思う。
究極の演技と エッ!てなるラストについて
サスペンスや心霊現象やホラー要素まである人間ドラマで内容がクラシックの指揮者ですがEGOTを成し遂げてる人物という事なので説得力のある人物って相当難しいし普通に考えて適合者がほぼ居ないと思いますのでケイトブランシェトで完全に正解だったと思います。
2回見ないと理解出来ない構造になっているしクリスタが赤毛とか言っててそれが前半結構映ってるみたいですが全くわからなかったんですが2回目の鑑賞だとクリスタが居るのを確認できましたが初見で気づく訳無いように仕掛けられていて複数回見る事で新しい発見があるように作品が作られているのは凄いですね!
あとクライマックスのブン殴りに行く時のあのヤバイ顔は撮影スタートって言われて作れる表情じゃなくて多分二日位寝ないであのシーンの撮影してるんじゃないですかね演技で出来るレベル超えてますよ!
あと2回目の鑑賞で気付いたんですが
最初にクリスタがターに送った本に書いてた模様と
クリスタが死んだ後にターが寝てたらメトロノームが勝手に作動していたシーンのメトロノームのフタの裏の模様が一緒なんですね! 心霊現象と捉えるか無意識のうちにターが自分でメトロノームを動かしていたのかはハッキリとは描かれていませんが クリスタの件で精神が病んで来てるのは間違い無い描写ですね。
シーンをとうして深掘り出来る部分が多くて 監督天才過ぎというか変人です
あとエンドクレジットをわざわざ最初にやってまでオチをモンスターハンター元ネタでほとんどの観客が分からなくて困惑してる状態で勢いよく終わらせて観客を置いていく演出は凄かったですね。
まあアレを単にへーって言って終わるかだから何?ってなるのかアジアを見下した終わり方って思うか何故いきなりコスプレ劇場で終わり?ってなるのか答えを明確に示して無いからみんな違う意見の時点で監督の意図通りだと思いますので作戦成功でしょうが大抵の人が良いって言う手堅い作品にはなっては居ないとは思います。
とりあえずケイトのミリ単位の演技を延々と堪能出来るだけでも価値のある作品なのですが逆に演技の上手さなどを映画を見る際に注目してない人は見なくていい作品だとおもいますし考察部分が相当多く画面をよくみないと気づかないヒントがあるし最初の30分くらい延々とクラシックを知らないと完全に分からない会話を無限にしてるので辛いし眠いしあまり考えないで見るとわけわからんしつまらない単調な映画ととらえられてもしょうがない作品なので全くお勧めできません。
とはいえ自分は今年見た作品では対峙とターは恐らくこれからまだまだ新作の映画みるだろうけど ほぼ年間ベスト3には絶対入るってくらい凄い作品だと思ってます、久しぶりにカッコいい悪のカリスマに出会った感あって近年ならホアキンジョーカーくらい凄かったです!
相当な玄人向けの作品なのは間違いないです。
あとさっき町山&藤谷のアメTUBEってやつのネタバレ解説見たんですが完璧に全く気づいて無い事だらけで
ビックリしました。
まあそんなの絶対にわからないしセリフ見て言った人物の事を細かく全部調べないとわからないレベルの解説あるんで好きな人は絶対見たほうが良いですよ
お主ナトゥはご存じかの後継ぎですがそっちにかなり具体的に書いているのでよろしくです。
これサブスクで配信開始になるか販売されたらブルーレイなどで
一時停止とかして検証しないとダメなくらいの情報量の作品なのがどんどん浮き彫りになってきてるので
今後そういう作業するのが楽しみですね。
しかしこんなに長い時間の作品で群像劇でもないのに
ターのみを追っかけている割には無駄なシーン全く無いのも驚異的だと思うっす。
あと2回目を見ると ラストの強烈さが更に際立ちますね!
更に言うと娘ちゃんがカーテンの中に居る時にお化け見てたっぽいシーンの前にも娘ちゃんはオモチャでクリスタがターに送った本の模様を作っていて完全に心霊現象ですねアレは!
ナトゥとナトゥ2のターの感想合わせて見たらターの3割くらいは分かるのではないでしょうか。
最後に パンフレットを買って無いので購入がてら2回目の鑑賞に近日中に行こうとおもいます。
色々調子悪い事起こって前のところに戻れなくなったのでナトゥ2でこれから感想書いていきます!
まさかのモ○ハ○エンド
何だろう?一言でいうと中途半端。
孤高の女性指揮者リディアが冒頭トークショーで何言ってるか全然わからん高尚な音楽理論?思想?を足組んでダラダラお喋りになりーの、娘を虐めてたガキンチョに圧をかけーの、指導先音大で意識高い系貧乏ユスリ音大生ニキの鼻先をボリッとへし折りーのと、まー此処まではヤリ手女の(意地悪)充実ライフだったんですが、若手女性指揮者を自殺に追い込んだ事を切っ掛けに、信頼していた助手の裏切りやらパートナーに愛想付かされ娘とも会えなくなりーの、追い詰められて知り合いオッサン指揮者に突如殴りかかってベルリンを去る事に。
途中メトロノームの音が気になったり、ロシア女の後追って地下廃墟で襲われたりするのって何かの伏線かと思いきや何もなし、、、。
挙げ句、どこぞの東南アジアでモンハンコスのコンサートで終わるって何ですかコレ?
ハッキリ言って、しょーもない映画だったが、隣人に騒音の苦情言われてヤケクソになりアコーディオン掻き鳴らして隣人の悪口歌うシーンだけは涙が出る程笑ってしまったw。
ケイトが全身全霊で魅せる
ダイナミックで繊細なひとつの芸術品のように、タクトの先から広がりホールを駆け巡る音のきらめき
作り手と受け手のその場の空気を一体化させ束ね織りなす天才的カリスマ指揮者のストイックさが産む技
それは脚光の裏にある妬み嫉みを跳ね除ける類稀な集中力と努力の賜物でもある
反面、孤高の闇が本人も知らないうちに疲弊させる心
現実と妄想が入り混じる緊迫感あふれる場面が重なり暗雲が立ち込める
加えて消えないイメージは肥大し続け形のない凶器となり突き刺さる
それでも止まない精神力はそれすら燃料にして走る
積もる灰にうもれていくのはあどけなき夢の跡
あのときTARがこぼす涙
その穴は誰が掘ったのか
その影は何がつくったのか
自分を離れ勝手に育っていくオーラに、見失わないものを保つのがいかに難しいことなのかを感じる
そして、そんな荒波をも超え遂げていく稀有なひとびとの存在も頭をかすめる
すうっと一呼吸おくとそこには讃えるべき同じにおいがすることに気がつく
純粋なものに触れて再生するはじまりの記憶
TARは確かにチャンスの前にいる
私たちは、他を傷つける愚かさに呑まれやすい人間だ
知らぬ間に加害者になっていないか
前を向き過去から進もうとする人を見守ることを忘れてはいないか
身近なことにも置き換え、そんなことも問われている気がした
強い者イジメ
今回は一部ネタバレしていますが、元々ネタバレという概念が意味を成さない作品でした。
いやぁ~、中々の曲者映画でしたねぇ。
なんか、鑑賞者(社会)をかなり挑発している様にも思える作品で、まるで映画鑑賞偏差値を測られている様にも感じられ、映画ファンにとっては下手な感想は書けないというプレッシャーまで感じてしまう作品でした。
なので、そこそこ映画好きを自称している人たちは褒めるしかない様な構造の作品でもあって、私も観終わって思わず唸ってしまった一人です(苦笑)
本作の主人公であるターという人物像は、映画の情報でちゃんと見せていてそこに嘘はないが、それはあくまでも断片的なピースであって、観客はその情報を繋げて全体像を想像するのであって、下手に断定的な解釈の感想になると「こいつ、なにを見ているんだよ」って話になってしまう怖さがある作品なのです。
そこで、今回は何故こんなにも観客にとって意地悪な作品を撮ったのか?を、私なりに考えてみました。ちょっと長くなるかも知れませんので悪しからず。
それはけっこう単純に、今のマスメディアやネット社会の全世界的に共通した問題に対する問題提起であり、異議申し立てだったように思えるのです。
まず、その問題点を箇条書きで挙げると
・信憑性のない情報
・情報の漏洩
・プライバシーの侵害
・匿名性の悪用
・依存症の問題
などが代表的な問題点ですが、本作でも上の4項目でターの精神は壊されてしまいました。
ネット社会ではこれを“キャンセルカルチャー”と表現している様で、意味合いとしては「特定の著名人などを糾弾し社会から排除しようとする動き」のことで、現実社会でも下種な芸能不倫ネタから“ミートゥー運動”まで様々な事例で溢れています。
ターは人格的に見るとかなり問題はありそうだし、全面的に応援したくなるようなタイプでもないが、ここまでやられなければならないのか?を考えると、やはりやられる側よりもやる側の方が病み(闇)が大きいと思います。
本作ではターの仕事とプライベートが交互に映し出され、仕事に於いては才能を遺憾なく発揮し大きな問題はなく、むしろ周辺の愚鈍さが目立つほどで、プライベートの方は曖昧な情報しか映画では得られないが、彼女に関わって不幸になったとしてもその責任は五分五分の筈。
それでも普通の(才能)の人々は、特別な(才能)にヤッカミ、嫉妬し抹殺しようとする。
私は彼女の様な人間に好意は持てないかも知れないが、才能は才能として認めたい方の人間なので、例えば冒頭の生徒への指導のエピソードも真っ当な指導だと思えたし、逆に生徒の方が何百年前の大作曲家に対し、その当時の文化や世相や常識を無視し、今現在の己の価値観だけで作品までも全否定する姿こそ、上記の問題点を象徴するようなネット民寄りに感じてしまいました。音楽偏差値の低い私でもそう思ってしまいましたよ。でも、あのシーンを見てあの子が可哀想と思った(映画偏差値の低い)観客も結構いるのでしょうね。
正論に対して“クソ女”としか返せない幼稚さや、周囲の学生もあとで盗み撮りの編集動画をUPする矮小さなど、音楽の超名門校の生徒ですら、特別な才能との違いにはこの程度の行動を起こしてしまう情けなさに加えて憐憫まで描かれていました。
まあ、刺さるか刺さらないか別にして、とにかく今を描いた傑作であることは間違いないのでしょうね。
とりあえず、私はケイト・ブランシェットのファンなので、彼女の演技を堪能できただけでも満足でした。
ラストシーンは意味が分からなかったのですが、後で別の人のレビューを読んで理解しました。どうせなら、あのシーンは日本で撮って貰いたかったですねぇ。
158分はそれにしても長い
「衝撃のラスト」に誘われて公開前から期待していた映画だったのですが、自分の中でハードルを上げすぎたのかそこまでといった感じ。
やっぱり158分は長くて、序盤が少し冗長に感じた。後半面白くなってくるところでトイレ我慢しなきゃいけない。
勿論ケイトブランシェットの演技は凄くて、キャラクターなのに実際にいるんじゃないかと思わせるようなリアリティ。
この映画の面白いところは、断片的な情報しか与えられていないので結局のところ真偽は分からない。そこを補完するパズルのような映画だと思った。
圧倒的なカリスマが権力による搾取や横暴を振りかざしていたら、告発により瓦解して全てを失うといった構図に取れる。
しかし、ベルリンフィルで客演から首席指揮者まで登り詰めたのも妻シャロンの手引きであったり、インタビューの回答もフランチェスカによるものだったり、実際は周りによって造られたのが正しいのかもしれない。
ラストのモンハンコンサートは追放された果てに辿り着いた転落の終着点に取れるし、実家に戻って涙した音楽番組のように、「音を楽しむ」と書いて音楽の原点に立ち返った新たな出発点にも取れる。
完全に架空の設定なのにこれは無い。
いつもは賞レースの主要部門に絡む作品は一歩引いて見るのだが、あまりにも印象的な予告編の指揮振りに興味を持ってしまった。クラシックは最近あんまり聴いていないけど、CD1000枚位持ってるし。(勿論正規版、最近輸入盤のBOXは異常に安いのであります)
でも、現実の団体・人名を出して、ドキュメンタリーならともかく。ベルリン・フィルはどう思っているのだろうか。カラヤンやアバドのアルバムを足で扱うとは😠
ストーリーもさっぱりわからない。パワハラなのかなジェンダーなのか。
序盤から中盤もラストも。イライラ・なになにの連続。
自分基準からするとアカデミー賞受賞総ナメでいいんじゃないかな?
でも、主演のケイトの演技は素晴らしかったと思ったのは本当です。
十分な睡眠をとったうえでの鑑賞をお勧めします。
ケイトブランシェット主演、しかも彼女の最高傑作というふれこみもあり、気合を入れて朝イチ鑑賞。
予告で、超一流指揮者の転落劇ということは分かってたけど、そこまでの話が私には高尚過ぎて、もともと敷居が高いクラッシック界が余計に縁遠い存在に感じた。
映画が始まってすぐ、民族音楽とともにあれ?これってエンドロール?という画面が続き、その後、ターのインタビュー場面が続くので、睡眠たっぷりとった朝イチ鑑賞で良かった。
もしこれがレイトショーなら完全にここで寝落ちしてた気がする。。。
そこを乗り越えてから転落劇が始まるまで、あまりストーリーの起伏無く淡々と進んでいくので、クラッシック界と縁遠い自分としてはかなり長い時間に感じた。
が、転落劇が始まったら終わりまであっという間で、最後のシーン観てもう終わり?何これ???っていう感じ。私以外の人はこの映画理解できたのか?と周りを見回してしまった。
まぁ、その世界を突き詰めた超一流ゆえの慢心が引き起こした転落劇なんだろうけど、その超一流として生きていたターよりも、転落して最後モンハンのオーケストラの指揮者の時の方が案外幸せでは?と思えたりもした。
クラッシックというだけでも重いのに、そこに同性愛や、立場の特権利用など、現代におけるテーマを盛り込み、ケイトブランシェットという深みのある演技の女優さんを主演に据えたことで本当に重厚な映画になっているとは思うけれど、もう少しストーリーに起伏が欲しかったし、専門用語も多いので、観る人を選ぶ作品かもしれない。
全101件中、41~60件目を表示