「リディア・ター交狂曲」TAR ター 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
リディア・ター交狂曲
鬼才トッド・フィールドの16年ぶりの新作で、ケイト・ブランシェットが天才指揮者を演じる。その栄光、苦悩、狂気、没落…。
フィールドの作家性とケイトの完璧な名演。2時間半超えの長尺。数々の賞も受賞。察しのいい方ならすぐ分かる。
批評家や玄人向きの芸術作品。分かる人や通な人には今年ベスト級の傑作だろうが、分からない人や単純エンタメが好きな人には退屈で2時間半の耐久レース。
天才や芸術ってそんなもん。例えばピカソの画を見てあなたはどう感じる…? 理解出来る人には理解出来るし、理解出来ない人には理解出来ない。
だからと言ってどっちがいい悪いなんてない。理解出来たから見る目があり、理解出来ないのなら見る目がないなんて事は断じてない。それは劇中の主人公同様の慢心だ。受け止め方、感性、好みは人それぞれだ。
ちなみに私は、作品で描かれた事や展開はざっくばらんに分かった気がするが、もっともっと深くは理解出来ていないだろう。私もどちらかと言うと“分からない/エンタメ好き”側なので。
つまり何が言いたいかと言うと、本作は高尚で敷居が高い作品かもしれないが、臆する事なく自分の見方で見て欲しいという事。
私はこう見た。少し前だったら、難解な芸術作品。でも今見たら、連日ワイドショーを賑わしている渦中の問題とタイムリー。
リディア・ター。
世界随一のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニーで女性として初めて主席指揮者に。
エンタメ業界でも“EGOT”(エミー賞、グラミー賞、オスカー、トニー賞)を制覇。
インタビューや講義にも引っ張りだこ、近々自伝も出版。
栄えある地位や名声に君臨。絶対的な存在。
しかしその華々しい功績の一方…
冒頭約10分に及ぶインタビューシーンからも分かる。
わざわざ難しい言葉や言い回しをし、天才だが、何処か嫌みで偉そうで鼻に付く。プライドの高さ、高慢、傲慢…これら該当する言葉が幾つでも思い付く。
展開していくとそれはどんどん。
ある講義。一人の学生と意見が対立。相手に反論を許さぬほど論破。
楽団に於いても。依怙贔屓。他の楽団員からの反発も何処吹く風。
物申してきた副指揮者やある命令に背いたアシスタントをクビに。
自分の“楽譜”通りに1mmのズレも許さない完璧な“演奏”を続ける。
映画の世界でも黒澤やキューブリックなど一切妥協しない天才がいた。しかし、それとは違う。彼らは自分にも厳しい完全主義者だが、リディアの場合は自分に思い上がる慢心者で独裁者。陰湿さや恐ろしさすら感じる。
リディアには家族がいる。妻と娘。
同性愛者。しかしその立ち位置は、女性同士が愛し合っていると言うより、家父長制的。娘をいじめた同級生に「私がパパよ」と威圧。
周囲からも“マエストロ”と呼ばれ、スカートは一度も履かず、パンツ姿。中性的な雰囲気漂う。それを感じさせるケイトの演技もスゲェ…。
“大黒柱”として家族を愛している。が、家族一筋ではなく…。
多くの若い女性と関係を持つ。それも惹かれ合い合意の上ではなく、自分の権力を行使して。パワハラ、セクハラ紛い。これって…。
依怙贔屓も単に奏者の才能だけではなく、私的な感情も入り交じって。
言うまでもなく家族にバレる。“妻”シャロンはヴァイオリン奏者でもあり、公私共にリディアを支えていたが…。
今リディアが頭を悩ましているのは、マーラー交響曲5番の演奏と録音。なかなか思い通り行かず、天才でもプレッシャーや苛立ち露にする。
そこに家族や周囲との不和、自身の好き勝手、さらにある事が事件となって…。
かつて教えていた若い女性指揮者が自殺。無論彼女とも関係を…。
自殺の原因はリディアとの憶測。彼女ら受けたセクハラや権力威圧…。
もみ消そうとするが、すでに噂は広まり…。
SNSでは先の学生とのいざこざやこれまでの蛮行がアップロードされ…。
転倒怪我により幻聴、難聴も…。
告発され、遂には演奏の指揮を下ろされる。
終盤、別指揮者の演奏に殴り込んだリディアの姿は、もはや天才ではなく、狂気の極み。
ラストもどう捉えていいか。第一線から転落した成れの果てか、どんな地どんな音楽でも異常な情熱で再起を目指そうとしているのか。
自分の身の程を知っている者が堕ちた時は人によっては諦めも付くが、自分の身の程を知らぬ者が堕ちた時はこれほどまでに醜く愚かなのか。
偉大で尊敬を集めていた人の闇、本当の顔…。
自分の絶対的権力を使ってパワハラ、セクハラ、依怙贔屓…。
もうズバリ、ワイドショーで渦中の“アレ”ではないか。
聖人君子なんていない。人誰しも必ず影や闇はある。
多くの人はそれに気付く。過ちや間違いを起こさない前に踏み留まる。
が、リディアは自分が絶対的な存在であると思い上がり、周囲も制止出来ない。彼女が恐ろしいからだ。
“アレ”も同様。
無論全員がそうではない。高潔な人物も多くいる。古今東西尊敬され続ける。
天才が天才で在るが故に背負った宿命。凡人には計り知れない。
羨望であると同時に同情。
天才ともてはやされ、神格化される危うさに戦慄した。
本作の二人の“天才”には称賛でしかない。
難解で重厚な人間ドラマでありつつ、次第に心理スリラーへ。これが監督3本目、16年ぶりのブランクを全く感じさせないトッド・フィールドの圧巻の演出。
輝かしい側面だけではなく寧ろ、醜悪な内面こそ露見。代表名演の一つ、『ブルージャスミン』にも通じる。英語やドイツ語を交差させ、指揮も自ら執り、求めた完璧な演奏を終えた時の酔いしれた表情には美しさも魅せる。また一つ、この稀代の名優=ケイト・ブランシェットに神がかりな名演と代表作が。
やはり、天才はいるのだ。