「女優さんがどんな女優さんか、僕は知らない。だから、凄い演技なのか僕は分からない。」TAR ター マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
女優さんがどんな女優さんか、僕は知らない。だから、凄い演技なのか僕は分からない。
1.レズビアンの所だろうが、感覚が完全に男の目線に感じる。
2.話があちこち飛んで、起承転結が壊れている。
3.マーラーの5番とか登場するので、一瞬惹かれるが、長く続かない上に、そちらがメインテーマではないと分かる。
4/ジェー○ズ・レヴ○インの事件やカラ○ンの疑惑やフルト○ングラーの反ナチス行為は別物。この偉大な指揮者たちの行為をモデルにしているのは理解できるが、だから、許されたり、過大評価する必要はない。まぁ、そう言った事は音楽に限った事ではなく、例えば三島由紀夫先生の小説や、藤田嗣治画伯の絵画を、彼らの行動で評価する事は出来ない事と同じだと思う。
そもそも、名指揮者とか名演奏家等と評価しているが、例えば、ベルリンと日本国の元国営放送の楽団の差なんて、わかるのだろうか?
この映画でも、ベルリンじゃなくて、ドレスデンな訳でしょう。
カラヤンは偉大な指揮者なのだろうが、デジタル音源で聞くのがやっとの事。フルトベングラーに至っては音源にステレオがない。やはり、どんなに名のない楽団であっても生のオーケストラの音にかなう訳が無い。
さて、
映画の中で『ユダヤ人が黒人のJAZZで食って来た』とか『バッハが女性差別主義者』とか言って『バッハが好きになれない?何故?』と貧乏ゆすりの青年にこの主人公が迫るが、その青年が突然切れる。その理由が分からなかった。そんな人物が、指揮者にはそもそもならないだろうと思う。また、女性主人公の話は、特別な極論ではない。
『バクダットカフェ』にバッハをこよなく愛する黒人青年が登場するが『黒人と見るとJAZZ』と言う『決めつけ』が、この演出家の偏見なような気がする。
オーケストラは指揮者が凄いのではない。作曲家から鑑賞者まで全部を含めた総合芸術だと思っている。そう、建物(音楽を聞く場所)もね。勿論、聞く人間の叡智も含んでいると僕は思っている。
ある意味、映画も同じだ。しかし、
沢山の人達で演奏するから、値段が高いのは分かるが、もう少し安くしてもらいたい。
6月4日にあるところへ、ショスタコーヴィチの革命を聞きに行く。市民楽団の演奏なので、恐縮するくらい安い。しかし、元国営放送の演奏を、テレビで見るよりも凄いはずだ。
もっとも、僕のモニターには元国営放送は映らない。
最後もおちぶれて、タイの楽団かベトナムの楽団ってことなのか?メコン川やメナム川にワニなんかいた?その感覚が、西洋人の黄禍論なのかもしれない。西洋のクラシックをアジア系の人たちが奏でる事が、西洋の人たちからすれば、違和感があるのか?どうやら、インドシナ半島にもワニいない訳では無い様だが、アリゲーターは中南米だし、クロコダイルも別の場所。大人しいクロコダイルの亜種がインドシナ半島にも生息するが。
追記
そのワニたちですが、専門家から聞いた話では、環境破壊が進んで、寧ろ、絶滅危惧種の類のようです。