「人生の途中」TAR ター 言語化練習さんの映画レビュー(感想・評価)
人生の途中
主人公、リディアターの成功者から転落していく人生を描いたもの。
前半にリディアの指揮者に対する心構え、中盤に性事情の話を挟み込みその2つを軸に後半から終わりまで話を進めていくものになる。
リディアの人生の途中から描いているためか、十分には登場人物の説明はなく、話が展開していくごとに該当人物が現れるような構成で、話を結びつけるのが難しいと感じた。
性事情に関しては最初は誠実な人物かと思ったら移り目がひどく、音楽の才能がとびぬけたオルガが登場するとかなり入れ込むようなだらしなさ。最初からレズビアンだと思っていたら、パートナーが連れ込んだとぶっこまれあそこは少し笑った。
指揮者、作曲、家庭、楽団、多くのストレスにより、少しの異音でも目が覚めてしまうほど神経が過敏になり、薬を取らないと生活していけないような始末。話が進み成功者から転落しはじめ、少しずつ解放されていく中で、リディアの家で森の中で眠る演出はあそこが彼女のターニングポイントだったのかもしれない。
転落途中に実家に帰宅し自分の指揮者としての原点を再確認。自分は指揮者が好きなのだと再確認し、自分を採用してくれるような会社を探すために2か国ほど国を渡り、最終的にリディアはアジア圏のコスプレ集団が映像を見る中で生演奏のBGMを流すための指揮者として幕を閉じる。
リディアの指揮者でいることのこだわり、指揮者としてのこだわりを最後まで貫き、どんなところに行っても指揮者であり続けるという姿勢は良かった。また、リディアの人生が転落していく問題になったクリスカは最後までリディアにすがり、自分では行動せず最終的に自殺を選んだ心の弱さ、もしくはリディアの生き方への対比はどちらが正しいとは昨今では言いにくいが、もしかしたらリディアのような力強さも必要だと伝えたかったと思う。
クリスカは最後まで見るとリディアにたぶらかされたのかもしれないがそこについては本編ではわからない。
不満な部分は多く、リディアの人生の出来事を映していたためか、出来事の顛末を映すことなく物語が終わった。フランチェスカが辞めた真意、動画を作成していたのはオルガなのか誰なのか、訴訟の結末、名前だけ出てきた人物など。私がまだまだ未熟で理解していない部分が多いと思うがもう一度見てすべて理解したいと思う作品ではなかった。