サントメール ある被告のレビュー・感想・評価
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ブルー
生後15ヵ月の娘を殺した女性の裁判の様子をみせる法廷劇…かと思ったら浮かない顔をした傍聴人の女性作家ラマの話?
確かに法廷での供述の様子が8割ぐらいを占めているけれど、コリーを見せたいのならラマは余計だし判決やその後の字幕すらないのは訳わからんし、ラマを見せたいのなら回りくどいし結局はっきりしないし、まあ両方見せたかったんだろうけれど中途半端でボケ捲り。
都合の悪いことは語らなかったり平気で嘘をついたり翻したり、後悔も反省もなく胸クソ悪い感じは良かったけれど。
科学じゃなく詩に感じる自分にはその演説も響かず、淡々としたコリー1本に絞ったら良かったのにという印象で、いずれにしても参審員の抽選や紹介はいらんかったなと。
呪われた血?負の連鎖?
彼女はなぜ我が子に手をかけてしまったのか
傍聴席に座る、やはり毒親に育てられたラマは自分も母親のようになってしまうのではないかと不安に苛まれる
パゾリーニの王女メディアの息子殺害場面を見つめるラマ
最後の弁護士のマイクロキメリズム(知らない人はググって)の話が監督が端的に母子関係を表してると感じたので入れたそうです
余談だが、望まない妊娠による子殺しのニュースが報道されるたびに、なぜ子作り行為だと分かっていながら共に子育てしたい訳でもない女に精子を放って逃げた男は何の罪にも問われないんだろうと常日頃から思っている
一定の法律の知識は要求されるので注意(映画内で触れられていない結末等、補足入れています、ネタバレあり扱い)
今年240本目(合計891本目/今月(2023年7月度)26本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))。
※ おことわり: 本映画の趣旨として、「描写が中途半端で終わる」という事情があるため、大阪市立図書館等で調べた内容を追記しているものであり、個人攻撃(特に、被告の女性に対するもの)を意図したものではない点は書いておきます。
さて、こちらの映画です。
ほぼほぼ9割裁判所での話になりますし、そこで交わされる内容は、ある罪に問われた(この点、あとで補足)女性との第一審を描いた映画です。
その結果、一定程度(日本の刑事ドラマ等を超える程度)の法律の知識(ほぼ、刑法と刑事訴訟法)の知識が要求されるのが厳しいです。映画内では明確に法律ワードこそバンバン飛んできませんが、暗黙のうちに出てきたり前提にされている部分もあります。ただこれを学習する機会があるのは司法試験(予備)だけで、そこまでの知識があるリアル視聴者は超レアで、どういっても行政書士資格持ち(行政事件訴訟法のみ学習。要は、裁判所の手続きに関するルールの一類型を把握している、というもの)が事実上上限になるんじゃないかなぁ…といったところです。ただ、「深い理解」をするならそれが必要であるだけで、法律ワード「それ自体」はほとんど飛んでこないので、理解うんぬんを別にすれば、一応にも「みやすい」映画ではあります(これが「極端に」厳しかったのが「シャイロックの子供たち」で、抵当権抹消だの何だのマニアすぎる語が飛んできてビビった…)
映画の描写としては、どうしても存命している人物である以上、あまり深くあれこれあることないことかけず、妙なところで終わる事情もあり、その事情を知らないと、本当に珍妙なところで終わるので???な展開になりかねず、ここはうーむといったところです。最低限必要な知識だけは後に入れておきます。
採点対象として気になったのは以下の通りです。
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(減点0.3/タイトルがやや不正確)
・ 「日本でみる場合」、民事訴訟の相手方は「被告」、刑事訴訟の相手方は「被告人」であり、この2つは違います(「人」のありなし)。本当に細かい点なのですが、日本で見る場合、刑事訴訟法を想定してみるしかないため、この違いは民事で争うのか刑事で争うのかの理解のハマりにつながるので(ただ、展開的に民事でないことは明らか)、少し工夫が欲しかったです。
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(減点なし/参考/映画のそのあとのお話) ※ 情報ソースは大阪市立図書館ほか
映画内ではおそらく個人の尊厳を尊重して結末がぼかされていますが、当時のニュース報道、新聞報道(日本ではほとんど放映されていない)によると、2016年6月に「心理プログラム受講を義務付ける懲役20年」の判決となっています(海外の新聞ほか)。
※ 日本では、同じ類型の事件は、主に保護責任者遺棄致死になりますが、この類型で無期懲役になることが考えられず(ただ、フランスでは無期懲役がありえたとのこと。当時の刑法)、そこは日仏の違いなのかな、とは思えます。
判決文(第一審で確定?)は読もうと思えば読めるようですがフランス語なので当然厳しいです。ただ海外でも注目を集めた事案で、「アフリカからの渡仏者で、支援を得ることができなかった」「被告人の発言に多少なりとも不自然な点があり、弁護士が主張するように何らかの教育的プログラムを受けさせるのが適切」という点が判決に考慮されたようです。
また、第一審の裁判所等の判断によれば、「渡仏した事情があり、会話において、会話で使う語彙とレポート等で使用する語彙の区別がついておらず、裁判官も一般市民(いわゆる、日本でいう裁判員制度のそれ)も理解が困難だった」(このことは、渡仏に限らず、日本語学習者でも生じえます)といった「裁判において正常な主張ができなかった可能性がある」点が考慮された一方、「フランスの地域ごとの潮の満ち欠けの表(日本では、理科年表等が該当)を所持していた」点が認定されていて、上記のような判決になったようです。
なお、映画と実際の裁判では当然登場人物が異なり、映画内では女性の方が妙なまでに多いのですが、この点は「たまたまであり、何らかの意図があるものではない」ようです(仏版公式サイト等に言及あり)。
【”仏蘭西の中に厳然として有る意図せぬ黒人差別を描いた作品。そして、母と娘の本質的な関係性を描いた静的な法廷劇をメインにした作品でもある。そして、そこから見えてくる現実を考えさせられる。”】
ー 印象的なのは、今作の法廷に登場する人物は、生後15か月の娘の殺人罪に問われた若き女性ロランスと、彼女の母。そして、女性作家ラマ以外は、裁判長、弁護人、検察官や聴衆を含めて全て白人であることである。
これは、アリス・ディオップ監督による意図的なキャスティングであると思う。
更に、資料によるとアリス・ディオップ監督の母親が、事件を新聞で知り、サントメールで開かれた裁判を傍聴した際に、白人たちから背を向けられた経験も取り入れているそうである。ー
◆感想
・裁判シーンが8割を占めるが、ロランスを含めた証言者たちの証言内容がコロコロ変わる事に、やや戸惑う。
・ロランスは、殺害理由を問われ
”娘を海岸に置いた。けれど、私に責任があるとは思えない”と言い放つし、ロランスの夫の歳の離れた初老の”白人男性リュック”は”娘が出来て嬉しかった。”と言うが、ロランスは”彼は、大切な場にも私を連れて行かず、紹介もしなかった。”と述べる。
ー 推論だが、ロランスの夫リュックは、ロランスを内縁の妻として扱っていたのではないかと思う。故に、世間体を考え、親類に正式に結婚したと紹介をせず、娘が生まれた時も”本当に私の子か?”などと狼狽して言ってしまったのではないか。-
■仏蘭西の中に有る意図せぬ黒人差別
・いろいろなシーンで感じられるが、一番分かり易かったのは、ロランスがセネガルから希望を持ってやってきたのは、ウィトゲンシュタインの哲学を学ぶためであった。
だが、ある女性大学教授は笑いながら
”セネガルから哲学を学びにやってきた?あり得ないでしょ。”
と証言台で宣うのである。極、自然に・・。
ー これも、推論だがロランスは仏蘭西に来てから、あらゆる文化の壁、黒人差別を経験し、更に望まぬ妊娠をし、全てに絶望していたのだろうと思う。
セネガルからの仕送りも途絶えて・・。
故に、女性弁護人が彼女に掛けた言葉を聞いて、法廷で初めて泣き崩れたのであろう。-
・証言者の中には”フランス人化が成功の鍵。彼女のフランス語の発音は完璧だが、筆記が未熟”と答える女性もいる位である。
・今作では、女性作家ラマとロランスの母親との関係性もキーである。法廷で初めて会ったにも拘らず、翌日には一緒にランチをし、ラマは”妊娠しているでしょ”と誰にも言っていなかった事をズバリと言われて、うろたえる。
更に、裁判中、常に不機嫌な表情だったロランスが、ラマと目が合った時だけ笑いかけるのである。
<今作は、容易な作品ではないが”仏蘭西の中に有る意図せぬ黒人差別”の数々を暗喩させるとともに、母と娘の複雑な関係性も描き出している。
ラスト、ラマがソファで寝ているロランスの母親の寝顔を見ながら、優し気に手を握っているシーンが印象的でも有った作品である。>
苦手
92本目。
3連休、観たい作品よりも、観られる作品をと選択。
でも、観る前から睡魔との戦い、ヤバい。
法廷ものだから面白そうと思ってたけど、始まった時に感じてしまった、これ苦手。
とにかく、テンポと台詞のなさがキツイ。
そりゃお前眠いからだろと、言われれば、そう何だけど、それを差し引いても、ちょっとなと。
なので、参考にはなりません。
繊細なテーマを力技で繋げた一作
終わりで全てを説明するような映画で、
法廷劇ってこうなってしまうもんだっけな?
とやや疑問だった
ただ、ラマとロランスの些細な接点が
良かった。あの距離感。
ラマの回想にもこれといって強いシーンがなく
もちろん残っているシーンはあるのだが、
小さなエピソード的なものを置いて欲しかったな……
物語を通して、
ロランスの話かと思いきやラマの話だった
ロランスに惹かれるラマの心情がどう解決されるのか
私も興味を抱いた一人として気になったのだが、
思わぬ力技で締められ、それは勿論論理的ではあるのだが
もう少し違う何かが待っている気がしてしまった
すべての娘と母親へ
母親が重たい。娘に向けられる期待、抑圧、敵意、嫉妬、疲労感、鬱。そんな重圧に苦しんだ娘たちはそういう母親にだけはなりたくないと思う。にもかかわらず自分の中に大嫌いな母親のひと切れを感じて娘は絶望する。もし母親からの重圧を一切感じなかった娘がいたらその人は幸せだ。
マルグリット・デュラスの「ヒロシマ・モナムール」は知らなかったからデュラスの「ラ・マン」を思い出した。フランス領だった頃のベトナムで白人フランス人の少女と中国人男性との愛人関係を描いた小説。
ラマが素っ気ないホテルの部屋で自分のノートブックで見るのはパゾリーニの「王女メディア」の一部。王女メディアは自分が生まれ育った土地の宝である金羊皮を愛する男に渡す。でもその宝を男はないがしろにする。メディアは全てを失う。自分の王女としてのアイデンティティも男からの愛も失いよその土地で孤立し悲しむ。孤独に陥ったメディアは、その夫との繋がりを全部捨てることにした。だから愛する子も殺す。その子ども二人とも息子だったからと私は思った。娘だったらどうだったろう。
インテリのロレンス被告。母親も父親も叔母も母国セネガルもロレンスをもはや受け入れない。希望に胸をふくらませて向かった留学地フランスで自分が見えない存在にされていることにある時気がつく。同棲相手のフランス人白人男性からも大学からも。大学教授の法廷でのことばに私は怒りを覚えた。アフリカ人だから、肌が黒いから、女性だから?なぜウィトゲンシュタインの研究をしてはいけないのか!親たちからは法律を学べと言われていた、なぜ哲学を専攻してはいけないのか!
法廷の中の裁判官や弁護士の大半が女性であることに驚いた。医師も教師もヨーロッパでは女性の職業だ。いつになったら日本もそうなるのか。
疲れた・・・
リアルながら法廷を再現しようという意図・演出で、被告、弁護側・弁護側、裁判官、それぞれの主張や語りが長回しでつながれいるため、かなり根気が要りました。参審員の選出などもあるので・・・でもそこの部分はかなり根気興味深く見入りました。
内容も非常につらくどんよりとしているので、正直集中力が続きません。
終わり頃には意識を失いかけていたのですが、ニーナ・シモンの歌声に救われました。その部分だけ、なんか異様に演出が違っていて、ものすごく吸引力があって・・・もっとこういった演出があっても良かったのになぁなんて思ったり・・・
ちょっと話はずれるけど、ニーナ・シモンのドキュメンタリーとかを見ていたせいで不思議と彼女の過酷なる人生と重なるところを垣間見て、勝手にぐっときていましたが、それも意図があっての演出なのかどうかは分かりません。
非常に真摯で誠実な作品で、敢えて堅く・難しく作られている印象でした。後半のようなソフトに感覚的に響いてくる演出がもっとあったら、見やすかったような気がするのですけど、それでは作家魂が許さないといったところでしょうか─あくまで夢想です。
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