劇場公開日 2022年9月23日

「難解さが示す人の心の奥底」あの娘は知らない R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5難解さが示す人の心の奥底

2025年5月22日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

かなり文学的要素が濃い作品
この作品には様々な矛盾や違和感などが意図的に配置されている。
話の筋は理解できるものの、どうしても矛盾というのか、簡単に言ってしまえば「嘘」が見える。
しかしこの嘘はいわゆる方便的なもので、そこに隠された意図が非常に難解だ。
おまけにこのタイトル
ここに大きな秘密があると思われるが、これもまた多義的で非常に難しい。
この物語の根本的にあるのが、「どんなに好きでも知らないことだらけ」とか「人は知られたい生き物」という対比的なセリフが示すように、おそらく「答え」は導き出せるように思われる。
ただ、多義的でもあり、観る人によって感想は違うはずだ。
物語は人を描くが、この場合、所詮表面上の解釈しかできないというような言い訳をしたくなってしまうほど難解だ。
さて、
唯子は確かに初島に渡ったのだろう。
ナナのセリフでは初島で唯子が水に浸かって自殺したことが示唆された。
ところが実際はあの坂道付近で亡くなったと思われる。
ナナがなぜ俊太郎に嘘を言ったのか?
これがこの物語の最大の謎だ。
この作品を妄想する上で、わかりやすいのははやり藤井俊太郎の視点から探る方が良いように思う。
彼がなぜやってきたのかは明白だが、唯子があのスナックにナナと一緒に来たことを彼女から聞かされなかったことは、藤井にとって大きな疑問点だったはずだ。
しかし、スナックの客がナナの同級生たちで、高校時代の彼女がレズだったことを話す。
藤井はそれを単なるレッテルだと思ったはずだ。
つまり誰にでもある「過去」だ。
その後の雨 酔って倒れ込んだ二人
「好きじゃない男の人としたことあるの」というナナのセリフ
この言葉 ナナは確かに「男の人」と言ったが、その後の彼女のセリフから、その人こそ「唯子」だったのではないかと想像した。
高校時代に好きになった人はあの「ピース」を吸う女性で、リフトですれ違った人だ。
同級生らの話から、ナナは女性に告白してフラれ、それでLGBTがバレたようだ。
ピースの彼女もまたLGBTだったが、彼女はバイセクシャルでもあり、大人になって精神的には女性を貫きたいと決めたのだろう。
現在の彼女の姿からそれがわかる。
従業員の男性が藤井に「ナナちゃんは両親とおばあちゃんを亡くしてからずっとひとりだった」といったが、これが唯子の中の孤独であり、「誰ともわかり合えない絶対の孤独」なのだろう。
ナナもまた唯子と同様、誰かにわかって欲しいという思いと誰ともわかり合えないことに絶望感を抱えている。
サンダーソニア
物語で重要な立ち位置にあるこの花
花言葉というナナのセリフがあるにもかかわらず、それは語られない。
その理由のひとつは、物語の秘密を知りたいのか知らなくていいのかということを視聴者に問いかけている。
それは、知って欲しい思いを汲み取る気があるのかというナナの問いかけでもあるようだ。
花言葉
「望郷」「祖国を想う。
サンダーソニアが南アフリカ原産であり、発見者である入植者ジョン・サンダーソンの祖国への想いに由来すると言われている。
また「祈り」「福音」 ベルのような花の形がクリスマスベルを連想させる。
「愛嬌」 提灯のように下向きに咲く可愛らしい姿にちなんでいる。
唯子やナナの心の奥にある「帰れない場所」や「届かない想い」を象徴しているようにも思える。
ナナに連れられ初島へ行き、唯子の足跡を辿った藤井
昔ばなし 伊豆山で見つけた子供たちを育てた姫
『子ども』
これこそ唯子がずっと夢見ていたことで、藤井との結婚に対する想いの違いだったと解釈した。
唯子の中の絶望
唯子は傷心旅行でやってきた中島荘で、ナナと出会った。
孤独 「絶対の孤独」を持つ二人
唯子は俊太郎を想い、ナナはピースの彼女を想いながら「した」
その中で感じた人生で最大の「愛」
一生忘れられない出来事
それ以来、唯子は度々中島荘に通うようになったのだろう。
唯子の死因は交通事故だったと思われる。
なぜナナはそれを自殺と仄めかしたのだろう?
そこには唯子の絶望という意味が込められている。
「もう、生きていけない」
「養子でもとって幸せに生きていくよ」
どっちかにしか触れないはずの針は、まさかの交通事故死という結果を作った。
この不条理
ここに今のナナの「絶対の孤独」がある。
心を通わせることができた唯一の人物 唯子の死
その唯子の彼氏
冒頭、
藤井は彼女の好きだった花サンダーソニアを持って中島荘に現れた。
その花に特別な意味があったナナ
藤井は、あの坂道で枯れたサンダーソニアの花束を見つけた。
様々な疑問が浮かんだことだろう。
その後、ナナが一番好きな場所であるその場所を案内する。
友人が死んだ場所
藤井は気づいたはず。
その前の晩、ナナの部屋で二人は横たわっていた。
ナナの絶対の孤独の話
藤井は「オレがここにいます」と慰めるが、ナナが語った「絶対の孤独」という言葉は、彼女の中にある誰にも触れられない領域を示していたように思う。
藤井の「オレがここにいます」という言葉は、彼なりの誠実な慰めだったが、ナナの孤独の深さには届かなかった。
つまり、届かない優しさ
藤井はナナに手紙を書くと言った。
しかし、おそらくその手紙こそがあのサンダーソニアの花束だったのではなかったのか?
唯子という接点を通じて、ナナと藤井は一度だけ心を交わした。
しかし、藤井はもうナナの世界には踏み込めないと感じた。
ナナを通して、本当の唯子の一面を見たように思えたから。
同時にナナの絶対の孤独を感じたから。
だからこそ、手紙を書くと言いながら花束を贈った。
自分の言葉ではなく、ナナが言葉にしなかったサンダーソニアの花言葉に想いを託した。
サンダーソニアの花言葉「望郷」「祈り」「祝福の音色」は、まさに藤井の「さようなら」と「ありがとう」、そして「あなたの孤独が少しでも癒されますように」という祈りのような花言葉を「手紙」という言葉で表現したのだろう。
そして藤井はもう二度と中島荘にはやって来ないように思った。
藤井は、唯子に隠された絶対の孤独を垣間見、ナナの孤独に触れ、自分の無力さを痛感した。
事故死を自殺に仕立てたナナの嘘
その真意に隠されたある種のライバル的な言葉の数々。
だからこそ、彼はナナの世界にこれ以上踏み込まないことを選んだ。
それは逃避ではなく、尊重だったとも言える。
人は、家族であれその人の想いを十分に理解しているとは言い難い。
それを知りたい気持ちはわかる。
でも、藤井が言ったように「知りたくなくなる」こともあるだろう。
左側が空白になって右に寄せられているタイトル
「あの娘は知らない」
誰が「知らない」のか、そして「何を知らない」のか?
このセリフを言えるのは藤井だけだろう。
そうであれば、あの娘とはナナだろう。
唯子のことなど何も知らないと思っていたナナを通して知ることになる唯子のこと。
ナナから語られた唯子の「絶対の孤独」
通常より全然少ない種 自分に対する責任はないのかあるのか?という思い。
唯子ととその未知なる部分で心を通わせていたナナ
藤井の気づき
それは、家族の死と愛した人を失ったナナの、唯子に対する熱い想い。
決して言葉になんかできないこと。
手紙に置き換えたサンダーソニア
藤井には理解できないと思い込んでいたナナが受け取った花束
「あの人は知らない」と思い込んでいたナナだったが、彼女の想いが伝わったことを理解した瞬間。
カメは象徴で、どんなに自分を狭く苦しい場所に閉じ込めていても、その本当の心は広い世界に羽ばたいていきたいと思っているはずだという表現なのだろう。
最後に脱走したカメは、藤井でありナナでもあったように感じた。
「知らない」は、他者への断絶であり、同時に理解への入り口でもある。
このタイトルは、まさにその両義性を孕んでいるのだろう。

R41
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