今年27本目(合計680本目/今月(2023年1月度)27本目)
※ 私自身は手帳上2級(内部3、3)で、この映画で述べられる「視覚障がい」の方とは無関係ですが、一般的な「身体障害者福祉論」は共通知識として知っていますので、その観点からの採点になります。
監督の方も初レビューという事情はまずあります。
そのような事情なのか短編レビューだったようで、38分(本編)+12分(映画作成時の風景やNG集などの類)という、「やや短め」の映画です(したがって、一般料金は1500円。もちろん、身体障害者手帳割引はききます)。
その中で、公式サイトなどに説明があるように、「視覚障害を持っている方の外出(憲法22)、仕事、またそうした社会生活の中で出会うことがある、異性とのつながり」を描いた映画…に表面的には見えますが、映画の中に登場する方は、大半の方が何らか「特殊な属性」を持った方です(いわゆるLGBTなど)。こうした論点で見ることもできますが、もともと短い映画で論点の定め方にも限界がある(描写から何を強調したいか特定が困難)ことから、私自身は「視覚障害をお持ちの方の社会進出の在り方」といった論点で見ました。
その論点で見たとき、本映画の特性などを考えると、やはりある程度の減点は免れないのではないか…と思えます。
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(減点0.4/デフォルトでバリアフリー上映ではない)
・ 現在、シネマート心斎橋などごく限られたミニシアターで1日1~2本放映されているだけです。ミニシアターはスタッフさんとお客さんの「距離感」が短い(「また来られたんですね」など)ことでも知られます。したがって、ミニシアターに来られるお客さんは比較的「寛容度」は高いと考えられます。
その場合、この映画は一定数、映画を見るにあたってどうしてもハンディが生じる視覚・聴覚障害の方に対する配慮が何もない状況です。まぁどちらも問題ですが、この映画は視覚障害をお持ちの方を扱った映画ですから、そちらでしょうか…。その意味でのバリアフリー上映といえば、例えば「主人公、部屋の中に入る」とか、「女性、テレビのリモコンを探している」といった簡単な描写が音声として入るというものです。
この映画は38分ほどの映画であり、30年前ならともかく、今の世の中でこの趣旨の「バリアフリー上映にすることが一般的に望まれ、またかつ自然である」映画について、バリアフリー上映をデフォルトにしたら「音声がうるさい」だの「余計な機能をつけるな」とかという「難癖」をつける方が想定しづらいし(ミニシアター中心だから、というのももちろんありますし、2022~23年時点での、身体障がい者の社会進出が当然となった今であるからこそ)、この映画が正直バリアフリー上映をデフォルトにしないなら、「何をデフォルト上映にするのか」が謎です。もちろんいろいろな権利が絡むような大手の作品だとそうはいきませんが、いかんせん38分ほどの作品にすぎません。それに「いろいろな権利でつけられなかった」という言い訳はちょっと苦しいのではなかろうか…というところです。
(減点0.4/映画の製作が、本来あるべき姿になっていない)
・ 前にも、「ケイコ 目を澄ませて」でも書きましたが、この手の映画では、できるだけ当事者の方(ここでは、視覚障害をお持ちの方)を起用することが、海外では標準的になりつつあります。それは、ひとつには「当事者や関連する団体の、映画作成にかかわる権利と雇用機会の提供」、もう一つは「当事者視点からの正しい文化の発信」という2つのメリットがあります。
しかしこの映画はどちらの配慮もなく、せめて後者、たとえばエンディングロールで「監修:●●聴覚障がい者の会」といったものもなく、ちょっとうーん…というところです。ただ、私が見た限りでは、点字や白杖ほかの表現については正しく描写はされています。
いずれにしても、「日本に当事者(その障害や、難病など)が10人しかいない」とかというならまだしも、視覚・聴覚障がいをお持ちの方や、実際に俳優さんでそうしたハンディをのりこえながら頑張っていらっしゃる方もいます。そうした「当事者」を押しのけて、「健常者ばかりが出てくる」こと自体に、(低予算であろうと推知でき、そうした方に声をかけると予算オーバーするとかいろいろなことは理解はしても)違和感があります。
※ なお、「ケイコ 目を澄ませて」と同じように、本映画でそれでも出演された健常者の方を否定する趣旨のものではありません。
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