「重しテーマ」消えない虹 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
重しテーマ
非常にテーマが重い作品
スナックのホステスが言った「泣いた後に出る虹」という言葉は、どんなに辛いことがあっても、その先にはきっと希望がある そんな意味に感じられた。
この物語は、特定の実際の事件を描いたものではないかもしれないが、現実に起こりうる社会問題をリアルに描いたフィクションである。
観る者に「許しとは何か」「人は本当に再生できるのか」といった深い問いを投げかけてくる。
物語には、過去の事件と現在の事件という二つの軸がある。
それらは非常に似ているようでいて、まったく異なる側面も持ち合わせており、その解釈は非常に難解だ。
背景には「少年犯罪」「加害者と被害者の再会」「贖罪と再生」といった、現実社会でも繰り返し議論されてきたテーマがある。
もし実際にこのような事件が起きたとすれば、私たちは多角的な視点から深く考えざるを得ない。
だからこそ、映画という手段で視点を絞り込み、ひとつの角度から問題を見つめ直すことができるのだ。
しかし、
この作品はむしろ多角的すぎて焦点が定まらない印象を受けた。
特に気になったのは、岡田とカオルの関係性だ。
彼らの「家族のような関係」は、少年犯罪の更生における「擬似家族」を想起させる。
つまり、少年の犯罪と家族との関係性が「前提」とされているように見える。
だが、二人の関係は非常にミステリアスに描かれており、観客に明確な説明がなされない。
あえて隠すような演出には、やや疑問が残った。
また、日本社会における殺人者への排斥感情は非常に強い。
工場長が、交番に預けられた従業員「香川晃(本名:薮田晃)」の過去を調べ、「家族であっても薮田は許せない」と語る場面は、その象徴だ。
薮田の苦しみ、自殺した両親が残した「あなたは幸せになってね」という手紙。
その意味が理解できないまま、彼は涙を流す。
定食屋で他人の無責任な噂話に怒りを覚えるが、その怒りの矛先が正しいのかどうか、観ていて疑問が残った。
「何も知らない他人の言葉」は確かに無力だが、薮田の怒りの描写には違和感があった。
そして、彼の過去
小学4年生の女児・ミチルを殺害した事件。
親友の妹であるミチルが、スカートの中を見られたと勘違いして「痴漢」と叫んだことがきっかけだったという説明は、あまりに短絡的で、説得力に欠ける。
カオル自身も「信じられない」と言っていたが、観客としても同じ思いを抱いてしまう。
あの日、二人の間に何があったのか?
当時の警察が焦点を当てたはずのこの部分が、物語では十分に掘り下げられていない。
現在の事件
工場長の娘・ミナミが屋上から突き落とされ、命を落とす。
加害者は親友だったアカネ。岡田の娘であり、カオルが長年見守ってきた少女だ。
いじめグループの証言によって真実が明らかになるが、その背景の複雑さと、13歳という年齢の思考に絶句する。
真実を語る決意をしたサキ。
だが、なぜ彼女の両親は新聞記者に話そうとしたのか?
本来、真実は岡田や工場長夫妻に直接伝えるべきではなかったか。
この点にも疑問が残る。
アカネの話とサキの話が整合し、3年間の精神分析を経て、新しい団地へと移る。
この「新しい団地」は、時代の移り変わりや人の変化を象徴しているようにも見える。
ミナミがアカネにしていたいじめ。
それを「許してほしい」と願った結果が、あの悲劇だった。
さて、
「この虹は、消えない。誰かの涙の先に確かに希望があることを、私たちは信じてみたい」
作品を見てこう思えただろうか?
また、「赦しとは何か。再生とは何か。問い続けることこそが、この作品が私たちに託した“虹”なのかもしれない」
こんな風に感じることができただろうか?
それとも、「人は過去を背負いながら、それでも前に進もうとする。『消えない虹』は、その歩みの尊さを静かに描いていた」
と少しでも感じただろうか?
この作品が描いたのは、加害者でも被害者でもない、「人間」そのものだったのは間違いないだろう。
誰かの痛みを知ることからしか、赦しも再生も始まらない。
『消えない虹』は、その原点を私たちに問いかけていると思われるが、あまりに多角的で、視点が散漫になってしまった印象も否めない。
それでも、観る者の心に何かを残す作品だったことは間違いないだろう。