「Dr コトー診療所 TVシリーズのファンという前提で」Dr.コトー診療所 ASHさんの映画レビュー(感想・評価)
Dr コトー診療所 TVシリーズのファンという前提で
映画史に残る映画だけ選んだ見るというような上から目線の映画鑑賞をしなくなってから、何十年も経つ。水戸黄門なんて年をとっても絶対みないと息巻いていたものの、年を取って来ると、結局、物語の構造としては似たようなものを愛好している。
人気テレビシリーズの映画化などというのはその最たるものだろう。
結局、僕は、大好きだったDrコトーの続きが見たかった。そして想定通り手もなく号泣した。
僕の近親者に孤島の医療ではないにせよ、地方医療で奮闘している人がいる。
彼もまた多かれ少なかれ、Drコトーのような日々を送っていた。僕と飲んでいても、常に、ポケベルその後は携帯で呼び出されていた。
そんな彼は、こういう医療ものを嫌っていた。こういう美談的取り扱いがどんどん個々の医者を追い込んで行くし、地方医療の改善には一切プラスの役割を果たさないと。
そういったもろもろの屈折光を抱えながらも、僕は、心を震わされた。
主人公は台風のもたらした多くの負傷者が存在する中でも、トリアージなどという合理的な選別の論理に抗って、一人の老人の命を助けようとする。
若い医師(高橋海人)はそれに抗う。
でも極限的な状況でも自らの病を負っている主人公のすべての人を助けるという彼の信念は揺らがない。
彼の狂気の背後にあるのは、20年間一緒に暮らしをともにした島民一人ひとりへのかけがえのなさという一つの合理性が働いている。家族の中で誰かを選ぶことなどできない。
離島のコミュニティを家族として美化することもまた一つの狂気である。
しかし、その狂気めいた熱情に絡めとられている自分を否定したくはないという不可解な気分に映画の間中、支配されていた。
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