「テレビドラマの完結編として十分だと思います」Dr.コトー診療所 福島健太さんの映画レビュー(感想・評価)
テレビドラマの完結編として十分だと思います
否定的なレビューもあるけれど、テレビドラマ版の完結編としてはこれで十分でしょう。
元々テレビドラマ化の時点で和田さんとか星野さん(父)とか、原作コミックとは違った役どころの人が結構いたので、ハント先生というのも、たしか原作で本土の病院へ手術をしに行くコトー先生の代理で一時的に派遣されたサッカーの得意な医師がそんな名前だったような気がするけれど、ドラマのオリジナル要素を含んだキャラクターというのは案外受け入れ易いように思います。
原作コミックでもドラマでも、当直の医師として、研修医が患者を放置して逃げてしまった不祥事の責任を負って大学病院を辞めて医者を続けられなくなったコトー先生が無医村の離島の診療所に拾われて、たった1人きりの医師として島民全部の命を背負って、自分を犠牲にして一生懸命働くお話でしょう?
映画は20年後のお話だとしても、コミックやドラマ時点の若いコトー先生でも、やっぱり自分のために島の患者さんを放り出したりはしないと思います。
白血病で瀕死の状態でも診療所の仕事を続けようというのは、コミックやドラマのコトー先生が島の診療所の医師を続けた後の正当な20年後の姿として、普通にアリだと思います。
ただ、20年という時間がコトー先生自身の認識の中で、診療所での医師の在り方を医師の在るべき姿みたいなものに昇華させてしまったのでしょうか?
逃げちゃった研修医(三上先生でしたっけ?)と、大学病院の教授から手術を頼まれて東京へ行ったときに再会したけれど、技術を身につけて増長した三上先生が、自分の力を見せつけるためにコトー先生を陥れようとして間違った検査結果を伝えたけれど、患者を放り出して隠れたり、自分の力を誇示するために正しい情報を隠して患者を危険に晒したりしたのに「お前は医者になるべきではない」なんてことは言いませんでしたよ?
対して映画の劇中でタケヒロ君に言った言葉は、「医者はこう在るべきだ」みたいな思想が見えて、コミックやドラマを見て抱いたコトー先生の像とはかけ離れた台詞のように思いました。
白血病で瀕死の状態なのに島に全てを捧げ尽くす姿勢とか、「医者じゃないから救えない」じゃなくて「なんとかして救うのが医者なんだ」みたいな妄執にとらわれて、ほかに傷付いて危険な患者さんが大勢いるのに心肺停止した爺さんひとりにかかりきりになるとか、理想主義みたいな狂ったスタイルを作ってしまったのは、20年という時間が生んだ変化なのかと感じました。
コトー先生の基本のスタイルをそのままに、20年間も時間をかけて突き進んだ先にいる、20年後のコトー先生というのは、綺麗かどうかはともかくとして、完結編として十分なコトー先生だと思いました。
ただ、そのスタイルの行き着く先は、全てを捧げたコトー先生の死だろうと、僕は思いました。
エンディングで、普通に生き延びて変わらずに診療所にいるコトー先生が赤ん坊を抱き上げるのを見て、「え?何?生きてるの?」と拍子抜けしました。
コトー先生の生き方は、コトー先生と、そこで救われる島民達との価値観に限っていえば素晴らしいかもしれないけれど、一人の医師の自己犠牲の上に成り立つ平穏を、『別の医師が見て「俺も犠牲になりたい」と感じるだろうか?』というと、疑問に感じます。
僕は医療とはなんの関係もない人間だけれど、もしも自分がハント先生の立場だったとして、コトー先生と同じようになりたいとは思いません。
けれどもハント先生は、台風で発生した多数の患者の治療を終えた後のコトー先生に、敬意を表すようにしてそっと頭を下げる。
エンディングで赤ん坊を抱き上げたコトー先生は、あの台風の夜から相当の時間が経っていなければ、白血病で瀕死の状態から診療所の仕事ができる状態まで回復するのは無理でしょう(実際のところ白血病の治療にどれだけ時間がかかるか知らないけれど)
あの赤ん坊が星野さんのお腹にいた子だとして、もうすぐ妊娠8ヶ月の子供が産まれるまでに2ヶ月以上かかって、さらに一人で立ち歩きができるようになるまでどれだけかかるか…。
その時点でハント先生がまだ診療所にいるとしたら、研修期間の2ヶ月がとっくに過ぎています。
コトー先生の狂った自己犠牲の精神が、若いハント先生を感化してしまったというのは、なんだか釈然としません。
あんな風になりたいの?
テレビドラマの完結編としては十分だと思える程度に、20年後を思わせるコトー先生がいたことには満足です。
ただ、コトー先生の生き方に共感はできないので、それに感化されて後をついていく若い医師が現れることにも納得がいきませんから、星5つは付けられません。