「食べることは、生きること」ザ・メニュー ちゃっちまるまるさんの映画レビュー(感想・評価)
食べることは、生きること
不穏で奇妙な世界観、登場人物に「何故?何故?」と考察しながら、惹き込まれ、目が離せない感覚はあり。ただ、見終わっても、高揚感は薄い。一切無い方もいるのでは?
伏線回収~!最高!!の様な超絶スッキリムービーではないので、誰かにオススメしたくなる気持ちにはならない。
深夜微睡みながら、「…なんかすごい映画かもォ~…」とついつい結局観てしまい、「うわ、もう3時やん…」と少々がっかりした気持ちで寝るのが似合う。
宣伝等は見ず、別映画鑑賞前の予告のみ、また前情報は当該映画のチラシのみ拝見の元、鑑賞。チラシにあった登場人物の簡単な紹介を読んでいた為、話の展開は理解しやすかったが、勘のいい方は、そのチラシで充分かもしれない。
他のレビュアーの方々が仰るように、じんわり各々で考察、理解、納得しないといけません。
「まるでお料理のように、目で楽しみ、耳をすまし、嗅ぎ、器、盛り付け、関わった人々の意図、願い、、全ての背景を想像しつつ堪能致しましょう…。」
そう考える事ができる人には評価が上がるのではないでしょうか。
逆を言えば、話題の映画を観たという腹を満たすだけ、SNSへ掲載したいだけ、通を装いたいだけ。
「映画を味わう」気はなく、ただ流し込もうとする方々には全く理解ができないまま、ラストシーンを迎えることとなる。「何故か?」と言う疑問すら最早口にする事も諦め、抗うことなくこのレストランの客と同じ末路を辿るであろう。
いわゆる伏線回収シーンはそこかしこにあるのだが、ラーメンやカレーのように決してわかりやすい訳ではない為、これもまた、そのシーンを咀嚼し、堪能しなければならない。
その為、観る者によっては何一つ意味がわからないクソ映画と変化するスパイスも調合されている。
つくり、与える側。その元々の志は皆、「喜んで欲しい」それだけだ。
それがいつしか地位や権力、名声、金、不信…そういったしがらみにのみ込まれ、当初の純粋な志は掻き消される。混濁にあの頃の自分を見失う。
20万円のコース料理に手を付けず、たかが1000円のチーズバーガーと波形カットのポテトをおいしそうにほおばる客。
「うまいもん食って腹を満たしたい」、「頑張って作るから喜んで欲しい」、双方一方的であったはずの思いが、満たし合い、笑みがこぼれ、肉汁と共に愛が溢れる。
スローヴィクが純粋だったあの頃を思い出す、この映画唯一の胸熱シーンだ。
狂気と冷静の狭間を怪演するレイフ・ファインズは美しく、見事だ。
映画制作者達は、まるでこちら側を試すように、自信を持ちつつも賭けの様な気持ちで挑んでくる。それはまさにこの映画の料理人スローヴィクと同じ。
最後のシーンに登場する俳優がこちらをじっと見つめ、「あなたはどっち側?」と問いかけてきた気がした。
制作者自ら自分達への戒めとなるよう、はたまた風刺を込め、料理になぞらえた断罪ムービー、芸術版「セブン」を創りあげたといったところであろうか。
食べることは、生きること。
生きているのは、生かされているということ。
謙虚さを見失わず、生きていきたいですね!笑
さて、、
呑んだくれのお母さんや本日のメニューである客が巻き込まれた理由はわかったけれど、レストランスタッフの従順さの背景はわからなかった。尊敬だけであの人数がまとまるか?宗教?催眠?恐怖?
そこがもう少し伝わると面白かったかな!
ごちそうさまでした!!