窓辺にてのレビュー・感想・評価
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監督の事後トークも含めて考えたこと
留亜の文学賞授賞式の会見で、茂巳の丁寧な質問に対して留亜は関心を深める。その遣り取りで語られた愛を手放すかどうかという問題に関係して、監督の事後トークでは、愛を手放せない人物を描いた『愛はなんだ』に対照した本作のテーマであり、福島出身だけれど、東日本大震災後の家族の絆の強調には疑問があると言い、稲垣吾郎氏の台詞は監督の当て書きなのかという参加者からの質問に対して肯定された。文学書を読む場面が多いのは意図的なのかという質問に対しては、監督自身は学生時代は文学は苦手だったが、映画では意図的に入れ、自分で創作した内容をつくっている、と話していた。テレビドラマ『アンメット』に監督自身が出演したことに関係した質問に対して、二回出演し、そのときの若葉竜也氏の演技が、映画のときの演技と同じ動きにして、二人で楽しんでいた、と話していた。最後にパフェを二つ注文して一つに減らした理由についての質問に対しては、単純に相手が店から出て行って帰って来ないと思った、というのが一つの答えだが、観客がそれぞれ違う答えを考えるのも面白い、と話していた。画面のサイズに関する質問に対しては、スタンダードより少し横長にしているが、近年はスタンダードで制作する人が増えている、と話していた。対話の場面が多く、視点はどこに置いているのか、模範として小津監督や濱口監督を意識しているかという質問に対しては、観客と同じ目線に置いている、と話していた。贅沢に関して、パチンコで大勝ちするのもその一つだ、という話もあった。確かにパフェや焼肉は美味しそうだった。不倫をする役回りの男優二人が揃って髭面で、女優二人が揃って髪が長いところが、見分けがつかず、関係性がわかり難かった。
ぼくとつな感じ
稲垣さんが、木訥な感じで話すのが、なんとも自然でよかったです
授賞式での玉城さんの受け応えが作家らしくって好きです
不倫の相談により、話が複雑になっていましたが、それぞれにとって、落ち着いた結果になったのでしょうか
WOWOWで今泉さんが言っていましたが、タクシー運転手のおもしろのたっちゃんとのやり取りに続きがあったらしく、滝田みずうみという名前に関してのくだりで、名前と顔だけはいいんだと答え、面白いのは?と聞くと、俺の周りには面白いやつがいないんだと、稲垣さんのとリンクしており、意外に重要な役でしたが、尺の関係でお遊び部分をカットしたみたいです
パーフェクトな食べ物をひとつ注文するところは、ただ単に、相手がもう帰ってこないからで、稲垣さんが教えるより玉城さんから聞いた方がいいとか深い意味は無いそうです
気に入った
お洒落な雰囲気の作品にひかれて鑑賞。
稲垣さんが主人公にぴったりでした。玉城ティナさんとの相性が心地よかったです。マスカットの色が綺麗でした。
パフェからの義母とのチーズケーキがパーフェクトで良かったです。この女優さんコケティッシュ感あって好きです。
好きな場面は、自宅の玄関先で志田未来さんと立ち話をしたとこです。それまでの自宅シーンは夜で暗く部屋の造りも二人の気持ちもわかりずらかったのに対して、明るくて見える向きも逆で部屋の造りも二人の気持ちもわかった。
ラスト、玉城さんの恋人役の読書感想が良かった。文学的な表現て時にエロティックさを感じるなと共感。SFて表現もなんか理解出来ました。おもしろい場面でした。
鑑賞して良かったです。
あなた、必要ですか?
フリーライターの市川茂巳(45歳=稲垣吾郎)は
妻の紗衣(37歳=中村ゆり)が、担当作家の荒川円(佐々木詩音)と
浮気しているのを知っていた。
茂巳は妻の浮気に怒りを覚えない自分にショックを受けていた。
妻を愛していないのか?
自分は人を本気で愛することの出来ない人間なのか?
茂巳のアイデンティティを揺るがしていく。
妻の浮気?!?!
夫が埋めることの出来ない「心と身体の隙間」
それを埋め合わせる「行為」
その生々しさはこの映画には微塵もない。
市川茂巳は、見れば見るほど不思議な人だった。
昔風のレトロな喫茶店が好き。
コーヒーカップも高価なブランド品。
茂巳はブレンドを注文する。
氷の入ったグラス。
光(自然光というよりランプの灯り?)
を受けて、氷入りのグラスを通して、影が手の甲に
光の輪を作る。
じいっと見つめる。
多分、茂巳の心は満たされている。
喫茶店の窓辺に座り、光の反射を受けて、
ブレンドコーヒーを味合う。
自足しているのだ。
芳醇な時が流れる。
茂巳はこんな時間で心が満たされる。
一人で生きていける人間なのだろう。
純文学的な映画で、
それと「物語を書く人と女の関係」
恋愛と恋愛観、
浮気と本気と。
頭で考える恋愛?
うーん、
本当に人を愛するってどういうことなのだろう?
茂巳は考え続ける。
茂巳は悩む。
浮気している妻と別れることは、彼女のためになるのか?
優しさなのか?解放することになるか?
妻が浮気をする。
それは、夫に不満があるから・・・。
この簡単な理由では足らないのでしょうか?
私は非常に単純で下世話な考え方の人間なので、
妻の浮気!!
それって、夫のsexに満足してないからなのでは?
第一に茂巳と紗衣は寝室が別だ。
セックスレスを疑ってしまう。
子供が居ないのも、理由は分からないけれど、
夫婦にとっては大きな問題です。
この2つを避けて論じられても、さっぱりピンと来ないのです。
(もしかして稲垣吾郎はベッドシーンがNGなのかも?)
・・・とか、要らない心配までしてしまう。
経済的な問題も論じない。
妻の方が高給取りである・・・とか、
フリーライターって不安定な仕事で、高収入とも思えない。
更に性格の不一致という都合のいい理由もある。
(早く言えば、気持ちが通じ合わないこと)
なんか茂巳と紗衣をみてたら全部当てはまる。
高校生作家の久保留亜(玉城ティナ)は文学賞の授賞式で、
鋭い質問をした茂巳に興味を持つ。
留亜(るあ)に向き合い茂巳は、とてもリラックスしていて楽しそう。
ときどき瑠亜のナレーション(彼女の小説のフレーズ)に
落ち着いたBGMが重なる。
音楽はここしかない。
あとは雨音、パチンコ店の喧騒、そして生活音。
茂巳は瑠亜に呼ばれればどこまでも駆けつけて、
茂巳は珍しく、ある頼み事をする。
小説「ラ・フランス」のモデルに会いたい」
と、留亜に頼みます。
この映画、浮世離れしています。
稲垣吾郎に生活感は全くない。
(生々しくないのです)
女子高校生で瑠亜の書くものが純文学なら、芥川賞だろうし、
いくら可愛いからって、この出版不況。
授賞式にあんな沢山の記者が詰めかけたりしない。
まあ、クスッと笑える所も結構あります。
登場する人物は全員が優しい。
そりゃぁ、手練れの今泉力哉監督ですよ。
粘りに粘って最後には、
ちゃあんと感動してる。
稲垣吾郎と玉城ティナとの絡みは、特に面白い。
留亜の金髪の彼氏があまりにも頭悪そうで、
(頭悪い・・・というより考えるのが苦手なんだろう・・)
頭の良い面倒くさい女には、
こう言う頭空っぽで、心理なんて深読みしない彼氏がお似合いなのだ。
ともかく玉城ティナは可愛かった。
若葉竜也は今泉力哉作品の常連だけど、良いポジションに居る。
稲垣吾郎の優しさ!
無駄に優しい!!
これだけ妻に無関心で自分を主張しなければ、
そりゃあ浮気もされるわと、
妙に納得する映画でした。
最後に一言。
馬鹿でマジで本気の恋愛映画を観たい。
「愛がなんだ」の岸井ゆきのみたいな。
「街の上で」は青(若葉竜也)が彼女の雪(穂志もえか)に浮気されて、
一方的に非難される。
それでも雪を忘れられない青。
2人には、茂巳と紗衣にはない絆があったような・・・。
青と雪の10年後が、茂巳と紗衣・・・って事には絶対にならない。
馬鹿でマジで本気で愛を信じる2人の映画を観たい。
茂巳と紗衣が互いを必要としていないのならば、
やはり悲しいな。
(愛なんて、つまりは必要としてるか?されてるか?)
かも知れないんだ。
映画を観た終えたら、無性に、
「肉が食べたくなった!!」
純文学
テアトル東京とテレ東だ。けっこういい組み合わせなんじゃない?と期待しちゃう。そして期待は裏切られなかった。
傑作小説を書いた後、小説を書いていない男が、妻の浮気を知るが、それに怒りを覚えない自分に大いにショックを受けて日々を過ごすという話。
フリーのライターをしている彼が文学賞受賞式のインタビューで知り合い、なんだかウマがあうというか兄か父のように慕われる女子高生小説家との関係をまじえながら、今泉監督・脚本ワールドは、今日も淡々と語られる会話劇。
今回の作品は、今泉大人ワールド。小説でいえば、純文学。芥川賞であって、決して直木賞じゃない。その分、俺には少し敷居が高いらしい。
例えば「帰って来て手を洗う」という行為。繰り返されるので、何かを象徴しているのだろうな、と思うけれどわからない。面白い映画、楽しい映画なんだけど、そういうところがわからない自分がもどかしい。いつか、俺も成長したら、フルにわかるようになるのかな。それとも、「わかる」ものじゃなくて、「感じる」ものなのかな。
とはいえ、楽しかった。さすが今泉監督。ありがとう。
おまけ1
ラストでパフェを一つにしたのは、「いや、やはり彼女に言われて二人で食べるべきだよな」と思ったからなのかな。きっと主人公にとって、パフェの時間はちょっと幸せな時間だったんだろうな…
パフェ=フランス語でパルぺ。へえ〜。
おまけ2
ナレーション、誰だったんだろう?
以下は、劇中セリフなのでネタバレかも。観てない人、ご注意ください。
・手に入れる、手放す、生きているとその二つしかないのかな。
・相手を信頼することでしか繋がれない。
・喧嘩も手放すことも、相手を知りたいから起きること。それは、自分のためじゃない。
・嫉妬心や恋心が恥ずかしくて。
・周りの人間を見下しているから、誰にも相談できないんだよ。
映画が与えてくれるもの
この作品を観て映画って自分にとって非日常を見せてくれる素晴らしい時間だと改めて思いました。
私が主人公の立場になったらどうするんだろうか?
吾郎ちゃんになったらどうするだろうか?
なんて
作品はドライブマイカーと似た感じでしたが、人間がいかに自由と不自由との間で葛藤する生き物だと思いました。
かなり面白かったです(&個人的マイナス2箇所)
(完全ネタバレですので、必ず映画を見てから読んで下さい)
かなり面白かったです。
特に主人公の市川茂巳(稲垣吾郎さん)と高校生の女流作家の久保留亜(玉城ティナさん)との会話が心地良く、2時間20分を超える映画としては長尺でかつ淡々として進むストーリーなのに、最後まで全く退屈することなく見てしまいました。
この面白さの根幹は、私的には、主人公の市川茂巳が一見、他者に関心が欠けていて心に空虚さを持っているように描かれながら、逆に出会った全ての人々に対して丁寧に心を配りながら接しているという、矛盾めいたズレがあるところだと思われました。
この市川茂巳の丁寧に心を配る人に対する接し方は、女流作家の久保留亜に対してだけでなく、妻の紗衣(中村ゆりさん)や紗衣の母親の三輪ハル(松金よね子さん)、取材対象で友人のスポーツ選手の有坂正嗣(若葉竜也さん)やその妻の有坂ゆきの(志田未来さん)、留亜の彼氏の水木優二(倉悠貴さん)や留亜の叔父のカワナベ(斉藤陽一郎さん)、妻の紗衣の浮気相手である作家の荒川円(佐々木詩音さん)などに対しても、映画の始めから最後まで一貫していたと思われます。
この主人公である市川茂巳の、心の空虚さと、一方で丁寧な人との接し方との、どこか矛盾ある心と態度がズレたまま進む時間が、映画の心地良さの基盤だったのだろうと思われました。
そして映画のラストで、主人公の市川茂巳は、留亜の彼氏(だった)の水木優二から留亜の新作小説の感想を聞かされます。
留亜の彼氏(だった)の水木優二は、留亜の新作小説の中での主人公の市川茂巳がモデルになった人物に関する描写は、「エロい描写」であり、妻の浮気に対して感情的にならないその(市川茂巳がモデルの)人物は、「SF」的で理解出来ない人物である、という感想を述べます。
このラストシーンで水木優二が語った留亜の新作小説の感想から、留亜は、市川茂巳との関係に対してエロチックな感情も持っていたことが分かります。
しかし実際は、最後のホテルでの会話以降に留亜と市川茂巳は連絡を取っておらず、(私の解釈では)映画の中で留亜と市川茂巳は大人の関係には至っていません。
つまり、実際の留亜は、市川茂巳と男女の肉体関係にはならず、一方で、留亜が肉体関係を持っているのは(市川茂巳と全く真逆で感情的な)水木優二に対してなのだということがこのラストシーンで分かります。
しかし、留亜が男女の関係を持っていたのは感情的な水木優二でありながら、留亜が男女の関係になっていない市川茂巳への理解の方が精神的には深く、市川茂巳との関係にエロスも感じていたということが、水木優二が語った留亜の新作小説の感想から伝わります。
そして、この留亜が肉体関係ある者と、精神的な深い理解の関係ある者とが、違っているという矛盾は、市川茂巳の空虚さを救済する物語の着地になっているように思われました。
(水木優二から見れば全く「SF」だと見えても、逆にその水木優二の無理解が、市川茂巳と留亜との精神的な関係性の深さを純化します。男女の肉体的な関係性の深さとしては真逆であっても‥)
この映画ラストの、主人公の市川茂巳の心の空虚さと丁寧な人との接し方の矛盾を、留亜の精神的な深い関係性と肉体的な関係性との矛盾で救済している描写によって、この映画は優れた作品になっていると思われました。
余韻としては最高のラストだったとも思われます。
ただマイナスポイントとしては、久保留亜の記者会見の場面で、作家であればもう少し説明に言葉の表現の豊かさがあっても良かったのではないかという点が1つ。
もう一つのマイナスポイントは、妻の浮気に対して感情的にならないという主人公のテーマが、映画『ドライブ・マイ・カー』にあまりにも似ていた点が1つです。
どちらの企画が先だったのかはわかりませんが、観客としては世界的映画になってしまった『ドライブ・マイ・カー』と作品のテーマが類似してしまったのは、惜しすぎるところだとは残念ながら思われました。
しかしその2つのマイナスポイントがあったとしても、それを凌駕する素晴らしい作品だったなとは思われました。
漣の様な感情が織りなす関係性
飄々として感情をあまり表に出さない稲垣吾郎さんにとって、この役はマッチしていた様に思えた。
妻の浮気を機に自分自身と向き合うことになる男とその男の周りの人々との関係を淡々と描いてる。
物語の起伏は主人公の感情とリンクしたかの様に穏やかに進むため、夫婦の結末も静かに幕を引く。
もう少し起伏があっても良かったんじゃないかと思えた。
主体と違うのだが、友人の有坂がスポーツ選手ならもう少し絞った体つきにして欲しかった。または脱いだシーンは避けて欲しかったです。演技よりもそのことが気になってしまいました。
手放す、知る、愛
『窓辺にて』のテーマは、手放す、知る、愛、の3点の関係性について問うものでした。高校生作家の久保留亜は主人公市川茂巳にこういったことを言います。「手放すことは知ることである。」冒頭で久保が受賞した小説には全てを手に入れ、そして手放す人の話が出てきます。それを踏まえてのセリフです。確かに、手放すことで知ることはあるでしょう。例えば、別れ話を持ちかけることで相手の愛を知ろうとするとか。しかし、この言葉はこういう意味でもあります。「知ることは手放すことである。」これは市川の本質を指した言葉です。市川は知れば知るほど、それを手放してしまう。そんな人間です。久保の彼氏はそれを「サイコパス」と表現しましたし、市川の友人マサの妻も市川を追い返すほど否定していました。しかし、市川はそんな人間なのです。この映画はそれを表現したかったのかな、と私は映画を最後まで見て感じました。「知ることは手放すこと」がどのように描写されていたか確認しましょう。市川は、ある日妻の不倫を知ってしまいます。しかし、その事実にショックを受けなかった。知ることによって、妻への愛が手放されてしまった描写です。次は、市川がマサの妻に向かって言うセリフ「言い方悪いですけど、(不倫を知って怒ることができる)あなたが羨ましい。」です。これは、知ることによって妻を手放してしまう市川が、マサの不倫を知ったマサの妻がマサへ怒りを向け、戻ってきてほしいと願う、つまり手放さないことへの羨望が見て取れます。これは次に説明する、市川の思想が無自覚なものであるという点にも絡んできます。タクシーの運ちゃんが言う「パチンコは時間と金を同時に失ってしまうから贅沢な遊びである」というシーンも考えてみましょう。それを聞いた市川は、さっそくパチンコをして見るのですが、とても稼いでしまいその結果2万円を受け取ってしまいます。市川は贅沢をするのに失敗してしまうのです。贅沢を知ろうとして、失敗、つまり手放してしまうのでした。これは少し無理やりかもしれませんね。もう少し考える必要があります。最後。市川は久保の風呂を覗こうとはしませんでした。これは、知ると手放してしまうから、手放したくないから、知ろうとしなかったシーンではないのでしょうか。
次に考えるべきことは、「知ることは手放すこと、ではないこと」です。というのも、先程の「知ることは手放すこと」というのは市川の本質ですが、市川自身の思想ではありません。ただ、事実として市川は知ると結果的に何かを手放してしまうことになるのです。それでは、市川自身の思想、つまり先程挙げた「知ることは手放すこと、ではないこと」とはどういうことなのでしょうか。「知ることは手放すこと」では、手放すこと、手放されてしまうものは、望んではいないことでした。しかし、「知ることは手放すこと、ではないこと」、つまり市川の考えでは、手放すことは悪ではありません。むしろ、手放すことこそ愛なのです。その根拠となる部分ですが、「もたないってことは好きってことじゃないの?」という久保の言葉に、「そうだね、それはとても好きだ」と市川は答えています。市川が小説を書くことを手放したことは妻に対する愛によるものでした。市川が妻に離婚を突きつける、妻を手放そうとすることは、妻を思ってのことです。問題となるのは、「手放すことは愛である」というこの思想は、市川以外には理解されないという点です。それゆえ、妻は市川の言動を理解出来ず苦しみましたし、友人たちも同様に理解はできなかったようです。市川自身もこの思想に無自覚なのかもしれず、それゆえ妻の不倫を知った際の葛藤が描かれていました。また、先程出てきたようにマサの妻に対して羨ましいというセリフからも思想との乖離が見られます。
【良かった点】 まるで小説を読んでいるかのような時間。今泉監督作品...
【良かった点】
まるで小説を読んでいるかのような時間。今泉監督作品の中でも突出して行間を楽しむような作りになっていると個人的には感じた。様々なセリフの中に意味があるように匂わせ、その意味を観客が思い思いに想像し楽しむ。これが癖になるから今泉監督の作品はやめられない。主演のゴローちゃんも素晴らしく、ニュートラルな演技が上手すぎる。
【良くなかった点】
基本的に不倫が大きなテーマの一つにあり、そこに絡み合う人間模様が軸の作品。大人の不倫、子どもの純愛の対照は、恋愛を扱う作品としてやや単調に感じてしまった。
光の指輪
妻の不倫を知った後
彼女への愛し方を模索した話
贅沢な時間
好きな小説を
居心地のよい場所で
読んだような清涼感。
ある年齢を超えると
ひとに相談できない悩みを
持つようになりませんか。
自身のプライドなのか
相談する人への迷惑を思ってなのか
その時期に親しい人がいない
など
それぞれですが。
市川の思いが観客に問いかける。
妻の不倫を知った時、
心底愛していれば
怒りの感情が湧くはずなのに、
自分は彼女を愛していないのか。
しかし、
紗衣との生活を
大事に最優先にした自分は
小説への思いを枯らしてまで
二人で暮らしていたのに。
これからの人生に
二人でいることが
正解なのかわからない‥
作中では、
悩んだ末になんとか見つけた相談者から
相手が可哀想というアドバイスを
もらって、
彼はある判断をする。
一生で何度かある
人生の分岐点を
疑似体験しているようでした。
本作の出演者や
監督のセンスが
素敵。
結婚感を光の指輪に例えて
美しいものだけど
儚くある時間が経つと消えてしまう
と
表現しているのが
恋愛を神聖化しているようでした。
現実はそんなものじゃないと
理解していても
好きな小説としてこの世界観に
浸りたい
という気持ち。
本作のパンフレットは
凝っていて
留亜の受賞作もついてます。
山形産の洋梨はラ・フランス
新潟産はル・レクチェなんですよね。
私は新潟産のほうが好き。
おすすめ。
パンフレットも。
喫茶店の窓辺などでの一見淡々とした、一対一の会話シーンが連なっていく
という作りの中に単純には言い表せない微妙な機微が描かれ、見えない緊張感や不安定感に目が離せなくなっていく。それでいてちょっと奇妙でなんだかユーモアが常に感じられる。
序盤は律儀に1ショットの切り返しでテンポよく描かれていた会話が、微妙な関係や状況が現れてくるにつれ2ショット(あるいは3ショット)の長回しとなり、役者たちの芝居に委ねられていく。脚本と演出と演技が一体化した気持ちのよい作品。
そして古典的な喫茶店で紙の本を読みながら休日を過ごしたくなること請け合い。
干渉
長かった…よく最後まで観れたと思う。
なのだが、退屈だったわけじゃない。
面白かったは的確ではなく、興味深かった。
稲垣氏ありきの脚本なのかと思う。
他に該当する役者が思い浮かばず、こんな才能もあったのかと興味深い。存在感がないという存在感。
書いてる自分自身も「?」って感じなのだけど、なんかそんな感じだ。
作品を観ながら終始頭に浮かんでたのは、浮遊する円だった。ともすれば人が人と知り合いになるまでを描いていたような気にもなる。
フワフワと漂う個が、ふとした事で接触し、離れまた接触し、互いに侵食していく。
広くなったり結びついたりはしない、変わらずユラユラと漂うのだけれど、中心は変わらずに円の輪郭だけが増えていくようなイメージ。
皆様、おっかなびっくり探り合う。
つついて見て、反応を確かめて、またつついてみたり…空間に滲んでく波長みたいなものが見えてた。
実に興味深い撮り方だった。
それなりにセンセーショナルな話が散りばめられてたりはするのだけれど、それは143分という尺を持たせる為で、要はそれではなくて、この波長なのかと思う。
この波長が生まれる過程を認識させるのに、それだけの時間が必要なのだろう。
ほぼカットを割られる事はなく、ひき絵の長回し。1日1シーンのスケジュールだったとしても疑問には思わないだろう。
なんせ演者に気負いがない。
監督はどんな手法を用いたのだろうか…興味が尽きない。落とす視線や、ふいに訪れる静寂や、うつむく顔や…感情にそぐわない仕草は一つとしてなく、感情を誇張する仕草もなかったように思う。
すっごく平坦な、いやわざと平坦なのだろうけど、ここまで波風立たないのに、俺が飽きてないのが不思議でしょうがない。
観終わって、即座に思ったのが、トイレの為に中座しなくて良かった、だった。
意外に台詞を通して登場人物たちの胸の内を想像してた143分なのかとも思う。
彼らの事を解ろうと試みていたのかも。
現実で出会う人物にそうしているかのように。
なぜこんな感想を抱くに至ったか、実に興味深い。
そしてタイトルについて考える。
「窓辺にて」
多分、監督がこの話を閃いた場所なんだな。
緩やかな日差しが差し込む窓辺で、つい哲学的な事に思いを馳せる時間ってあるじゃない?
絶対違うけど、なんかそんな事だ。
もしくは、窓辺から行き交う人を観察してる状況に酷似した作品だからかもしれない。
自分も含め、人間ってな興味深いなぁ。
たぶん、台詞というか言葉の裏側を想像するのかと思う。喋る行為には感情が伴い、なんらかの意図があってその言葉になる。
今、喋ったその言葉には、どんな意図が隠れているのか?そういう目には見えない波長を映像として撮ると、こういう事になるのかなと。
有意義な対話だった。
味が薄い
吾郎ちゃんファンに勧められて観ました。吾郎ちゃんありきで作られたような印象。
高評価が多くてびっくり。私は鑑賞力がないのかな?
全体的に味が薄い。各キャラクターもありきたりで面白味がない。それをリアルと言うのでしょうか。
少女作家が体験を貪欲に小説の材料として消化していく(手放す)のに対し、主人公は小説にしてしまうと過去のものになってしまうので書かない、というコントラストは面白かったし、唯一新進作家との対話場面は緊張感があったものの、"私にはいらない小説"というセリフがやけに印象的でこの映画の感想に。。なんだか化けそうな映画だけにちょっと残念。
フルーツパフェよりお寿司が美味しそうだった。
追記:自分の感想と大多数の高評価のギャップに、他サイトのレビューまで貪り読んで、わずかに同じ感想のレビューを見つけて安心したり、何に対してかわからない怒りが湧いてきたりして結果ずっと映画のことを考えている。忘れない映画になりそうな予感さえしてナニコレ、ヤメテ。味のないガムを噛み続けやっと小さな紙に包んでもきっと指に付いてしまうトラウマ。
最後の彼氏状態
率直にいうと僕はこの映画のテーマとかそういうのが全くわからなかった。
ただ、わからないからといってクソ映画というわけでもなく。
なんというかわかりたいと思わせるような映画だった。
多分10年20年してから見るとまた味わいも違うんだろうなと思った。
演者だと稲垣さんの無機質な美しさが良く出ていて面白かった。
パーフェクトじゃなくても
今泉監督の新境地!そう思える柔らかな作品でした。
まず今泉監督の武器である会話劇は今回も面白いんですが、面白さのベクトルがいつもとは違うように思えました。普段の作品だったら言い合いや喧嘩の中でのすれ違いで笑いに繋がっていくパターンが多かったんですが、今作はわりかし会話がストップする事もあり、有耶無耶にしてとにかく行き詰まる、そんなウズウズした感情が面白さに繋がるという感じでした。他にも仕草でクスッと笑わせたり、布団に潜らせる図を長く映すかわいい場面もあったりと、今泉監督ならではのかわいさが思う存分発揮されていました。
かなり大人なラブストーリーに仕上がっていて、不倫や浮気というワードが飛び交っており、物語も基本的にはシリアスです。哲学的なモノローグ多めなのもあって、所々に笑いを用意してくれていますし、時折考えさせられる言葉も発してくるので不意を突かれます。
自分は主人公と同じように、かなり決断には鈍く、安全策をとってしまう人間なので、見ていてたまに苦しくなりました。アハ体験のようでした。
鏡写しのようで、素敵な言葉も美味しそうな料理も散りばめられており、心に残る一本でした。少し苦手だけど好き。
鑑賞日 11/8
鑑賞時間 15:20〜17:50
座席 E-1
丸いベッドでババ抜き
ロングカットで、間を多く取った会話を、8割がた室内でしてるだけ。
でも、そこに不思議な温かみや可笑しみがある。
稲垣吾郎が、無感動なのにどこか不安定でゆらぎのある役を好演。
ラブホのシーンで変な生々しさが出ないのは彼ならでは。
玉城ティナはクール、ミステリアス、大人っぽいって方向が多かったから、「かわいい」は新鮮だった。
取材時の斜に構えた感じと、茂巳といる素の感じのギャップも良い。
他の役者も、冷静に見れば芝居がかってるんだけど、ギリギリ自然に見えるバランスが素晴らしかった。
自分は無駄に理性的なところがあるので、(理由は違っても)茂巳が自己を冷たい人間、人間らしくない存在と思う感覚はすごく分かる。
でも、終盤荒川と対峙したときは明らかにちょっと怒ってたよね。
何にせよ、ラストカットの表情で彼のモヤモヤが多少なり晴れたことが分かる。
その理由は各々に委ねられた形かな。
不貞行為含めて基本みんな相手への想いは本物だったと思うのですが、紗衣だけは本気だったのか、茂巳が指摘した通りだったのか、判別がつかない。
そこも含めて、解釈・考察の余地のある、文学的空白の多い作品でした。
喫茶店で小説を読んでいるような不思議な作品
劇伴とカット割りがほぼ無く
会話中心で進むので、
言葉を発する前の息づかいだけでも
気持ちが伝わって来ます。
稲垣吾郎演じるフリーライター茂巳は
妻の浮気にショックを受けなかったという
感情移入しづらそうな性格。
しかし、その穏やかで嘘のない人柄は
不思議な魅力を携え、彼が何を考え
どんな言葉を放つのか惹き込まれていました。
劇中の「失うことで得ることが出来るものがある」
という言葉が頭にへばりついています。
タクシー運転手さんの
パチンコにハマる理由も確かに
とても面白かったです。
「窓辺にて」を観て個人的に思ったことをダラダラと綴る。
言葉の表現がとても難しいのだけど
きっと茂巳さんは紗衣さんのことを好きとか嫌いとかではなく愛していなかったわけではなかったと思う。
ただ自分の中に浮気をしてる彼女に対して怒りが湧かなかったのことに、他の人にはない感情があることにズレを感じていたのかな。
だから、どうするべきかで悩んだわけだし、このまま夫婦の生活を続けても相手に失礼だと思ったので別々の人生を選ぶ選択をしたのかと感じた。
そしてもう1組の有坂夫婦には浮気の話をしたのかしなかったのかと想像するが、そこはなかったのかなと。マサさんは臆病でそれを埋めるようになつと不倫関係にあったのかと考えると中々酷いともとれるが、誰かに縋りたい時もあるだろうし、それが本来に妻に向けられるべきなんだけど、大切にしたいからこそ切り出せないことがあるなと考えると、なつさんは気の毒だけど意外とあっさり切り抜けてそう。
茂巳さんが別れ話を切り出す時の円さんについてはすごく自然で茂巳さんらしかった。
ところで、倉さん演じていた優二がめちゃめちゃ可愛い人なんだか。もう後半可愛くてずっと笑ってた。なんて、愛おしい人なんだろう。
そしてマサさんを演じる若葉さんのTシャツに小さい狼か犬のプリントは「街の上で」の青の大きい狼か犬のプリントTシャツを思い出したし
優二を演じる倉さんのバイクのナンバーが湘南というところがドラマ「his」を思い出しニヤニヤ。
タクシー運転手も初のパチンコで大当たりをだす、なにげないシーンがとても好みだった。
不倫をしてたなつさんが円さんの小説を紹介するのを見る紗衣さんも、その小説の感想について、モデルとなってる茂巳さん目の前に「最低」と放つ優二がいるのもすごく面白い偶然で、そこが映画らしい。
私は感想書くの苦手なんだけど、この映画を見てこう思ったというのを残しておきたいので残しておきました。
登場人物に自分を重ねると言うより、存在する人物たちを遠巻き且つ客観視するかたちで映画に見入ってしまった。
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