インディ・ジョーンズと運命のダイヤルのレビュー・感想・評価
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いくつになってもかっこいい
過去作は全て視聴済み。私は中学生の頃からハリソンフォードの大ファンなので、彼がインディを演じる最後の映画ということで楽しみにしていました。
78歳(撮影当時)にも関わらず、当時のイメージがそのまま残っていることに感動しました。さらに、馬に乗ったり飛行機からダイブするなど、高齢者とは思えない身体を張ったアクションに驚き続けました。パートナーのヘレナとテディは魔宮の伝説を連想させる組み合わせで、どちらも頼れる存在として大活躍してよかったです。ラストでは、レイダースにも登場したある人物も出てきて涙が止まりませんでした。
池袋のIMAXで鑑賞したため、インディたちと一緒に冒険している気持ちで楽しめました。街中のカーチェイスや謎を解きながら洞窟を探索するシーンは、ディズニーシーのアトラクションに乗っているような感覚になって興奮しました(それと久しぶりに乗りたくなりました)。また、大迫力の音響でレイダースマーチを聞けただけでも嬉しかったです。
今作のキーアイテム「運命のダイヤル」は、タイムトラベルのような機能がある印象を受けました。こういったSF要素はクリスタルスカルにもありましたが、今回はそこに世界史の話を加えたひねりのある内容になって感心しました。また、過去作の小ネタも豊富で、一部でインディの蛇嫌いを思い起こす場面もあって懐かしくなりました。
その一方で、全体的にライトな雰囲気になっているのが気になりました。監督が変わった影響もありますが、個人的にはディズニー色が強くなっている印象を受けました。スターウォーズ7〜9のときもそうでしたが、ルーカスフィルムがディズニーに買収されたことで、その後に製作された映画はディズニー配給で公開されました。そのためか、今までとテイストがガラリと変わったことで、違和感を覚えるファンが続出して賛否両論になりました。今作でもディズニー特有のファンタジー要素が表れており、物語があっさりしているように感じました。
私が劇場で観る最初で最後のインディジョーンズになりましたが、彼の冒険を見届けることができてよかったと思えるぐらい満足できました。
その時代、確かに彼はそこに居た。
ナチスとの戦いの中で、ビートルズが鳴り響く町中で、月面到達の祝賀パレードの騒ぎの中で、正しくレンジャー部隊顔負けの奮戦振りで戦う大学教授、彼自身こそ歴史的遺産であるかのような考古学者インディアナ・ジョーンズ。前半の若返りもどうなってんだかと不思議だけれど、贅沢に再現された歴史的シーンの狭間で(老骨に鞭打って)活躍するその姿は、本当にその歴史の中に居たと思わせる、正しく「歴史」を描いた、何処までも「考古学の映画」であることに筋を通されていた作品だったと思いました。
と、思いきや、科学者(数学だったか物理学だったか)の登場、「時間の狭間」「タイムトラベル」という概念、まさか、SFの世界にまで話が飛んでいくのかと思いきや、それもまた、何処まで考古学の世界、直にこの目で見たかったであろう、古代の世界にまで脚を伸ばすとは思ってもみなかった。そりゃジョーンズ先生、残りたかっただろうなあ。考古学者にとって見果てぬ夢であっただろうから。でも結末はシリーズ第1作からのファンにとって、綺麗に仕上げられた幕引きでした。
あと一歩で、ジョーンズ先生ご自身が歴史的遺産になってしまうところでしたね。それはそれで、良いシリーズ幕引きであったかも知れませんが。似たような台詞、シリーズ1作目になかったかな。
アラ傘(傘寿)ハリソン、ファンのために頑張る
60台半ばのハリソン・フォードが19年ぶりに頑張る姿にどこかハラハラした前作から16年。設定上70歳のインディを演じるハリソンは撮影時御年79歳。あまり年齢のことは言いたくないが、さすがに心配になる。
オープニングからいきなり、1944年設定の若いインディ(設定上38歳)。「アイリッシュマン」でデ・ニーロやアル・パチーノを若返らせた技術、ディエイジング(モーションキャプチャーを使わず、俳優の過去作の映像データを元に若く加工する)でバキバキに決まった姿で、動きも軽やかに、いきなり「ゴールデンカムイ」終盤さながら(順序としてはゴールデンカムイのような漫画の方が映画の影響を受けた側だが)の活劇を繰り広げる。
でも、顔はともかくアクションはどうやって撮ったのだろう、どこまでハリソン本人がやっているのだろう、ここはボディダブルかな……などと雑念が入る。もちろん、今の時代何とでもやりようはあるのだが。マッツ・ミケルセンも若返っていた。
1969年に移ってリアルハリソンになってからも、お馴染みの展開、お約束のアクションが続く。意外性はないが、それはシリーズ最終作にあってほしい安心感のようなものでもある。大小いろいろツッコミどころはあるものの、それはシリーズ全体に言えることで、口にするだけ野暮というものだろう。ハリソンが老骨に鞭打って、シリーズを締めるために頑張っている姿を拝めることが肝心なのだ。
タイムリープ先の古代に残りたがるインディを見て、若い頃なら学者の分別が働いてそんなこと言わなかったろうに、老い先短いとこういう気持ちになるんだなと思った。
アクションの迫力を補うためか、ヘレナ役のフィービー・ウォーラー=ブリッジがかなり体を張っていた。誠実そうな見た目に峰不二子チックなリアリストキャラだが、終盤突然デレたのは玉に瑕。
アントニオ・バンデラスは、正直観ている最中は分からなかった。最近のバンデラスを別の映画でも観たのに、ふた昔くらい前の濃厚セクシーなイメージを更新出来ないでいる。
マッツ・ミケルセンは軍服姿もりりしくて、相変わらずかっこよかった(個人的には、マッツを観に来た)。ちなみにユルゲン・フォラーは、ヴェルナー・フォン・ブラウンというドイツ人の工学者がモデルだそうだ。彼はナチスドイツでミサイル製作を指揮していたが、戦後アメリカに亡命し、NASAでロケット開発に携わったという。
ヒトラーのせいで戦争に負けたからタイムリープして総統を殺すと言っていたが、ヒトラー以上にナチスの理想を実現出来る人材の当てがあったのだろうか。そこはまあ、本作のノリとしてはどうでもいいか。
ついでにもうひとつ余談だが、「アンティキティラ島の機械」は実在するらしい。1901年にギリシャのクレタ島沖海底から3分の1だけ回収され、ずっとオーパーツ扱いだったが、数年前にUCLの研究プロジェクトによりデジタルモデルが完成している。実物を製作する技術はまだ謎で、ロストテクノロジー的存在のようだ。
アルキメデスのミイラがフォラーの腕時計を着けていたのに、ラストでアルキメデスがダイヤルと一緒に腕時計を返そうとしていたのは齟齬がある気がしたが、インディが気絶した後に、結局腕時計だけ彼にあげたということかな。
Wikipediaを見ると、2008年の前作の公開前後には既に本作を作ろうとする動きは始まっていたようで、それが各段階でなんのかんのあって遅れに遅れた結果今日に至ったようだ。シリーズのファンには何年間が空こうががあまり関係ないのかもしれないが、個人的にはアクション大作は主役が少しでも若いうちに撮っておいてほしい気がした。何だか、自分の祖父母や親が年甲斐も無く体力的な無茶をするのを見ているようで、ハラハラして落ち着かないのだ。
私はシリーズものであっても単品としての出来をつい考えるのでこういう感想になってしまうが、シリーズ愛を前提にしたご祝儀的高評価のほうが、製作者の意図にも沿うものなのだろう。ファンの同窓会という前提があってこそ輝く作品。
シリーズのらしさは堪能できた
ハリソン・フォードがどれくらいアクションできるのかなと思って見始めたら、若い頃のハリソンが冒頭30分くらいで大アクションを披露していて、「そうきたか」という感じ。これはボディ・ダブル的な奴だと思うが、単なるプロローグという位置づけ以上に見せ場にしているのが印象的。やはり溌剌としたインディが見たいだろうと制作陣は考えたんだろう。
インディ・ジョーンズのシリーズらしい世界をまたにかける冒険活劇がありつつも、SF的な要素に思いっきり突っ込んでいく後半の展開は大胆。まあ、「クリスタル・スカル」の時もそうだったが。人類が月の到着に湧いていた時代を背景に、人と科学の関係をアルキメデスにまでさかのぼって問い直すという発想はいいと思う。でも、やはり中盤の三つ巴で秘宝を追いかけるシークエンスが映画としては最も盛り上がるところ。
しかし、昔観た時ほどに血沸き肉躍る感じがしないのはなぜだろう。昔はネットもないし飛行機代も高かったし、世界の景色を観ることが貴重だったけど、今はスマホで景色だけなら簡単に見れるというのも大きいだろうか。観たことのないものを見せてもらった感じがあんまりしなかった。それはしょうがないことかもしれない。
言いたいことは山程あるが、最後は涙目になっていた。
体力的には元気そうだが、インディの老いというテーマを前面に持ってきた最終作。歴史を変えても、もう研究した過去に世界に置いて行ってくれと言うインディの情けなさは、おそらくシリーズ全体を台無しにするのではという否定的見解もあると思うのだが、老いを描く以上、これはこれで納得のいく展開ではあった。
しかし、理屈で考えてNGであることは明白で、命を助けたいというだけでなく、てめえは学者だろうよ、学問を守ってきたんじゃねえのかよとウォンバットが殴り倒すのは素晴らしかった。心情的にインディの弱さはわかる、しかしそれだけでは済まされない以上、若い世代がなんとかしてくれたことに希望がある。この映画を観てよかった、と思えた一瞬だった。
そしてその後のあのひとの再登場と、まさかの1作目でもっとも小っ恥ずかしかったシーンの再現に涙目になっていた。この涙は、ほぼ100%ノスタルジーでしかないとわかっているが、インディとマリオンがやはりお互いしかいないのだという答えたどり着けたことに、フィクションの世界とはいえ心からよかったと思えたのだ。感傷的でズルいが、これだけ長いシリーズだからなし得たラストだと思う。
この2点を除くと、正直、なんでこんなに下手クソで、盛り上がろうにも盛り上がれない冗長な映画にしてしまったのかと呆れる。序盤のアクションで帰りたくなったくらいだが、我慢したのは単にインディ・ジョーンズの最後を見届けようという義務感からでしかなかった。人の命の扱いも、シリーズのルールが変わったのかと思うほど雑で、なおかつ暗い。バンデラスの出し方と消し方とか、事情は知らないが、あんなのでいいと思ってるんだったら心から反省してほしい。意外や小物感をただよわせたマッツ・ミケルセンは良かったです。
インディ=ハリソンにとってこれは最高の花道
シリーズ第1作『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』('81)から42年(←信じられないが)。80歳になった(←さらに信じられないが)ハリソン・フォードが、CGマジックの力も借りつつ、依然として無骨でユーモラスな考古学者、インディアナ・ジョーンズに扮して、歴史を変える秘宝"運命のダイヤル"を求めて、時空を駆け抜ける。それは、インディの、ハリソン・フォードの、我々映画ファンの時空旅行だ。第2次大戦が終結した1944年に始まり、アポロ11号が月面着陸した1969年を経由して、さらに1939年に戻って、果ては紀元前212年にまで遡る物語は、ところどころいささか唐突だが、終始飽きることはない。
マッツ・ミケルセンが演じるナチスの残党、フォラーに加えて、本作ではインディが名付け親であるトレジャーハンター、ヘレナ(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)がお宝狙いの1人として登場し、インディが追い求める夢とヘレナが追い求める富とを対峙させる新機軸を設定。どっちが勝るかは言わずもがなだが。
最大のお楽しみはラスト近くにやってくる。それは、『レイダース~』で忘れがたい"あのシーン"の逆バージョン。その瞬間、涙ぐんでしまうインディ・ファンは多いはずだ。ハリソン・フォードにとって、これ以上は望めないほどの花道が随所に用意された15年ぶりのシリーズ最終章。とりあえず『お疲れさま』『ありがとう』以外の言葉は思い浮かばない。
事前に出ていた酷評の意味が分からないほど良く出来た作品。シリーズの集大成感が出ている42年間を締めくくる最終章。
本作は事前にアメリカの批評家サイトrotten tomatoにて割と厳しめな評価だったので、そこまで期待せずにいました。
ただ、メガホンをとったのは、これまでのスティーブン・スピルバーグからジェームズ・マンゴールド監督にバトンタッチ。ジェームズ・マンゴールドと言えば、大傑作「フォードvsフェラーリ」「LOGAN ローガン」の監督で、どうしても釈然としないものもありました。
そして実際に見てみたら、息つく間もないほどのアクションの連続で、飽きる事がありませんでした。
展開も、考古学者で冒険家の「インディ・ジョーンズ」シリーズの過去作を良い意味で継承していて、「インディ・ジョーンズ」シリーズならではの展開となっています。
やはりジェームズ・マンゴールド監督作品のクオリティーは高かったです。
本作の冒頭では、第二次世界大戦の末期の、比較的、若かりし頃のハリソン・フォードが演じるインディ・ジョーンズの話になっています。
その後は、1969年の夏に舞台が移り、世の中ではアポロ11号が月面着陸を成功させ、帰還した飛行士たちを祝うパレードが行われたりしています。
インディ・ジョーンズも老後に差し掛かっていて、大学の教授を定年で終えるタイミングとなり、それなりにハリソン・フォードの実年齢と近いインディ・ジョーンズが登場して、物語が進行していきます。
巨匠ジョン・ウィリアムズによるテーマ曲も決まっていましたし、良くも悪くもお約束的な展開も含めて十分に面白かったです。
シリーズに思い入れのある人ならオマージュシーンもあるので、より楽しめます。
強いて言えば154分は、やや長い時間ではありますが、見ている時には時間を感じさせないほどの展開の面白さがあったので、これは問題ないと思います。
一見すると「このシーンは要らないのでは?」と思えるシーンもありますが、物語に緻密な設定を入れ込むためには必要なシーンでもあったりするので、私は無駄のない構成だと判断しています。
(第二次世界大戦前の1936年を舞台とする)1981年公開の「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」から実に42年が経ち、ハリソン・フォードも今や御年80才。シリーズ5作目となる本作は、これまでの集大成と呼ぶに相応しい作品でしょう。
賛否両論あるだろうけれど、人生の黄昏や男の哀愁を描けるジェームズ・マンゴールドがメガホンを取ってくれて良かったとしみじみ思う
インディ・ジョーンズはもともとスピルバーグとルーカスが007みたいなものを作ろうとして企画された作品である。
007シリーズがジェームズ・ボンド役の俳優を代替わりさせていくことで時代の変化に合わせて新しい007像を作り出していったのに対して、インディ・ジョーンズ・シリーズはハリソン・フォードを起用し続けた。
その理由として、ひとつにはインディ・ジョーンズが現代劇ではないため、社会情勢の変化やテクノロジーの進歩など新しいものを常に取り入れていくという必要がなく、インディ・ジョーンズ像を更新していく必要がなかったということがあるだろう。
しかし仮に、俳優を替えて新たなシリーズを始動させるという企画が以前にあったとしてもハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズがあまりにもハマり過ぎていて、とても他の俳優では代えが効かないと製作陣が判断してボツにしたであろうことは想像に難くない。
そのくらいインディ・ジョーンズというキャラクターの完成度は高い。
アメリカ映画を代表するヒーローの一人と言っていい。
事実、2003年にAFI(アメリカ映画協会)が選んだ「アメリカ映画100年のヒーローベスト100」において堂々2位にランクインしている。
自分は中学生のときに『魔宮の伝説』を劇場で観て、そのとき初めてインディ・ジョーンズに出会った。
あまりの面白さに腰が抜けてしまい映画が終わってもしばらく椅子から立ち上がれなかった。
なにせ中学生だったから(笑)。
『魔宮の伝説』も、大人になって改めて観直すと、インドの宗教や食文化についてメチャクチャな描き方をしていたり、イギリスの植民地政策を肯定するような描写があったりして、今こんなもの作ったらアウトだろうというような作品だったりするのだけど(笑)、中学生のときに腰を抜かすほど面白かったという、あの衝撃は忘れられない。
中学生のときに腰を抜かして以来、ハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズは自分にとってはクリストファー・リーヴ演じるスーパーマンと並んでアメリカ映画の二大ヒーローである(奇しくも、どちらの作品のテーマ曲も名匠ジョン・ウィリアムズによる名曲)。
ただ、ハリソン・フォードがずっーと演じ続けているため、観客たちはインディ・ジョーンズがだんだん年をとっていく様を見せられることになってしまった。
本作撮影時、ハリソン・フォードは79歳。
様々な映画の魔法が駆使されていることを差し引いても、その年齢にしてはかなり若々しく見えることは見える。
でも、どう贔屓目に見ても冒険活劇の主人公としては年を取り過ぎている。
御年79歳のハリソン・フォードを引っ張り出してまで、なぜインディ・ジョーンズを作らなければならなかったのか。
もちろん、人気コンテンツは絶対手放さず、手を替え品を替え新作を作って儲けようとするハリウッドの貪欲さというのはあるだろう。
でも、やっぱり前作『クリスタル・スカルの王国』を観た多くのファンが「これでインディ・ジョーンズって終わっちゃうの?」とモヤモヤしたというのが最大の理由ではないだろうか。
こんな終わり方では納得できないというファンの想いに製作陣が突き動かされたのだと、自分としてはそう思いたい。
戦場では敗走する自軍の最後尾を担当する殿(しんがり)を務めるのが最も難しいと言われている。
人気に翳りが見えた長寿シリーズの締め括りを任されるというのも、なんだかそれに似ている気がする。
何をやっても熱烈なファンからは批判を浴びるに決まっているし、下手をすればキャリアの黒歴史になりかねない、それでも誰かが討ち死にを覚悟で引き受けなければならない損な役回りと言える。
ジェームズ・マンゴールドもよくこんな役目を引き受けてくれたものだと思う。
監督を引き受けるに至った経緯は知らないし、彼には彼なりの打算や計算があった上で引き受けたのかも知れないけれど、それでもジェームズ・マンゴールドの男気を感じずにはいられない。
そして、本作を観終わってしみじみと思ったのは、ジェームズ・マンゴールドがメガホンを取ってくれて良かった、ということだった。
こんなインディ・ジョーンズが見たかったのか、と問われると、誰が監督だろうと老骨に鞭打って頑張るインディの姿なんかそもそもあんまり見たくなかったのである。(笑)。
前作ですらモヤモヤしたのに、今作ではさらにモヤモヤするだろうと分かっていたから、インディ大好きなだけになかなか観る気になれなかったくらいである(笑)。
スピルバーグとマンゴールドの作風の違いというのも歴然としている。
スピルバーグが描くインディ・ジョーンズは軽快な冒険活劇だったが、マンゴールドが描くのは重厚なサスペンスである。
スピルバーグが監督してきたこれまでのシリーズは、結構とんでもない死に方で人がバンバン死んでいくのだけれど、その死はあくまであっけらかんと描かれている。
ある意味スピルバーグの悪趣味な面が炸裂しているとも言えるのであり、自分はそんな脳天気な悪趣味さが大好きだったのである(笑)。
一方、本作は最近のダニエル・クレイグ版の007シリーズのような緊迫感あふれる重厚なサスペンスであり、人の死の描き方も重く殺伐としている。
物語から軽快さが失われてしまったことに幻滅したオールド・ファンも結構いたのではないかと思うけれど、やっぱり79歳のハリソン・フォードではどんな軽快な冒険活劇の脚本を用意できたとしても無理があったと思う。
本来インディ・ジョーンズ・シリーズは古代の遺物に秘められた超自然的パワーが物語の重要な要素であり、歴史ファンタジーとでも言うべきジャンルの作品だった。
それが、前作『クリスタル・スカルの王国』からSF的な色合いが濃くなってしまい、本作においてもそれは受け継がれてしまった。
このSF路線の継続に違和感を感じたオールド・ファンもこれまた多かったのではと思うけれど、これも監督一人に責任を負わせる問題ではないだろう。
なんだかんだで本作はスピルバーグが監督したこれまでのシリーズとは雰囲気が違い過ぎていて、特に旧三部作を愛してきたファンにとっては受け入れにくい作品になってしまったかも知れない。
でも、自分がジェームズ・マンゴールドで良かったと感じたのは、彼が人生の黄昏や男の哀愁を描ける監督だからである。
まさかの年老いたウルヴァリンを描いてみせた『LOGAN/ローガン』(2017)や、単純な勝利の物語ではない『フォードVSフェラーリ』(2019)など、彼のフィルモグラフィーには人生の黄昏や男の哀愁を描いた秀作が目立つ。
本作の製作陣がジェームズ・マンゴールドに白羽の矢を立てたのも、彼であればインディ・ジョーンズの黄昏を描くことができると見込んだからではないかと思う。
社会派の作品も撮っているとは言えスピルバーグの本質は永遠の映画少年であり、人生の黄昏や男の哀愁を描くのはちょっと無理な監督だといったら偏見が過ぎるだろうか(笑)。
ともあれ、ジェームズ・マンゴールドが描いた本作のラスト、暖かく、そして哀切に満ちたラストを観て、自分はもう二度と、少なくともハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズの新たな冒険を観ることはないのだと感じて思わず胸が熱くなった。
色々と賛否両論はあるだろうけれど、こういうしみじみとした終わり方でとにもかくにもシリーズを締め括ってくれたジェームズ・マンゴールドに自分は敬意を表したい。
宮崎駿の『紅の豚』とも通じるけれど、年を取れば取るほど主人公の気持ちに共感できて好きになっていく気がする。自分にとってそんな作品だった。
ただ貪欲なハリウッドがインディ・ジョーンズという人気コンテンツを手放すとはとても思えない。
いつかまた予想もしないような形で我々は新しいインディ・ジョーンズと出会うことになるのかも知れないけれど、それはまた別の話。
考古学者は古い事を考える訳だから。そんなセリフは無いだろ
巨大アトラクション会場で特撮。
あとは、追いかけごっこ。
ネタバレ ありき
考古学者は古い事を考える訳だから
「残りたい」は無いと思うが。
11月15日 パリからホーチミンまで
午前5時45分ホーチミンにてレビュー書きし。
5連発は空振り。でも、見たらレビュー書く事にしているので、入国審査の長蛇の列に列んでいる最中に書きき。
時差ボケが解消の作品ではあろうが、5本ともつまらない。
追記
「大陸移動の事をアルキメデスは知らないから、計算は間違えている。」と言うが、元々、宇宙は膨張している故に、計算結果は真っ暗な宇宙空間になるはず。
と言いつつ、ハリソン・フォードって
そんな年!!!
敬意を込めないとね。
脚本は使い古しの「伊達や酔狂」でも、
ハリソン・フォードはスタント使っていても
愚直過ぎるアクションだと思った。
但し、二回目の鑑賞にもかかわらず、ストーリーは最後まで忘れていた。
ジャッキー・チェンの「プロジェクトA」をリスペクトしているね。
単調さと無理やりなシリーズ感
またしてもSFが過ぎる
インディーとアルキメデスが出会う。
ご存じ、インディジョーンズ・シリーズの第5作。考古学者のインディが古代のダイヤルを見つける。しかし、それは半分で、残りの半分がなければうなまく使えないのだった。
そこに若き古物を売ることを商売にしている女性が現れ、インディと協力するのだった。
敵はナチスドイツの元学者で、インディは彼を大昔に見ているが思い出せない。しかし、インディジョーンズシリーズだけでなく、ナチスドイツは敵役(かたきやく)にもってこいだな。戦後何年経ってるんだ?日本を悪者にする映画は、最近、ほとんど見かけないぞ。
で、元ナチスドイツが二つのダイヤルで1939年9月、つまりヒトラーを暗殺しようと飛行機で旅立つ。しかし、そのダイヤルは磁器がおかしく、着いたのはシラクサの戦いと言う大昔。
そこで、ナチスを倒した後、インディは尊敬するアルキメデスに会い、その時代に残ると言い出す。しかし、相棒の女性に強引に連れられ現代へ。そして、怪我の手当ても無事、行い一件落着なのだった。
最後に、相棒の女性俳優は私の好みじゃなかったな。インディも年を取っているから、相棒の女性や他の女性とラブシーンがなかったし。
今度は是非とも、インディジョーンズ第1作を見てみたい。
老いても、なおインディ!冒険は終わらないけど・・・
インディ・ジョーンズのシリーズは、手に汗握る冒険活劇でハラハラドキドキ!どの作品も楽しませてもらえたんだけど・・・
最後のオチが、急に現実離れする超常現象(SFやオカルト)ばかりで、いつも拍子抜けした覚えがあります。本作品も、そんなふうに記憶してたんだけど、思ったより楽しめましたね。
往年のインディを彷彿させるオープニングから始まって、まさに怒涛の展開!
勝ち気な女性と少年のバディは、「魔宮の伝説」を想い出す洒落た設定だったと思います。
とは言え、老いたインディにあの頃ほどの勢いは見受けられなかったかな。 なんか、妙に落ち着いちゃってる気もしました。
三輪バイクの追撃や、洞窟内での攻防とか、見ていてワクワクするシーンの連続ではあるのだけれど、何か違うんだよね。 胸の内から込み上げてくる興奮ってのが、以前の作品ほどの熱量は感じられなかった。
まぁ、自分も年取っちゃったからね。若さに任せてバカを楽しめるって感じでもなくなっちゃったかな。
40年以上にわたって、同じ主人公の活躍が見られるってのも、感慨深いものがあります。ホンッと、この時代に生きていて良かったな。 懐かしい音楽も健在だったしね。 まさに、ハリソン・フォードありがとうって感じの一本でした。
【ネタバレ】
インディ・ジョーンズのシリーズではお馴染みの、おいおいそんなのありかよって感じの結末。 面白いとは思うけど、相変わらずのご都合主義にちょっとね・・・
特に本作品は、今まで以上に大がかりな展開だと思ってたんだけど、今回は素直に楽しめちゃいました。
今までの作品は、ちょっと拍子抜けした印象のものばっかりだったんだけど、何でだろう?
まぁ、あくまで個人的な印象だけど、今までの作品は、リアルな冒険活劇の場面で迫力ある映像の数々が展開されていって、すっかり魅了されたところで、何でも有りの無理矢理なオチをつけられて、ガッカリしてた気がする。 今回の作品は、その冒険活劇の部分でのちょっとした物足りなさから、魅了された感じが少なかったのかもしれない。だから、現実味のないウソ丸出しのオチでも、そんなにショックは感じなかったのかな? まぁ、あくまで個人的な感想です。
インディの頑張りは認めますが、やっぱり老いには勝てなかったかな。
もう一度初期作を観直します!
今みたいにCGも発達してない時代、これどうやって撮影しているんだろうとワクワクしながら没頭して観ていた大好きなシリーズ。4作目も面白かった記憶はあるんですがストーリーはほぼ覚えて無く、昔ほどの熱も冷めてしまって未見だった5作目が金ローで本編ノーカット地上波初放送!観るしかないです!!
インディ・ジョーンズもディズニー傘下になっていたことにまずビックリ。
冒頭若かりしインディがCGの力も借りて大アクション、シリーズのワクワク感を思い出させてくれます。
その後、現代(といっても1969年設定ですが)に戻って80歳と思えないボディをハリソンが見せてくれます。おそらくかなりの節制を続けてらっしゃるのだろうし、そのおかげで本作が観れると思うとさすがスターだとハリソン・フォードに心から感謝です。
今作も世界中を駆け巡って陸海空、車・列車・船・飛行機は当り前、トゥクトゥクでのカーチェイス、馬に跨っての地下鉄線路に飽き足らず、ついにタイムスリップまでして紀元前214年まで飛びリアルアルキメデスとまさかの遭遇!!!
考古学者の血が騒いでしまったのか、そこに残りたいと言い出す始末。
完結編と謳うに相応しく本当に盛り沢山な内容で普通に面白かったのですが、4作目同様昔ほどはワクワクできなかったのは、インディ同様自分自身も歳を重ねて昔ほど純粋じゃなくなったせいなのか、それとも上映時間が長過ぎるからなのか。。。
本作どころか4作目制作発表前、いつだったか覚えてないほど以前のまだ高かった頃にセールかなんかで買った初期3部作のDVD-BOX、時間ができたら一気見しようと未開封のままです。本作を観てそろそろ開けて観ようかなという気にさせられました。
楽しめました!
全640件中、1~20件目を表示











