「ノンフィクションでもあるだろうと思うと、、」アンデス、ふたりぼっち redirさんの映画レビュー(感想・評価)
ノンフィクションでもあるだろうと思うと、、
まずはアンデスペルーのこの風景、風の音、気配、暮らしぶり、移ろう空、、そして可愛いリャマを見るだけでも充分に堪能できる
幸せに古来からの伝統に則りまた互いを思いやり信頼し愛し暮らすおじいとおばあ、タイミングよく食事中に首を伸ばして愛嬌よく映り込むリャマ、というオープニングてかなり過酷な暮らしながらも何やら幸福感漂う始まり。よく確認していなかったのと導入部分の雰囲気に、まあ、セリフみたいに会話しているなそれもなんか愛嬌だなと、ドキュメンタリーかと思って見始めてしまったので、、、私が悪いのだがだんだん、おばあがマッチがもうないと気づく前からマッチの在庫はあるのか町や市場は近いのかととても気になり心配になり息子が帰らないという話だし
セーフティネットゼロ、怪我や病気になったらどうなるのだ、とだんだん怒りに近い気持ちが湧いてきた。途中でこれは物語、劇映画、フィクションと気づいたわけだが、今言葉と雰囲気だけ流行りで商売道具となっている、SDGsの、だれ一人取り残さないことを誓う、ということを誰も誓わないで金属製のSDGsバッジをつけ恥を晒し、金儲けの手段と対象を追求している世界中の人々会社政府、、のことに気が言ってしまい、真亞そんな大人気ないこと言うなと言われそうだが
とにかく見ているうちにふつふつと怒りが湧き増して、最後の茅葺小屋炎上で私も燃え盛りそうだった。最初から家事になりそうな気もしていたし気丈に助け合い楽しく暮らしていたがポンチョをもう織れないというところから全く世界から隔絶されてこれはそういう物語だと、、、なんといえばよいのだろう、おそらく本当に現実にもこれに近い状態で市民権的なもの保健も保険もなくあるのは差別と蔑み、もしくは先住民としての古来からの文化歴史生活信仰言葉を捨てて幾らかの社会的な地位を、おそらくは相対的には相当僅かばかりの、を手に入れることができるのが現実ではなぃだろうか。おじあおばあの自然と同居し寄り添い古来からの神、自然を敬い分かち合う暮らしを続けることは困難でありこのようなおじいとおばあの運命が自ずと提示される。
息子は母語を話すのは恥ずかしいというて戻ってこないというおばあ。街で成功したり金持ちになっているとは想像しかたいからおじいおばあより先に搾取され死んでいるかもしれない。
最後のシーン、悠然といつも取り出す息子の小さなセーターを持って力強く岩山を、神の山を登りゆくおばあ。
物語が、おじいやおばあや犬や羊やリャマや鳥たちが、風の音が、空の雲が、川の流れや、表すものすべてが私たちの欺瞞を見よと、突きつけるし
このアンデスの山奥の貧しいが宇宙性を、ユニバーサルな真理も少しでも感じとれ、少しでもそのことに思いを寄せられたらと思う。
なんかすごい作品だな、そしでこのすごい作品をどのシーンも完璧に美しく撮った監督が若くして虫垂炎で亡くなっていたとは。虫垂炎、、、なんだが幾重にも、1人も取り残さないと誓うというSから始まる欺瞞にからめとられているような。自分にはこれは怒りの映画だ。
そしてとても美しい、、