MEN 同じ顔の男たちのレビュー・感想・評価
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邦題は本当は必要ないが
MEN
清潔さを持たない親切、空気の読めない説教、男の様々な典型像を映して顔を共通させ一緒くたにする。一方で亡くなった夫の存在は個人のもので、男達の傷や主人公の扉を閉める表現での共通項を持たされてはいるけど、やはり男達とは似つかない。それでも同一視してしまう?
恐怖から軽蔑に移るがその先にあるものは。
捉え方は様々が望ましいという監督の意図がわかる。映像は綺麗だがエクスマキナの画面を期待するといけないかも。途中の移り変わるシーンの意味は読み解けなかった。
グロ描写多め。ご注意を
田舎ホラーと思ってみてたら、カルト宗教?いや違う、モンスター?たぶん違う。全裸中年男ゾロゾロ。グロ描写多いし、それ引っ張るし、とんでもない展開になるし、張り切って続けてたらヒロインが露骨にうんざりした顔するし(爆笑)
さんざん出産したのに、ラストでやってきた友達も妊婦!もう何産むんでしょ?!
デートでこれチョイスしたら絶対気まずくなる( ´艸`)
ジメジメっとした空気感が好き
結論から言うと「好き」な作品😍
A24との相性が悉くよろしくなかったので
本作を鑑賞する事はとても迷ったけど
推しの力は素晴らしい👏✨推しに感謝🙏(笑)
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冒頭から衝撃的なシーンで始まり
心を癒すために訪れた田舎の風景も
ただただ美しいだけじゃなく
異様に誇張された緑一色の森も不穏で不気味。
トンネルで楽しく遊ぶハーパーだけど
(ジェシー・バックリー)
観ているこっちはどんどん体が硬直していく。
この辺りはJホラー特有の湿度たっぷりさを
彷彿とさせ、ただの散歩風景ですら
異様に緊張して肩が凝る始末…🤣
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老若問わず、男たちが「同じ顔」という設定だったが、
ロリー・キニアの演技が秀悦過ぎて
同じ顔には見えません🤣
よって設定が狂ってしまった感があって、
なんだかもったいない。
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きっと同じ顔に見えているのは、
ハーパーだけであって、
そう見えてしまうのは、
夫の自殺を目の当たりにしたトラウマから、
男が持つ女性軽視・蔑視概念を象徴しているのかも。
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それにしてもラスト、怒涛のグロ描写は
2回まではよかったけど、あそこまで繰り返すと
ハーパーの表情同様「もうええけぇ🤨」って感じw
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高速で4時間の村までぶっ飛ばしてきてくれるほどの
友人がまさかの…😳
そこからまたハーパーにとっては、転生を繰り返す
同じ顔の男が産まれてくるって感じなのかなぁ🍎
愛ゆえに
男はみんな愛がほしい。
女性にとって、男は、みんな同じ。
生まれ変わっても、みんな同じ。違う人も同じ。男が嫌いなのだ。なぜ、嫌いか。自分を差別する。傷つける。浅はか。
なぜそんなことをするの?
愛がほしい。
自分勝手の極みだ。
呆れる。
と同時に自分に非がないこともわかる。
この人たちは、哀れに見るのが正解なのだと。
自分が、悪いとか思う必要ない。執拗に追ってくるのは、罪悪感を求めてるわけでも、自分が悪いからでもなく、性なのだ。リンゴを食べたときから、男と女は別れた。そのときから、始まる究極の性。
愛がほしいゆえに、追う。
だから、なぜ被害を受け続けるのかを考える必要はない。男はみんな哀れなのだ。そう見れば、納得する。
そう思うと男が救われないな。
ひたすら変な男に絡まれる女の無間地獄。襲い来る「同じ顔の男たち」に象徴されるマチズモ。
(肝心のネタの核心については伏せて書いてありますが、さすがに読んでたらなんとなく伝わっちゃうと思うので、一応ネタバレ扱いとしておきます。)
いかにもA24が好みそうな映画だ。
仕掛けのある雰囲気ホラーだけど、シネフィル的で、バリバリの社会派で。
でも、これ副題で「同じ顔の男たち」とか言っちゃっていいの?
この撮り方だと、普通に「気づかない」人もいると思うんだけど。
ヒロイン自身、そこのところには最後まで「気づかない」って設定なんだし。
観終わってから、エンドクレジットとかパンフとかで種明かしするのが筋のような……?
まあ、このネタくらいはオープンにしないと、話の説明がまったくできないって事情はよくわかるし、ただの「MEN」だと、僕みたいなネタ系映画好きが気づかずにスルーしちゃう可能性が高いってのもわかるんだが、さすがにネタばらしもいいところって気がするなあ。
まあ別にいいけど(笑)。
『ドント・ウォーリー・ダーリン』、『ファイブ・デビルズ』、『ザリガニの鳴くところ』……。
このところ、『何かがおかしい』みたいな出だしのネタ系映画とか、全米大ヒットのサスペンス映画とかを封切りで観に行ったら、その正体は「男性被害の深刻さを物語るガチガチの女性映画」でしたってことが続いている。
まあ、たいていのサスペンス映画は女性が怖いめに遇う話なわけで、じつはフェミニズムととても親和性が高いんだなってことには最近気づいた。
でも今回のは、この系統の映画のなかでも、まさに真打ち登場っていうか、ネタ自体がそれだけで出来てるというか。
これ、逆に女性監督が撮ったら、「ミサンドリズムだ、感じが悪い」みたいな話になりかねないところを、敢えて男性監督が「振り切った」形でやってるからこそ、なんとか映画として成立してるのかもしれない。
イギリスの片田舎に、ひとりの女性がやってくる。
カントリーハウスを借りて、しばらく住もうというのだ。
彼女は、目の前で夫(黒人)の墜死を目撃したことが、トラウマになっていた。
その直前、大喧嘩の末、暴力を振るわれた彼女は、夫を部屋から閉め出していた。
夫は上の階から押し入ろうとして足を滑らせて墜ちたか、もしくは自ら世を儚んで飛び降りたのだ。
傷ついた心を癒すために移り住んだカントリーハウス。
だが、悪夢はまだ始まったばかりだった……。
「飛び降りた人間と目が合う」というシチュエイションは、よく思い出せないが映画やドラマで今までにも何度か目にしたことがある気がする。少なくとも、柴村仁の『プシュケの涙』という青春ミステリは、まったく同じ出だしだった。
ただ重要なのは、目撃した事実以上に、「それが自分のせいかもしれない」という彼女が抱える罪悪感のほうだ。彼女は、夫の死という悪夢を引きずったまま田舎にやってきて、その延長上にあるような奇怪な出来事に遭遇することになる。
彼女が体験する恐怖の根幹は、ある意味わかりやすい。
「ただひたすら、変な男に絡まれ続ける」。
それに尽きる。
しかも、ヒロインは最後まで気づいていないようだが、
やってる俳優が全部一緒という(笑)。
要するに、かなり面倒なメンヘラ旦那からさんざんダメージくらったあと、今度は面倒なストーカー軍団(全員おんなじ顔)からちょっかいを出され続ける、そういう話だ。
本作に登場する男性キャラクターは、揃いも揃って全員が「女性を攻撃し傷つける差別主義者/ミソジニスト/マチズモ」として規定されるようなクズである。
一見温厚で朗らかそうだが、全身からぬめりを漂わせる管理人。
全裸で森から出てきて追ってくる、「野人」まがいの障碍者。
せっかく確保したその全裸徘徊者をいきなり釈放する警察官。
道端で唐突に絡んできて、敵意と性欲をぶつけてくるお面の子供。
優し気に声をかけながら、彼女が夫を殺したのだと痛罵する聖職者。
それらを、猛烈に愉しそうに、ロリー・キニアが「一人で」演じている。
「なぜ、みんな同じ顔をしているのか??」
本作のネタ映画としての中核は、まさにこの謎にあると思うし、
実際大半の人はその「からくり」に興味を持って観ると思うのだが、
さて、観終わった皆さんのなかで、「納得がいった」という人がどれくらいいるものか。
少なくとも、象徴的な意味合いとしては、このギミックは大変うまく機能している。
「しょせん男なんてのは、みんなおんなじケダモノでろくでなしだ」という認識の戯画的表現として、「一人の人間が演じる」というのは、非常に有効な表現手段だ。
あるいは、「少なくともこのヒロインにとっては、出てくる男はみんなおんなじ、自分に攻撃をしかけてくるろくでなしにしか見えていない」という認識の象徴的表現としては。
ヒロインが、出てくる男がみんなおんなじ顔でもまったく意に介さないのも、この文脈上でなら理解できる。
ただ、そこにラストで一定の「ロジカルな解釈」(実はこうだったんだよ)を与える、というのが、この手のネタ系映画では、一応のところ目指すべき着地点ではないのか?
これだけ、「同じ顔をした男たちが」の部分を「映画の売り」にしている以上、みんな「実は……」の真相部分に大いに期待しちゃうのが人情というものだろう。
そこに作品がきちんと応えられているか、というと僕は残念ながら、そうは思わない。
どれだけ「SF的/非現実的な理由」が「男たち」の背後に介在しているとしても、とくに林檎の木からポロポロ林檎の実が落ちる、というシーンは「その理屈」では決して「起きえない」現象である以上、この物語はすべて、ヒロインの●●と捉えざるをえない(出てくる男の左手がああなっているのも、そもそも初っ端に原因があるとすると、ここに来てから起きた怪異現象=森のトンネル以降起きたことはすべてが●●っぽい)。
そうすると、アレも、アレも、アレも、全部●●となってくるわけで、作品としてはどちらかというと、『裸のランチ』とかに近いジャンルの作品ということになる。
(実際、終盤展開する突拍子もない「例のグロシーン」は、明らかにデイヴィッド・クローネンバーグを意識したものとなっている。てか、「アレ」が出てくるところって、まさにクローネンバーグの『裸のランチ』そのまんまだもんね)
要するに、これは「実際は何が起きていたか」が重視される物語ではない。
ヒロインの内面で抱えていた、男という生物に対する「恐怖」と「怒り」、自分の内奥で渦巻く「後悔」と「自傷願望」と「生存本能」に、ヒロインが「どう向き合い、どう折り合いをつけたか」が重要な物語なのだ。
その意味では、おそらく本作で起きたことは、教会で出逢った「グリーンマン」のレリーフが引き起こした、彼女を浄化し立ち直らせるためのある種の「禊」の奇跡、あるいは、ダンテの『神曲』的な「地獄めぐり」だとでも考えておけばよい。
この映画の構造は、じつは『時計じかけのオレンジ』や『ジェイコブズ・ラダー』や『キラー・インサイド・ミー』なんかと、あまり変わらない。主人公が、自分のこれまで犯してきた「加害」や受けてきた「被害」を、「異なる文脈に見える形で」何度も何度も「追体験」することで、そのトラウマから解放され、転生(もしくは浄化)する、という、古来繰り返し語られてきた「地獄めぐり」の「DV被害女性」ヴァージョンなのである(死んだ夫への罪悪感を、同類の男たちから徹底的に痛めつけられるという形での「罰」を受けることで中和すると同時に、それに立ち向かい打ち倒すことによって「超克」するという流れ。潜在意識下でのトラウマ克服の過程が、同じ顔の男たちとのバトルという形で「受肉」しているわけだ)。
別に、それはそれで全然かまわない。
かまわないんだけど、あと少しくらいは「観客の多くがなるほど、そういうことだったのか」と思えるつくりにしておかないと、要らない反撥を引き起こすことになるだろうということだ。
ラストシーンも、客に考えさせるとはいっても、あまりに情報が少ないからなあ。
映画で呈示された「真相」をもとに改めて考えた場合、少なくとも「事故車」があって、「血」がついているのが「あの夜を過ぎての結果」としては揺るぎない事実として存在するわけだから(第三者の友人が目にしている)、もしかすると、ものすごい勢いで「巻き込み事故」を引き起こしてる可能性も大なわけで……。
それだと、ちょっとヒロインが可哀想すぎる気もするよね。
なお、作中に登場する「グリーンマン(Green Man)」とは、教会建築などで用いられる怪人の顔の装飾で、髪が植物として繁茂していたり、鼻や口から植生が生えていたりすることが多い。
イギリスのパブの通称でもあり、映画『ウィッカーマン』にも出てきたりするので、ケルトの古代信仰由来のような気がしていたが、必ずしもそうではなく、中東由来という説もあるらしい。
本作においては、「野人(Wild Man)」と混淆された状態で呈示される。「野人」は中世に遡る図像で、教会写本のマージナル(周縁部)などに頻繁に描き込まれた。森で全裸で生活していて、戦ったり、踊ったりする姿をとることが多い。ルネサンス期には、マルティン・ショーンガウアーの版画や、デューラーの油彩画でも描かれている。『ナイトメア・アリー』における「ギーク」も、もともとの由来はこの「野人」である。
あと、映画COMで紹介しているプロの方が述べていたが、「グリーンマン」「林檎」「タンポポ」というのが、それぞれ「豊穣」「接木によるクローン栽培」「無性生殖」の隠喩だというのは、作品を考えるうえで、有益な解釈だと思う。
ヒロインが旦那さんと対決するマンションの部屋や、終盤で襲われるカントリーハウスの部屋の中が真っ赤に染まっているのは、ダリオ・アルジェントっぽくって個人的に好み。
美しく居心地の良い建物だが、ガラス製のフランス窓に覆われていて、外からの攻撃には守りが脆弱、簡単に覗いたり侵入したりできてしまうというカントリーハウスの在り方は、まさにヒロインの心の在りようと呼応している。
昔、『借りぐらしのアリエッティ』でも同様のシーンがあったのを鮮烈に覚えているが、相手女性の住居に、外から異物をぶち込んでくるというのは、あからさまな男根によるレイプのメタファーであり、相手を蹂躙し、征服したいという男性の性的暴力性の発露である。
まあ、当の怪人は、セックスを介さなくても無限に……って話だが、もしかすると、これが全部ヒロインの●●だとすると、むしろ「そういう生き物として、女にはもう関わらないでほしい」みたいなヒロイン側の願望が反映された「ローリングバース」(町山智浩)なのかもしれない。
あと、トンネルの外の風景が中の水たまりに映って、シンメトリカルな美観を生み出しているシーンがあるのだが、今年10月に行ってきた新潟の「清津峡」で、実際に全く同じギミックを目にしてきたばかりだったので、ちょっと驚いた。
まあ正直、僕にはちょっと、フェミニズム的主張があからさますぎるし、
あまりに終わり方があいまいすぎるしで、もやっとしたところも残ったが、
A24らしい、細部まで作り込んだ、「凝った」衒学的なホラーであることは確か。
若い女性なんかは、抵抗なくむしろ共感しながら愉しめるんではないかな?
『同じ顔』
実際に同じ顔という可能性については、ハーパーが特に反応しないことや、友人に話さないことから無し。
次に、実際は別人だが精神異常や何かしらのメタファーによって、ハーパー或いは観客にだけ“そう”見えている演出、の場合。
しかしこれも、全員が同じ傷を受けているので、無し。
結果、よく分かりませんでした。
そこだけでなく、正直全体的にそんな感じなんです。
宗教や文化、歴史などに精通していれば何か読み取れるのかもしれませんが、浅学のため理解できず。
そもそも登場人物の思考や感情も意味不明。
村人は恐怖の対象なのでそれでもよいが、終盤のハーパーは何を思っていたのやら。。
男性を批判的に描きたいのであれば、女性警官を出すべきではなかった。
(対応としては自然だが、「田舎だから男性しかいない」などやりようはあった)
あるいは、「危険はない」などと事態を軽視させず、釈放にも反対していたりすれば、むしろ性差を強調できたのではないか。
理不尽さや抗えない力、不可思議な現象やグロなどは確かに恐怖を煽るが、現実感がないと自分には残らない。
なので、ホラーとしてはイマイチでしたし、メッセージ性を出したいならもっと分かりやすくしてほしかった。
夢落ちではないものの、夢のように断片的で取り留めのない作品。
女性に関われない男側の『己の理想とする女性像』に対する愚かさを描いた作品
例のおっさん達による連続出産シーンの時、最終的に主人公が浮かべた冷笑が(男であるお前に出産の何たるかがわかんのかよ笑)と言ってるように思えてしまった。
なんて言うかあの場面。性教育を終えていない男児が想像する出産風景に見えてしまい、そうなると村の牧師が「キミの処女喪失はいつだね?」と死ぬほど気色悪い台詞を吐いていたのも、ある意味そこへのフラグに思える。
要するに、童貞であるお前に女の身体の何がわかるんだよ、という主人公の無言のマウントとでも言うか。
男にストーキングされる女性側の恐怖を描いたと思いきや、女性に関われない男側の『己の理想とする女性像』に対する愚かさを描いた作品とも感じた。
期待した程面白くなかったけど
「ラスト20分の衝撃」の煽り文句にワクワクしながら鑑賞。
冒頭の室内から見る男の落下シーンから始まり
夫婦関係の問題による夫の自殺と判明。後にグロい遺体シーン有。
癒しを求めて田舎のゲストハウスに滞在する妻ハーパー。
ちょっと不審な管理人が怪しいけどここまでは普通の映画。
やめときゃいいのに周辺の森の散歩を始める主人公。
とてつもなく怪しいトンネルが出現してからじわじわ来る。
当然トンネルの向こうに謎の人影出現。しかもこっち来てる。
帰路を間違えるがなんとか森から脱出した?
と思ったら追ってきたのは廃墟に佇む◯ンコ丸出し男。
ゲストハウスの敷地まで付いてきたので速攻警察に御用。
映画の田舎警察って大概何もしないし対応悪いのに珍しいな。
ところがストーキング以外は無害なので即釈放され主人公マジキレ。
その後変態神父に老け顔のガキが登場し益々怪しい村人。
管理人もおかしくなって意味わからんカオス展開の始まり。
一番痛そうなのは玄関郵便受に入ってきた腕のシーン…
しかし本当の衝撃シーンはここから。
よくビジュアル化したなこれ。スプラッタ映画のゴアシーンの
人体破壊とは違った意味で記憶に刻まれるグロシーン。R15でOK?
今後色々な考察が出るだろうけどラストカットでは
主人公は立ち直ったみたいでハッピーエンド。
やはりA24は期待を裏切らないプロダクションです。
好き嫌いがはっきり分かれそうなリピート必須映画…
もう一回観たいか?いや、微妙です。
ほぼジェシー・バックリーの一人芝居で彼女の演技力で持っているようなもの。シンボリズムが多すぎるが話の顛末は中盤位で見通せる。“幽霊見たり枯れ尾花”ではなく“幽霊見たけりゃ林檎を齧ろう”
①MEN(男たち)が女に求めているものは“愛”、という事を言いたいがためにこれだけの御膳立てをするとはお疲れさん。
②
・林檎を齧るハーパーはイヴと同じく女性。
(聖書にはハッキリ林檎と書いてなくて、林檎説は後世に出てきた諸説の一つだと言うこと。因みにイングランドの林檎は小さいけれどジューシーで酸味が強くアップルパイに丁度良いらしい。尚、ケネス・ブラナーの次のアガサ・クリスティの映画化3弾目は『ハロウィーン・パーティー』を原作にしたもので何とヴェニスが舞台とのことで、また大分改作するんだろうなあ。『ハロウィーン・パーティー』では林檎が大事な小道具として出てくるんだけど、どうすんのかな?と、林檎だけでこれだけ引っ張ってしまった。
・「裸の男」は林檎を齧ってないからか、チンチンを葉っぱで隠さず、葉っぱは額に刺している。
・ジェフリーが“~夫人”に何故か拘るのは、“夫人”が男に所属する、男の所有物であることを暗に示しているからか?
・ジェームズの死に様はちょっとイエス・キリストのよう。
・タンポポの種は精子のメタファー?
・出てくる男の顔がみんな同じなのや、男が女無しで妊娠して産まれてくるのが同じ顔の男ばかりなのは、男(の欲望)が結局みんな同じということの皮肉なメタファー?※男としては反意を唱えたいが…
・(追記)劇中でハーパーからそれらしい反応が無かったのを見ると、彼女にはみんな違う男に見えていたのだろう。映画を観ている我々には同じ男に見えるように一人で演じ分けさせたのは、女と男(MEN)とを決定的に対峙させる為?
・男が男を産む度にいつジェームズが出てくるのか待っていたが、なかなか産まれてこないのでイラッとしたけど、やっと最後に出てきてくれた。
あそこまでグロな映像にするのなら口から一人の人間が出てくるシーンも見たかったけれど、最後がジェームズだったということで驚かしたかったんだろうね。
③“ハーパーに謝って欲しかった、言い訳を聞いて欲しかった”というジェフリーの怨念が同じ思いを共有する男たちに伝染して生じた怪奇現象か、ハーパーの悔いや罪の意識が決着を付けたい為に無意識に引き起こした怪奇現象か、まあどちらとも取れますな。
④最後に現れたライリーが妊娠していた(それまではスマホで顔だけしか見えなかったし)のも何か意味深。もしかしてジェームズの種でそれが離婚の原因だったりして。
⑤或いは、ハーパーとライリーとはレズビアンで(そんな雰囲気もあった)、そうなると男はいらない(精子だけあれば良い―ここでタンポポのメタファーが出てくるか?)。そこに危機感を感じた男たちのマチズモが起こした怪奇現象という見方はどうだろ?
⑥昔ながらのホラーのヒロインなら男から男が産まれるのを目の当たりにしたら悲鳴を上げるだろうけれど、ハーパーはそのうち冷めた目で見るようになり最後は斧を手にする。そこが現代的とも言えるし、結局男は勝てないのかね。
⑦最後にまたアガサ・クリスティに戻るけど、ミス・マープルの住んでいた(開発前の)セント・メアリー・ミード村もあのように綺麗な田園地帯だったのかしらん。
あのように綺麗なイングランドの田舎の風景が観られたことがこの映画を観た一番の収穫かな。
A24だね
相変わらず、尖ってますね、A24。
基本的には、ホラーです。全体的に不協和音や、不気味な演出など、ビックリ系よりジワジワくる恐怖。序盤の音反響のシーンとかわけわからんけど、不気味だよね。
ラストのグロテスクさや気持ち悪さといったら、なんとも言えない!しかも理屈なんてないただ怖いお話。(私は漫画家の冨樫義博味を感じたのであった)そして、あからさまに伏線として登場する斧をあえて、ラストに主人公が使ったか、使わなかったか?を描かず、観客に想像させるという斬新なオチでした。
同じ顔の男も怖いといえば怖いが、全部主人公の幻覚でないの?くらいに主人公も結構狂気だと思う。
指裂けMENの金太郎飴
宗教的な知識があればもう少し理解しながら観ることができたのだろうか。
リンゴ・教会にある表裏別々の石・カラス・お面など…それらが何かの意味を持っているのかさえわからなくて、前半はモヤモヤドキドキ、後半の出産シーンは笑うしかできなかった。
結局のところ、現実とイメージの境い目が判別できなくて、ラストに友人のリリーが訪ねてきたときのリリーのお腹の膨らみはなに?もしやこのシーンすら現実ではないのかも?なんて混乱しながらエンディングを迎えました。
主人公夫婦のいさかいの原因も不明、彼女が夫を許さなかったこと、夫が死んでからも後悔させると言い放ったことが心のどこかに棘のように刺さったままだったのだろうか。
うーん、なんだかなぁ。今年一番の問題作を観てしまったような。
今度はイギリスの田舎にイッテ、ギャー!
『ミッドサマー』のA24プロダクションらしく、今回も不条理で不可解で不愉快な作風は健在でした。前半の英国のカントリーサイドの風景はとても美しく魅力的だけど、徐々に不穏な雰囲気になってくるあたりは、とてもうまくて引き込まれます。とは言え、周りの男性が同じ顔(にはあんまり見えないけど)である設定があまり生きてこないし、不条理サスペンスなのかホラーなのかはっきりしません。クライマックスでの、物体Xもぶっ飛ぶグロさのマトリョーシカ式出産シーンで、初めてホラーと気づきました。でも、このシーンがクドくて主人公の女性のゲンナリした表情には笑えるし、最後に求めるのは愛と言うセリフには爆笑です。何かのメタファーのつもりなのかもしれないけど、結局は幻想ではなかったみたいで、さっぱりわかりませんでした。役者では、凛とした感じとどこか色気のあるジェシー・バックリーが良かっただけ。
ハーパー
今年最後のA24関連作品、ここまで空振り多めでしたがどうなることやら…と思っていましたが、中々の当たりを引かせていただきました、未知の体験も同時にできました。
R指定なだけに、そこそこの残虐描写はありつつも、肉体変形が凄まじかったです。連続出産、羽化しているかのように体のあらゆるところからあらゆる人々が生まれてくる様子が生々しかったです。股間から生まれてくるのは人間そのものですが、頭や背中、口から生まれた時にはクリーチャーにまみれるスクリーンに釘付けでした。腕がナイフを伝って裂かれていく様子もグログロで腕がプランプランしてんのも悍ましいです。
同じ顔の男(説明する分には便利ですが、この邦題はキライです)をロリー・キニアが演じ切っていたのもお見事でした。変わり者の管理人や生意気な子供、神父にまで幅広い"顔"がそこにありました。とにかく表情が怖いというのも表現力あってのものだと思います。ニコッと笑う瞬間も怒る瞬間もどこを切り取っても怖いそのものでした。
今作は音も怖がらせる描写として活きていて、反響する音がやまびこのようにトンネル内でこだまして、それにつられて変人がやってくるという繋がりとしても面白かったです。主人公の名前・ハーパーをこだまさせたものが予告で使われていた謎めいた音だと気づいた瞬間にはそのセンスを褒めちぎらないといけないなと思えるくらい良かったです。何かわからないけどヤバいのがいるというのを1発で分からせた後に、これでもかとその変態を近づけてくる演出もまた憎いです。
正直、話はあってないようなものに近いと思います。女性差別やったりを含めてんだろうなとは思いましたが、癒しを求めた街で自分の過ちに追いかけられるみたいな感じのホラーであり、A24らしく尖ったジャンルに特化した作品などで、ゴリゴリのきしょい描写を映像に投下しましくったクリエイター大喜び作品です。自分はそういうものが好物なので、話云々よりも楽しめました。
こういう緻密なアイデアから練り込まれる作品が日本でも多く生まれればなと思うばかりです。ハーパー…
鑑賞日 12/9
鑑賞時間 9:30〜11:20
座席 E-6
女優と男優さん、顔がそっくりですね!
予告見た時点で、女優さんと男たちの顔が似てるなあ、て。
骨格とか。目とかも。
本編見て、これはハーパーの内面旅行。
出てくる男たちは、ハーパーの分身。
最後に夫が出て来て、やっと心の解決ができたから、最後笑顔なのかな??
私について、知らなさすぎるのは、どんな人よりたぶん私よ〜
(作詞:中島みゆき)
つーことで自分と向き合った田舎滞在なのだった??
A24て雰囲気重視で、後世に残す気サラサラないような映画ばっかりだね。
【良かった点】 キモい!、怖い!、なのに笑える。A24配給作品らし...
【良かった点】
キモい!、怖い!、なのに笑える。A24配給作品らしい癖がすごい映画を年末に鑑賞できた悦びに震えた。随所に気持ち悪さ、不安感が立ち込め、観ているこちらに嫌な汗をかかせる。ゲテモノ好きならハマること間違いなし。
【良くなかった点】
お恥ずかしいことに、海外の宗教感などについては知識が浅く、観終わったあとに調べて、「そういうことなのかな」と感じることがしばしば、この映画もそれに漏れない作品だった。観ながら思考できればより面白いんだろう。
みんな同じ顔って何その設定!予告を見ただけで鑑賞意欲MAXだったが・・・
別れ話で死をほのめかし暴力をふるった夫が自殺し、自責の念でトラウマを抱えたまま田舎町でリフレッシュしようとしたところ、デリカシーや女性に対する敬意を欠くめんどくさい男達がたくさんおり鬱陶しさに輪がかかり、メンタルが崩壊しかけていたところ最後は吹っ切れて(多分)立ち直ると言う話。
皆同じ顔というのは女性へ敬意を持つ事ができない男達を一つのアイコンとしており、彼女がそれを気味悪がらなかったところを見ると実際彼女にはそうは見えていないが、子供から大人まで男は皆心の底では同じ様に思っているという事の表現だと思われ、見せ方としては凄く斬新で面白いと思った。
男から男が連続して生まれるシーンもそう言った面倒な男達がいつの時代になっても変わらずずっと存在する事の表現かなと推測できるが、それに気づいた彼女の半ば諦め達観した様な表情は傑作でここで気持ちが切り替わったことがわかる。(強い女w)
顔だけ何役にも使われたロリー・キニアの空気が読めず不快な感じは表情一つとっても絶妙で最高のはまり役だと思う。
パブで周りがみんな同じ顔というシーンはバック・トゥ・ザ・フューチャーやナッティ・プロフェッサーでも似た様なシーン(みんな身内だったけど)があったことを思い出し笑ってしまった。
ラストで長時間かけてやって来たお友達が妊娠していたこともひねりが効いてて良かった。
生まれてくる子も同じ男の子だったらやっぱり同じ顔かも?とか想像してしまう。
最近増えてきたあまり説明がなく考えながら観ないといけないギリギリの線を狙ってくる映画の一つで自分的には結構好きな作品だったが、林檎、裸の男、教会の彫刻、たんぽぽなど宗教的な意味合いを思わせるような部分がよくわからなかったのは残念だった。
ワールドマーケットに向けた映画ではないので、ある程度個人の努力が必要になるのは仕方がないのかなと思いつつも、よくこんな設定や映像を撮ろうと思ったなwという作品。
【"妻は夫に、一切謝罪の言葉を与えなかった・・。"尋常ならざる緊迫感、圧倒的で独創的な美しくも恐ろしき世界観に嵌った作品。今作は愛情表現が下手な男の、究極の哀しき愛の物語でもある・・。】
- ハーパー(ジェシー・バックリー)は、夫ジェームスとの口論の末、彼を謝罪の言葉も与えずに家から追い出した。
そして、マンションの窓から外を呆然と見ている前を、夫が落下して行った・・。
冒頭の、ジェームスがスローモーションで落下しながら、何かをハーパーに訴えかけようとする表情とシチュエーションで、一発で映画に没入した・・。-
◆感想
・序盤、夫の死から立ち直る為か、ハーパーは英国の田舎街を訪れ、カントリーハウスに二週間滞在する予定を立て、実行する。出迎えたハウスのオーナー、ジェフリー(ロニー・キニア)は、愛想良く迎え入れる。
- ロニー・キニア演じるジェフリーの笑顔や動作が、何となくぎこちない。
そして、ハーパーは記憶が無いのだが、結婚後の名前で宿を予約していた・・。
後半に気付くのだが、巧い伏線である。-
・その後にハーパーの身に起こった数々の不可思議な出来事。
廃墟のトンネルで、彼女を追って来た男。
草原に出て写真を撮ると全裸で、全身をペインティングした男が立っている。
・ハーパーが、教会に行くとジェフリーと同じ顔をした司祭が"夫に謝罪の機会を与えたか?"と彼女に問い、仮面を被った少年サミュエルからは、激しく罵倒される。
- 此の辺りで、彼らが亡き夫ジェームスの妄念が産み出したモノか、ハーパーの悔いに依り、産み出されたモノか、どちらかだろうと勝手に推測する。-
・そして、彼らはハーパーを求めて、手を変え品を変え、カントリーハウスの中に入って来ようとする。
- もう、心臓がバクバクである。怖すぎます!郵便受けから手を入れないで!
”手”は、ハーパーにナイフで刺されると、そのまま手を引き裂きながら、郵便受けから手を引き抜いて行く・・。-
・逃げ出したハーパーの車に突然現れたジェフリーが撥ね飛ばされた後に、ジェフリーはナント立ち上がり、ハーパーの車を運転し、彼女を猛スピードで追って来る。
そして、ジェフリーの腹から次々に現れる異形の人々。
人々の手は引き裂かれたままである。
だが、何故かハーパーはナイフを握ったまま、冷静な顔をしている。
- ハーパーは気づいたのではないかな?異形の人々の姿の"真実"の意味を・・。
教会のシーンで、頻繁に様々なアングルで写し出された"真実の口"を思い出す・・。-
・そして、最後に産み出された男。それはジェームスだった。
彼が口にした言葉は"愛"である。
異形の人々を産み出したのは、ジェームス自身の後悔と妻への”愛”から出たモノだったのであろう、と私は解釈した。
何故なら、田舎街の人々の顔は、映画のサブタイトルにもあるように”同じ顔”が多いからである。
- 全く、不器用な愛情表現しか出来ない男だなぁ、ジェームス・・。哀しい男である。-
<今作品は美しくも、恐ろしく、おぞましい雰囲気が横溢する映画であるが、100分間、完全に虜になった作品である。
そして、今作品は夫の妻に対する究極の愛の物語ではないか、と私は思った作品なのである。>
不気味でした(ネタバレあり)
ヒロインが教会で泣き叫ぶ声が不気味な音楽とシンクロするところは鳥肌もので良かったです。
ところで、ラストのカントリーハウス前で座っているヒロインは、やはり友人の助言通り輪廻した旦那をナタで殺して男性器を切断して口に咥えさせたんですかね。
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