「去る者は追わず、されど、来る者は拒まず」ダウントン・アビー 新たなる時代へ かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
去る者は追わず、されど、来る者は拒まず
TVシリーズのキャスティングをほとんどそのまんま踏襲しているせいか、ショートストーリーが目まぐるしく展開する。が、見ていても不思議とせかせかした気分にならないのは、やはり緑溢れるヨークシャー地方の自然、そしてどこかおっとりとしている英国田舎貴族の物腰の柔かさに起因しているにちがいない。
映画シリーズの第2弾となる本作では、2つの大きな事件が同時勃発するのである。1つ目は、ダウントンのお屋敷を映画ロケのため1ヶ月貸して欲しいという依頼が舞い込む。そして2つ目、バイオレット(マギー・スミス)の大昔の恋人の遺産として南仏のヴィラを譲るからみんなで見にこい、とその息子から一同お誘いを受けるのである。
ここでグランサム家は真っ二つに分裂。何やら残留か脱退かでもめにもめたブレグジットを思わせる展開だが、脚本家ジュリアン・フェローズの確信犯的演出であろう。実はこの演出、ラストに起きるある悲しい出来事の伏線にもなっている。途中、唯一のクィアである執事バローに起こる出来事もまさにその伏線なのだが、“去る者は追わず、されど来るものは拒まず”が本作のテーマといえるだろう。
そしてもう一つ、スーツやブレザーの着こなしが半端ないグランサム伯爵(ヒューゴ・ボネヴィル)よりも、その長女メアリー(ミシェル・ドッカリー)の存在感が際立っているのがこの映画シリーズの特徴だ。おそらく、昨今のフェミニズムに配慮した流れともいえるが、このメアリー、サイレント→トーキーへの映画形態変化に対応できないわがまま女優に代わって、なんと女優パートのアテレコに果敢にもチャレンジするのである。
当時大変弱い立場にあった女性が“声”をあげる。つまり、昨今の#me-too運動を肯定的にとらえた作品でもあるのだ。たしかに最近劇場公開された『TAR』などに見られるように、その#me-tooの副産物であるキャンセル・カルチャーを快く思わない映画監督が撮った作品もだんだんと増えてはいる。が、なにせ設定は1世紀前、時代錯誤も大いに許されるのである。
下僕たちの恋が次々と実っていくご都合主義的なストーリーを批判するTVシリーズファンの方の“声”も当然無視はできないだろう。長年英国に君臨したエリザベスが去り、いまいち人気の無いチャールズが王位に就いたイギリス連邦。かつての植民地国から連邦脱退をほのめかす“声”もあがっているとか。あらゆる意味で、“去就”をテーマにした本作は非常にコンテンポラリーな映画ともいえるだろう。