「純なる決意が描くリアル。」長崎の郵便配達 高橋直樹さんの映画レビュー(感想・評価)
純なる決意が描くリアル。
ピーター・タウンゼント氏が残した著作『長崎の郵便配達』が、谷口稜瞭さんとの出会いから40年の時を超えて現代の日本に新たなメッセージを放つ。
この映画には、決して希望を捨てずに作家としての使命を自らに課して取材を続けた男の人間力がある。
同時に、被爆に直面して背中の皮膚を失い、床擦れで胸部の肉を腐らせた谷口稜瞭さんの、「こんな所で死んでなるものか、生き抜いてやる」と誓った生命力がある。
生きる力が未来を作る。そう信じたふたりが、生涯変わらぬ友情で結ばれたのは必然のことだった。
今から40年前、82年に収録された父の取材テープに耳を傾けながら、実の娘が長崎の道に立つ。目の前にある今の長崎に、父が歩いた長崎が、そして1945年8月9日に被爆した谷口さんの長崎が浮かび上がる。
書くことで伝えなければならないと決めた作家と、生きることで訴え続けなければならないと決意した被爆者。第二次世界大戦の英雄と敗戦国の汚点(敢えて汚点とする)を背負わされた平易の人。全く異なる境遇に生き、それぞれに戦禍にまみれたふたりが出会った時、未来への扉が生まれた。(扉は決して開かれてはいない。だからこの映画が作られなければならなかった)
父の遺志を伝えなければならないと感じた娘の元に、谷口稜瞭さんを知る映画監督が訪れる。タウンゼント氏と谷口さんの邂逅を、映画という伝達装置を使って飾ることなく描こうと試みる。ふたりの女性の出会いは時を超えて繋がれる奇跡の物語の始まりとなる。
この作品に通底するのは、強者による価値観のお仕着せが当たり前になった時代に対する問いかけである。誘導であってはならない。フェイクなんてナンセンス。過剰な装飾も必要ではない。等身大の姿を生々しく伝えるのだ。
今、世界が本当に必要としているのは、この純なる決意が描くリアルなのかも知れない。
はじめまして。
全く異なる境遇に生き、それぞれに戦禍にまみれたふたりが出会った時、未来への扉が生まれた。(扉は決して開かれてはいない。だからこの映画が作られなければならなかった)
共感いたします。