劇場公開日 2022年8月6日

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「映画(フィクション)が現実(ノンフィクション)を動かす」とら男 神社エールさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5映画(フィクション)が現実(ノンフィクション)を動かす

2023年12月23日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

難しい

村山和也監督作品は初見。

この作品は最初、映画評論家の松崎健夫さんが2022年の一本としてこの作品を事あるごとに紹介していて興味を持ったからだった。
その時点で近場の劇場では上映が終了していて、観れないことを悔しく感じたのを覚えてる。その後、配信でようやく観れる機会に恵まれたので観賞した。

観終わって思ったのが、事件を風化させない想いと諦めない執念を遺そうというメッセージ性だった。
この作品で実際の未解決事件を取り扱うけれど、事件の詳細なディティールを明かして観客に推理させるものじゃなく、あくまでその事件を解決出来ないことを悔やんでるとら男さんと、その事件を風化させないセミドキュメンタリーであろうとしてるってスタンスが感じられた。

セミドキュメンタリーって手法がノンフィクション(実際)の刑事や事件と、演技(フィクション)をしている役者やドラマを曖昧にしていて、クリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』『アメリカン・スナイパー』『15時17分、パリ行き』を観ている時の気持ちを思い出した。
個人的にはプール側の職員以外の聞き込みを行ってるシーンでの人々が、まるでドキュメンタリーを見ているような、演技っぽくない素の感じが出ているのも好みだった。

カメラワークもドキュメンタリータッチな撮り方とドラマチックな撮り方が混在することで、フィクションとノンフィクションを反復横跳びしているような、観客にも曖昧にさせるようなそんな印象を受けたし、ドラマチックな撮り方のカットは日本なのにまるで海外で撮影したかのように全体の画が美しく、撮影監督の鈴木イヴゲニさんの手腕を感じた。
犯行の再現シーンは逆光や被害者を直接的に映さないことで生々しさがかなり抑えられてたし、この撮影監督の画をもっと観たかった、惜しい人を亡くしたと感じた。

西村虎男さんは実際の事件を解決出来なかったって無念の思いもあるだろうけど、演技未経験なのが信じられないほどの人生経験を積み重ねてきたからこその顔の皺や眼光が描写以上に内面を物語ってるように感じた。

かや子役の加藤才紀子さんの演技も光っていて、ひと目見た時は普通の大学生っぽい印象だったのにいつしかただの相方じゃない存在になってたし、"調べても意味が無い"”時効だからしょうがない””倫理的に繊細””担当を外れたから何も出来なかった”と諦めさせるような事を言われても頑として聞かず、例え去るとしても"何か"を遺して想いを繋ぐ、諦めてしまったとら男さんに対する推進剤のような役割を果たしてたと思う。

監督が遺族への制作許可を取りに行って理解を得られたわけじゃない(明確な約束は得られず、そっとして欲しいと言われた)ってのが実際の事件の難しいところではあるけれど、公開時には石川テレビや北陸中日新聞でこの未解決事件を再び報道して日の目を浴びたり、地元雑誌の北國アクタスでは、(犯人と思われる)登場人物のモデルとなった人物に取材し、映画は未見ながらインタビューで「映画の犯人、俺かもしれない」というコメントや「今も供養している」とコメントを表に出たってのを知って(映画評論家の松崎健夫さんが紹介していて)とても驚いた。
映画って言うフィクションが現実(ノンフィクション)を動かすって言う稀有な体験だし、稀有な作品だと思う。

神社エール