チャイコフスキーの妻のレビュー・感想・評価
全5件を表示
ずっとあなたをお慕いしています
19世紀後半のロシア、作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー( オーディン・ランド・ビロン )に、かねてから想いを寄せていたアントニーナ( アリョーナ・ミハイロワ )が手紙を送る。
滑らかな陶器のようなロシア出身のアリョーナ・ミハイロワが美しい。彼女が演じるアントニーナが、夫チャイコフスキーに対する報われない愛に、精神的に追い詰められていく姿が痛ましい。
終始シックな色合いでまとめられた映像が切なくも美しい。
映画館での鑑賞
【女性に興味が無かったチャイコフスキーに恋い焦がれ、漸く結婚したアントニーナの視点で描く物凄い憎悪、嫉妬、執念渦巻く破綻した結婚生活を描いた作品。妻有る者には、色々な意味で怖いです・・。】
■アントニーナ(アリョーナ・ミハイロワ)は、チャイコフスキーに恋い焦がれ最初は拒絶されるも、二度目でプロポーズされる。
だが、その後僅か六週間で結婚生活は破綻し別居するが、アントニーナはチャイコフスキーからの離婚請求に、一切応じないのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ご存じの通り、アントニーナは悪妻で有名であるが、今作はキリル・セレブレンニコフ監督が近年の研究を参考にしながらアントニーナの視点で、チャイコフスキーとの破綻した夫婦関係を描いた作品である。
・冒頭、アントニーナが初めて自室にチャイコフスキーを部屋に招いた時に、蠅がブンブン飛んでいる。そして、最後には、チャイコフスキーの額に止まるのである。ラストのシーンと連動しているし、二人の結婚生活の行く末を暗示しているようである。
・チャイコフスキーから”顔も観たくない。”とまで書かれた手紙を受け取り、更には彼の関係者の男達から執拗に離婚を迫られるも、彼女は頑ななまでに書面にサインをしない。しないったらしないのである。
・男達の執拗さは、アントニーナの住まいに男五人を連れ込み、わざわざ全裸にさせて品定めさせるというトンデモナイ状況まで設定するのである。
だが、アントニーナは一人一人の男の匂いを嗅ぎ、一人の男の一物をギュッと掴んでから席を外すのである。凄いなあ。
・その割に、アントニーナは自身の弁護士と事に及び、2子を設けるも二人とも施設に入れる。この頃からアントニーナは精神の均衡を失っていたのではないかな。
・アントニーナは毎月、チャイコフスキーから金を受け取るも、一括では貰わない。じわじわとチャイコフスキーを心理的に追い詰めつつ、時にはお手製のシャツを金を持参する男を介してプレゼントしたりする。うーむ。怖いなあ。
・そして、アントニーナはチャイコフスキーのコンサートに出かけ、終わった後に赤いドレスを纏って”良かったわ。けれども私と出会った時の曲に比べると、駄目ね。”と宣うのである。チャイコフスキーはその言葉を聞き”蛇のようだ。”と呟くのである。
<別居して数十年が経ち、精神を病んでいると思われるアントニーナは”頭の中で蠅が五月蠅いの。”と呟き乍ら、全裸の男達が激しく踊る中(彼女の妄想であろう。)部屋に佇むのである。
そして、外に出てチャイコフスキーの死を伝える新聞をひったくり、雨の中立ち尽くすのである。
今作は、キリル・セレブレンニコフ監督が、近年の研究を参考にしながら悪妻として有名であるアントニーナの視点で、チャイコフスキーとの破綻した夫婦関係を描いた怖い作品である。>
<2024年10月14日 刈谷日劇にて鑑賞>
ラヴェルの映画を見たので、こっちも見てみようか、とあまり考えもせ...
ラヴェルの映画を見たので、こっちも見てみようか、とあまり考えもせず、事前情報無しで鑑賞。
チャイコフスキーは、熱烈な求愛を受けて若い妻と結婚したものの、直ぐにその結構生活は破綻した、と、レコードだったかCDだったかの解説に書いてあった知識しかなかったが、概ねその通りのストーリー。主役はチャイコフスキーではなく、妻のアントニーナの方なので、チャイコフスキーの作曲家らしいシーンは皆無に近い。これを少しでも期待していると肩透かしどころではないだろう。
ロシア映画は、地べたばかり映していて、陰鬱で暗い、という評価を昔何かで読んだことがあるが、まったくその通りの映画だった。
空が映ったシーンは記憶にないし、ほぼ常に曇り空か雨か雪が降っている。(雰囲気ではなく)画面が明るいシーンは、アントニーナの妄想で雪の墓地で記念撮影しているシーンくらいか。
どちらが悪いとも言い難いが、時代背景を考えてもチャイコフスキーが悪いとなるんだろう。アントニーナがどうしてそこまでチャイコフスキーに入れ込むようになったかが、いまいちうまく描写されていない感じで、そこは規定事実です、という風に話が進むので、感情移入も何もなかった。唯一私が哀れだと思ったのは、アントニーナの弁護士だろうか。
まあしかし、裸のマッチョな男が大勢登場すると、皆ゲイにしか見えない。ヴィレッジ・ピープルとか、ボーイズ・タウン・ギャングのあの曲で、ボーカルの女性の脇で踊る二人の男性とか頭に浮かんで、思わず笑ってしまった。深刻なシーンなんだろうけど。
見続けるべき理由を見出すことは難しかった。
チャイコフスキーは指揮をする姿も、ピアノを弾くところも見せず、演奏会やオペラの場面もなかった。彼の妻からは、四季のピアノ演奏が聞けたのみ。音楽について、喜びが得られなかったから。
ただ、映画が終わった時、ロダンの共同制作者であったカミーユ・クローデルのことが思い出され、作曲家の妻アントニーナは、かわいそうだと思った。ニコライ・ルビンシテインの仲介場面などは、史実に近いのだろうけれど、チャイコフスキーとアントニーナの交流についての第3者からの一次資料は限られている。この映画のストーリーは、脚本を書き、監督を務めた鬼才キリル・セレブレンニコフの創作によるものだろう。
実際、神の前で結婚を誓った二人は、僅か6週間同居しただけだった。如何に、アントニーナが感情的に未熟な女性であったとしても、当時の女性の地位が極めて低かったことを考えると、チャイコフスキーにも責任はあったと思う。
初めて目にしたロシア正教の儀式には、驚かされた。地にひれ伏す礼拝は、イスラム教を思わせた。極めて強いキリスト教を背景に、少数の男性たちが帝政の下、実権を握っていた当時のロシア。
アントニーナが、何かの才能に特別、恵まれていたことは聞いたことがなく、チャイコフスキーも結婚さえしてしまえば何とかなると思ったに違いないが。
チャイコフスキー夫妻に良い主治医が必要がいれば…
福岡で上映最終日に観ましたが、私以外は女性の観客6人でした。
クラシック作曲家では、バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ドビュッシーに並びベスト5に好きなチャイコフスキーですが、彼の生涯について知っていたのは、ゲイの発覚が自死に繋がったことと、年長の女性支援者がいたことぐらいで、妻がいたことは知りませんでした。新聞や雑誌で紹介された記事を読んでから観ましたのが、予想外にゲイの場面が多く、チャイコフスキーと妻との考え方のすれ違いと夫婦の精神が病んでいく行程がストーリーの中心でした。
妻がロシア正教の教会で祈り、施しをするシーンが多く挿入される反面、チャイコフスキーには宗教的なシーンは無く、男友達一緒の時のみ楽しげな表情になります。教会での結婚式でチャイコフスキーは終始不機嫌で指輪が上手く入らないことがその後の夫婦生活を暗示しています。披露宴の食事会でも夫婦の会話は無く、妻の家族から葬式のようだと言われますが、妻自身は神が認めた結婚は必ず上手くいくと信じていて、この考えは彼女の中で生涯続きます。
妻はチャイコフスキーの顔、声、姿に一目惚れしますが、音楽的才能と作品に関しては無関係でした。神が祝福した結婚だから、絶対にチャイコフスキーは自分を愛していると信じていることが、この夫婦の不幸の始まりでした。チャイコフスキーも結婚当初は妻の献身に少しは感謝しますが、まとわりつく妻にどうしても我慢出来ず精神的に追い詰められていきます。妻は媚薬や香水を使って迫りますが、チャイコフスキーは首を絞めて拒否し、妻との別居を選びました。
別居後はチャイコフスキーから妻に生活費を送り続けますが、金額が少ないこと、演奏会のチケットが来ないこと、押しかけて会っても喧嘩になること等、不満が多く離婚を拒否します。その後、チャイコフスキーは名作を残して53歳で自死し、妻は精神病院で長く暮らして68歳、1917年に死去します。ロシア革命で混乱していて、埋葬までに時間がかかったそうです。
この映画で一番印象的な場面は、妻の幻想でチャイコフスキー夫妻と天使の羽を付けた3人の子供達が一緒に写真撮影をするシーンです。実際には子供がいた記録は無いようですが、彼女の夢を描いており、チャイコフスキーも笑顔で応じていました。ラストの男達が全裸で果てしなく出るシーンは、観るのが辛いシーンでもありました。
現代の心療内科の名医に相談すれば、チャイコフスキー夫妻の悲劇は無く、もっとより良い方向に進んでいたと思いますし、もっと名曲が残っていたのではないでしょうか。
全5件を表示