「見続けるべき理由を見出すことは難しかった。」チャイコフスキーの妻 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
見続けるべき理由を見出すことは難しかった。
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チャイコフスキーは指揮をする姿も、ピアノを弾くところも見せず、演奏会やオペラの場面もなかった。彼の妻からは、四季のピアノ演奏が聞けたのみ。音楽について、喜びが得られなかったから。
ただ、映画が終わった時、ロダンの共同制作者であったカミーユ・クローデルのことが思い出され、作曲家の妻アントニーナは、かわいそうだと思った。ニコライ・ルビンシテインの仲介場面などは、史実に近いのだろうけれど、チャイコフスキーとアントニーナの交流についての第3者からの一次資料は限られている。この映画のストーリーは、脚本を書き、監督を務めた鬼才キリル・セレブレンニコフの創作によるものだろう。
実際、神の前で結婚を誓った二人は、僅か6週間同居しただけだった。如何に、アントニーナが感情的に未熟な女性であったとしても、当時の女性の地位が極めて低かったことを考えると、チャイコフスキーにも責任はあったと思う。
初めて目にしたロシア正教の儀式には、驚かされた。地にひれ伏す礼拝は、イスラム教を思わせた。極めて強いキリスト教を背景に、少数の男性たちが帝政の下、実権を握っていた当時のロシア。
アントニーナが、何かの才能に特別、恵まれていたことは聞いたことがなく、チャイコフスキーも結婚さえしてしまえば何とかなると思ったに違いないが。
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