「チャイコフスキー夫妻に良い主治医が必要がいれば…」チャイコフスキーの妻 ヨシリンさんの映画レビュー(感想・評価)
チャイコフスキー夫妻に良い主治医が必要がいれば…
福岡で上映最終日に観ましたが、私以外は女性の観客6人でした。
クラシック作曲家では、バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ドビュッシーに並びベスト5に好きなチャイコフスキーですが、彼の生涯について知っていたのは、ゲイの発覚が自死に繋がったことと、年長の女性支援者がいたことぐらいで、妻がいたことは知りませんでした。新聞や雑誌で紹介された記事を読んでから観ましたのが、予想外にゲイの場面が多く、チャイコフスキーと妻との考え方のすれ違いと夫婦の精神が病んでいく行程がストーリーの中心でした。
妻がロシア正教の教会で祈り、施しをするシーンが多く挿入される反面、チャイコフスキーには宗教的なシーンは無く、男友達一緒の時のみ楽しげな表情になります。教会での結婚式でチャイコフスキーは終始不機嫌で指輪が上手く入らないことがその後の夫婦生活を暗示しています。披露宴の食事会でも夫婦の会話は無く、妻の家族から葬式のようだと言われますが、妻自身は神が認めた結婚は必ず上手くいくと信じていて、この考えは彼女の中で生涯続きます。
妻はチャイコフスキーの顔、声、姿に一目惚れしますが、音楽的才能と作品に関しては無関係でした。神が祝福した結婚だから、絶対にチャイコフスキーは自分を愛していると信じていることが、この夫婦の不幸の始まりでした。チャイコフスキーも結婚当初は妻の献身に少しは感謝しますが、まとわりつく妻にどうしても我慢出来ず精神的に追い詰められていきます。妻は媚薬や香水を使って迫りますが、チャイコフスキーは首を絞めて拒否し、妻との別居を選びました。
別居後はチャイコフスキーから妻に生活費を送り続けますが、金額が少ないこと、演奏会のチケットが来ないこと、押しかけて会っても喧嘩になること等、不満が多く離婚を拒否します。その後、チャイコフスキーは名作を残して53歳で自死し、妻は精神病院で長く暮らして68歳、1917年に死去します。ロシア革命で混乱していて、埋葬までに時間がかかったそうです。
この映画で一番印象的な場面は、妻の幻想でチャイコフスキー夫妻と天使の羽を付けた3人の子供達が一緒に写真撮影をするシーンです。実際には子供がいた記録は無いようですが、彼女の夢を描いており、チャイコフスキーも笑顔で応じていました。ラストの男達が全裸で果てしなく出るシーンは、観るのが辛いシーンでもありました。
現代の心療内科の名医に相談すれば、チャイコフスキー夫妻の悲劇は無く、もっとより良い方向に進んでいたと思いますし、もっと名曲が残っていたのではないでしょうか。
“天才には何でも許される”という台詞に集約されると思います。簡単な面接(家系、資金力)で偽装結婚に同意するゲイの悪意に抵抗しても虚しいだけ。
作家のジッドは“白い愛”と称して肉体と心を別々に考えれば愛はより深まると妻を騙し、処女死させ、愛人だらけの生活をエンジョイした輩ですが、ゲイをカミングアウトしてノーベル文学賞をもらっちゃってますね。