アルマゲドン・タイム ある日々の肖像のレビュー・感想・評価
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凡庸で甘ったれた子供のささやかな奮起。
とくに可愛くもないガキが、とにかく甘ったれていてわがままで、それをダリウス・コンジのカメラが対象と正対するような几帳面さで映し出していく。いったい何を見させられているのだろうと考え込んでしまったが、凡庸な子供の限界を、わざわざ凡庸な映像で切り取っているのではないかと思い当たった。そうすると、凡庸な子供を取り巻いているのがさらに凡庸な社会と大人たちであることがわかり、現代に向けた辛辣な社会批評であることもはっきりとしてくる。
主人公はある騒動を起こすのだが、これほど煮えきらない解決を見せる映画もなかなかなく、シビアな現実に心が冷え冷えとしてくる。しかしそこに甘んじることなく、その先まで行きたいと心から思えるのか? ラストシーンの唐突なメッセージについて考えるエンドクレジットの時間の豊かさに、ああいい映画を観たんだなと遅まきながら気付かされた。ジェームズ・グレイ監督にしてやられました。
バート・ランカスター主演の『終身犯』を鑑賞後にこの映画を見た。
バート・ランカスター主演の『終身犯』を鑑賞後にこの映画を見た。
僕はテーマが似ていると思った。自由と民主主義の国と言いながら、大変に居心地の悪い社会だと言っている。
爺さんの言う『ク◯野郎』はかなり身近な社会に存在していて、ひょっとしたら、『この爺さんもその一人かも』と醸し出している。勿論、自虐的なデフォルメな表現だが。
そして、何も改善されないまま、アルマゲドンする。流れる音楽はレゲエミュージック。それも題名と共に瞬時にその音楽は消える。
それと黄禍論だねぇ。
『餃子を食べません』
『血まみれの蚯蚓はすすらない』
まぁ、
社会が魅力が無い所だろうが、。
麺をすするなとか、餃子を食べるなとか、明らかに黄禍論。
また、物凄くリベラルぽいが、主人公も決して素直な普通の子供では無い。このデフォルメ感がこの社会を皮肉っている。
この監督の幼少の頃だそうだが、これは正に『実体験』なのだと思う。そして、彼にとっては『贖罪』の様になっているはずだ。一目瞭然で理解出来る。
我が家の亡父は、最初から『友達は作るな。』と教えてくれた。それが、彼の経験だそうだ。『裏切られるし、裏切れば差別を生む』と教えてくれた。そして、差別用語は絶対に使うなと教えてくれた。心中『よく言うよ』とウマシカしていたが、亡父の『言いつけを亡父の前では守るフリをした』ので、それ以来、僕には暴力を振るわなくなった。
ウクライナのコサックの逸話が登場するが、事実ではあるが、ウクライナの人々全てがコサックではない。その点もこの演出家のアイロニーな演出だと僕は見ている。だから、アラブ系にせずに黒人にして、あのイスラム教徒の『モハメッドアリ』を壁写真で登場させている。グッゲンハイム美術館(グッゲンハイムはユダヤ系の移民)やカンディンスキー批判は正にナチス・ドイツの退廃芸術に対するアイロニーそのもの。
原題 Armageddon Time
製作年 2022年
製作国 アメリカ
劇場公開日 2023年5月12日
上映時間 115分
映倫区分 PG12
アメリカの病巣
アルマゲドンなんてタイトルがついているから例の隕石ものかと勘違い、脚本・製作・監督のジェームズ・グレイが自身の80年代を苦渋とともに描いた半自伝的映画だそうだ、ただ、人それぞれだし、歴史も文化も違うからユダヤ人家族のアメリカでの暮らしぶりを延々見せられてもそれほど興味が湧かない。型にはまった保守的な大人たちへの批判めいた描写や悩み多き少年期と言うのは分からんでもないが、グレイ監督が映画にしてまで語りたかったのは何なのでしょう、子供のころから漠然と感じていたアメリカの病巣が現実のものなったので掘り返したかったのでしょうかね・・。
差別に苦しむ人々、少年達の尊い友情
ジェームズ・グレイ監督の自伝的作品とされるこの映画は差別に苦しむ人達で溢れています。
地下鉄の車内で「将来NASAに入りたい」と友達のポール(主人公)に夢を語っていたところ、それを聞いていた見ず知らずの黒人青年から「黒人なんか裏口からだって無理だ」と否定されショックを受けてしまう黒人少年・ジョニー。
若かりし頃の大学入試の際に、面接官から「ユダヤ人が何しに来た」と言わんばかりに嘲笑されたポールの祖父・アーロン。
自分の父親の職業が配管工だと知れたとたんにアーロン以外の妻の親族に見下すような態度をとられたポールの父・アーヴィング。
物語は1980年のアメリカを描いていますが、「あなたがアイビー・リーグに合格したのは黒人だから」と同級生にねたまれ、「確かに自分と同じ位の成績のアジア系の子達は受からなかった。」と悩む公立高校の女子学生にフォーカスしたドキュメンタリーや、「アイビー・リーグが黒人を優先的に入学させているのは憲法違反」と判断した連邦最高裁判所のニュースを見ると、差別は今も形を変えてアメリカの人々を苦しめているのだと痛感します。
幸いにも差別に直面することはあまりないと思っていたら一つ思い当たりました。テレビのドキュメンタリー番組で耳にした「ラーメン嫌いな日本人なんていないんじゃないの」という中年男性の発言。多数派による同調圧力と感じました。
悪気はないのでしょうが、ラーメンの屋台というまず反対意見が出そうもない安全地帯での、恐らくごく少数の意見しか知らないうえでの発言であり、私は卑怯で小心者で軽率で思慮深さに欠けますと言っているに等しく、同じラーメン好きとして聞いていて恥ずかしくなります。
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転校先の私立の学校で同級生があからさまに黒人を見下しているとポールに打ち明けられたアーロンは、恐らく黒人が一人もいないであろうその学校で、それがどんなに難しいことかを承知のうえで「高潔であれ」と諭します。
新学年の初日に新しい担任の似顔絵を描いてこっぴどく怒られる、祖父母を招いたパーティのためにお母さんが腕によりをかけて作った料理が食べきれないほどあるのにチャーハンや餃子のデリバリーを勝手に頼んでしまう、学校のトイレで友達とドラッグをキメるなど大暴れのポールですが、ジョニーが一緒に出かける約束のためにポールの転校先の学校を訪れた際に、(周りの目を気にして)ちゃんと話せなくてごめんと謝ったり、学校のパソコンを二人で盗んだのは自分の発案だと正直に話したり、おじいちゃんの教えの通りに友達を思いやり高潔に生きています。
それに対して「この子は関係ない。自分が一人でやった」と話すジョニーに「どうして・・」と戸惑うポール。
自らの現状への不満の理由を「親ガチャ間違えた」で済ませてしまう日本の若者には、自分に不利になることを承知で互いに友達を思いやるこの二人のような尊い行動は到底期待できないのではないかと考えてしまいます。勿論杞憂であることを望みはしますが・・・。
あらゆるマイノリティーたちが時代の中で戦っていた
ユダヤ系への差別
黒人差別
女性蔑視の中での社会進出
無力で非力な子供が精一杯の反抗
理解ある祖父の喪失
父からの暴力
色んな要素が含まれたTheタンカン映画といった作品だった。
良かれと思った事がどんどんまずい方向に転がってしまう、本当のことを言ったのに自分だけが許される社会の不公平さ
気が付かないうちに誰しもが安全圏に居たり、反対に非安全圈に居る。
それぞれが自分の居場所を守るために必死に生きている。
何よりアンソニーホプキンスがカッコよすぎる。
苦い傷跡
癒えていくのか、膿んでいくのか。
はたまた誰も予想もしない運命が待ち受け、翻弄されていくのか。
物語はどこかにもあるような家族たちとその人生の起伏の切り取りかも知れない。
ではなぜ、このえぐられたような感覚が生々しくこの胸に残り、ざわつくような波紋が頭のなかから消えないのか。
味わう温かさの分だけ冷たいものに向きあう厳しさに触れながら何かをふわりと感じさせる作品。
※以下、ネタバレを含みます。
…………
⚫︎愛情の伝え方 アーロン⚫︎
アンソニー・ホプキンス演ずるおじいちゃんから滲み出る暖炉のようなハートのあたたかさと苦難を越えて生きた人の厳しさ。
それは正しいことか…
高潔に生きろ…
握手だ…
ハグをしよう…
親が手を焼いてる孫のポールに、見せかけではない愛情をもった言葉と態度で接するアーロンの人柄がどれだけポールの気持ちにやさしく触れたことか。
自分のために芯から向きあってくれる熱量がその場で伝わることは間違いない気がするのだ。
ポールもそれをよく知っていて信頼をよせて素直に聞いているのがわかる。
しかし、まだこどもだ。
すぐには行動が伴わず繰り返す失敗。
教育に熱心な母も自分を越えて出世して欲しいと願う父も、根底にあるのは息子の長い間の幸せへの希望で、同じようにポールを大切に考えている。
しかし、アーロンとの違いは、自分の価値観にはめらなければうまく作動しない所有物のように扱っている点。
アーロンには、ポールを子ども扱いし過ぎず、1人の人間として尊重し対話を重ねる姿がある。
辛抱強さで想いを伝える彼の話には互いのこころをふわりと纏う「ゆとり」という空気があるのがわかる。
その空気のなかで息を吸い息を吐き目では見えないなにかに触れていくときの大切さがきっとあるのだろう。
しかし、人の宿命である別れの日は祖父にもやってくる。幼いアーロンは、感覚的にはあまりその別れを捉えていないようにみえた。後から気づく、その存在の大きさにも。
⚫︎選べぬ運命 ジョニー⚫︎
ジョニーは複雑な家庭環境と時代背景を大いに背負っている。
彼の、常に憂いを帯びた目がただならぬものを物語る。
その日常がつくりあげる思考は、幼いながらに諦めることをしっている大人のようだ。
冷めた言葉を漏らしながら無意識に自分をコントロールできている姿が切なく映る。そんなジョニーも、自由奔放で空想家であるポールとは気があい、彼といるとき無邪気な笑顔をみせる。
現実を離れ、束の間の夢の時間にわくわくと浮き足立つジョニーだったが、地下鉄の中で若者がかけた辛辣な言葉が現実に引き摺り降ろす。
それは同じ境遇に生きてきたからこその強い戒めであり一筋の光もない嘆きの塊のようだった。〝未来などあてにするだけつらくなるぞ〟と。
そしてそう言わせたのは彼らのこころに晴れない影をつくったこの世の偏りだということ。
そういう私も、まるで、あの車両のこちら側の座席で傍観している客のようにその先に何かが起こらないように会話に耳をたてつつ祈るだけの自分でしかなかった。
私も黙りながらある意味なんらかわりない場所にいるのかも知れない。
⚫︎壊れた夢のはしご ポールとジョニー⚫︎
芸術家になりたいポール、宇宙飛行士になりたいジョニー。
気の合う楽しさをみつけ、お互いが抱える悩みを共有したが、分別が不安定なこども時代の危なっかしさ、浅はかさが引き起こす事件。
夢に向かっているつもりが行き着くのは真逆な場所。
こどもの個性を感じ、夢や好奇心をうまく繋げていけれるようにさりげなく見守り、かけたいはしごの綻びに気づいてやれる大人がそばにいるか、いないか…。
成長の過程に潜むいくつかの分かれ目のような重みを感じる。
ポールのそばに、勘よく威厳をもちながら優しく諭した祖父はもういない。
⚫︎差別⚫︎
アーロンはユダヤ人として過去の歴史的分断を経験し、その傷を受けながらヨーロッパからアメリカへ移住し逞しく生き残ってきた経歴を持つ。
実体験者だけが知る過酷さのなかで家族を増やし、財産をゼロからつくってきた誇りがある。
しかし、経済格差、宗教、人種差別はやまない。それどころか、悲しいかな、たとえ体験として差別を味わっていたとしても、次なる種類の差別の根が地下茎のようにのびてきて、いつまにか加害者にもなる性質でもあることが作中にもみえる。大人がつくりはじめる愚かな歴史は、簡単に繰り返されてしまうわけだ。
ポールの転校先を尋ねてきたジョニーのシーン。
クラスメイトに聞かれて今までの仲の良さを咄嗟に隠したポールのいいわけ。
少しの期待をもちながら黙って聞いたジョニー。
予測を外さなかったジョニーには慣れっこの哀しみだが、きっとそれは今までのなによりも暗く色づいていただろう。
2人を分けたあのフェンスの丈はあの瞬間にどちらの心の中でも何倍にも増してそびえたっていた。
他人には何気ないやりとりだが、ポールはなんとも言えない気まずさをにじませた。
その固まる表情が、かすかに〝差別するような自分に溺れたくない〟と抵抗しているようにみえたのは気のせいだろうか。
容易く起こる心の分断の瞬間に、それすら感じなかったポールでなくてよかったと感じたものの、現実には純粋な本心に嘘をつき、親友を裏切った。
ジョニーとはこっそり会えるようになり、2人は夢を膨らませまた騒動となる。
あっけなくおわる事件の後始末はふたりの関係も割く結果をむかえる。父の力を借り白人である自分の罪だけがキレイに拭われていくポール。ジョニーの前で、警察に自白をしてもまるで関係なかった。
だんだんと知る世の中。
だんだんと破る祖父との約束。
そのことがポールにどのような気持ちをもたらすのか。
⚫︎想像かきたてる音の意味⚫︎
エンディングから遠ざかるありふれた日常。
片付いた教室と片付いたリビングは未練もなく後ろに流れ、賑やかで屈託のないこどもたちの声は次第に消えていく。
ポールが自分の意志で進む暗い夜道。
やがて遠方のサイレン、ブレーキの音。
もやもやした不安がつのる。
ポールは…
ポールのこころはドアを開け一体どこにむかっていったのか。
大好きだったおじいちゃんは言った
元気で、
過去を忘れるな…と
今こそ思い出してと願いながら、私の手には照らせるものもないままポールの後ろ姿を探す。
追っても追っても追いつけない感じだけを受けながら。
大切なことを教えたアーロンが居てくれた日々、ポールをみつめる笑顔がフラッシュバックする。
修正済み
げんなり
.
.
監督自身の実体験が基になっている
人間ドラマとの事ですが
この手の作品はもう既視感しかないので
途中の経緯や結末は想定内のため
如何に役者の演技で観客を魅了するか。
みたいなところがあるように感じます。
そういった意味では、
主人公の友達ジョニー(ジャイリン・ウェッブ)は
頑張っていたとしましょう(笑)
父親(ジェレミー・ストロング)もいいですね。
しかし本作では絶対欠かせないのは
アーロンおじいちゃん(A・ホプキンス)
圧倒的な存在感、貫禄、御年86歳とは
とても思えません。
.
.
主人公ポール(バンクス・レペタ)は発達障害と
思わせる節がありますが、単なる思春期特有の
反抗期なだけではないかと思うんだけど、鑑賞した方々は
どう感じ、捉えたのだろう。
反抗期故、浅はかな、でもその年ごろの少年だからこそ
起こしてしまった事件は、結局 この時代の激しい
人種差別により更なる悲劇がポールではなく
ジョニーに降りかかる。ジョニーがとにかく不憫。
親友を助けるわけでもなく、あっけにとられている間に
エンドロール…なんとも後味の悪いったら…。
祖父『Remember your past』or 父親『Not Look Back』
家族同士また社会との関わり合いで我々は成長して来た。その中でおきる矛盾をどう受け止めるか主人公のポールが自ら答えを出している。それはフレッド トランプ(ドナルド トランプの父親)が感謝祭のダンスでスポンサーになっていて演説をするシーンでわかる。フォーレスト・マーナーという学校はビジネスや政界や財界のリーダーを育てる学校だとフレッド・トランプはスピーチをしていたが、ポールは自分の道ではないと認識しているからその場を
離れる。祖父のアーロンに勇気付けられた言葉「自分のやりたいことをやれ」という大切な言葉を思い出して。『過去を忘れるな!』と教えてくれた祖父はポールにとって祖父の言葉と死は過去のことだから忘れない大切なことなのだ。ポールがジョニーを踏み台にしてしまったことも。父親の言葉『Not Look Back』ではなく。ポールのこれからの人間性に影響してくる大切なシーンで大好きだ!これが監督の自叙伝的な話らしいが。
この映画は感動したり、歯がゆかったり、むかついたりした。1980年の米国の政治的に変革期をテレビニュースで理解させてくれている。ポールの通う学校は『レーガン!レーガン!』とレーガンにエールを送っているが、ポールの家族は人間性重視の民主党カーター大統領から共和党レーガンへの変革を、母親は「核戦争に入る」という言葉で、祖母は「アーロンが生きていなくてよかった」という言葉で表しているが、これらを聞くことはポールにとっても重要である。将来、自分の考えが決まってくるから。
この映画で驚いたのはドナルド・トランプの父親フレッド役が映画で強烈なビジネス重視の発言をしている。それにトランプ大統領の姉上であるテリーアン?・トランプ(本名メリーアン・トランプ)は司法長官で弁護士だからよりビジネスマンのようなスピーチをしている。トランプ大統領はこの高校を卒業している(学校の名前はちょっと変えてる)しこの映画からも親の七光りのおかげで自分の道を歩きはじめたと想像できる。それに、緊張感のある時代だったようで、レーガンが「我々はハルマゲドンを目の当たりにする世代かもしれない」とテレビで言葉を発しているが、先の時代が恐怖感であり、明るい時代ではないようにも思える。しかし、I am the greatest の発言のように、アリの健闘にアメリカは勇気づけられているようにも思える。ポールの家庭では『The Art of Success』の作者、エドワード・デ・ボノのように、ただの芸術家ではなく、心理学者であったり、医者であったりする人になることを期待されている。コンピューター・グラフィックは将来性のある仕事だとも親は言っているが、抽象画の創始者ワシリー・カンディンスキーのような画家は疑問のようだ。祖父のアーロンを除いて。
それにもう一つはクイーンズの公立学校が173という番号で表示されていること。調べてみないとなぜそうなのかわからない。
ポールの学びがスローだということは学べないということではない。それに、唯一の友達、ジョニーは問題児扱いされているが、クラスで汚い言葉使いをするが、NASAに興味を持つ賢い生徒である。彼は自分が黒人のいない教育の場で、どう扱われるかを知っていて、それに挑戦している。それに、抵抗をしても、余計悪くなるだけだからしない。例えば、教室で、ジョニーがしていないのに、ポールの代わりに責任を科されても反論しない。ジョニーにとって一番苦痛なシーンは電車の中で、ジョニーがNASAのカードを持ってホールに見せている時、見知らぬ黒人が、ゲームだと思い(ゲームなら奪おうとおもったかも?)寄ってきた。それがNASAのカードだと知った時、『黒人はたとえ、裏口からも入れてもらえないよ』とジョニーに捨て台詞を吐く。ジョニーにとってこの言葉が何よりもキツいと思う。同人種に言われることは完全に夢を奪われたことだ。ポールには数々の特権がある。祖父アーロンは名字を変えたから一般的にユダヤ人かとうかわからない。でも、ジョニーには何一つ特権がない。ジョニーにフォーカスをおいてこの映画をみていると、父親の言葉『Life is Unfair』がしみじみと心にのこる。そして、父親は最悪だけど、生きていかなきゃならないんだとポールに。
結構きつい映画で、観賞後。親として、子供とどう話し合っていくかが重要になってくるな。
文芸映画ですね
アメリカの文芸映画ですね。
画面は暗く油断していると寝そうになる画作りです。
ストーリーはちょっとひねくれた子供時代を過ごしていた人には追体験するようなシーンがあるかもしれません。
ただユダヤ人や黒人が1980年のアメリカでどういった扱いを受けてきたのかといったテーマはやはり日本人には馴染みが薄いでしょう。
この映画から学びを得るとすれば、子どもに過度な期待を一方的に寄せたりすることなく、話し合いが大切だということでしょうか。
愛情の形について考えるところはありました。
アンソニーホプキンスはさすがですね。
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