アルマゲドン・タイム ある日々の肖像のレビュー・感想・評価
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凡庸で甘ったれた子供のささやかな奮起。
とくに可愛くもないガキが、とにかく甘ったれていてわがままで、それをダリウス・コンジのカメラが対象と正対するような几帳面さで映し出していく。いったい何を見させられているのだろうと考え込んでしまったが、凡庸な子供の限界を、わざわざ凡庸な映像で切り取っているのではないかと思い当たった。そうすると、凡庸な子供を取り巻いているのがさらに凡庸な社会と大人たちであることがわかり、現代に向けた辛辣な社会批評であることもはっきりとしてくる。
主人公はある騒動を起こすのだが、これほど煮えきらない解決を見せる映画もなかなかなく、シビアな現実に心が冷え冷えとしてくる。しかしそこに甘んじることなく、その先まで行きたいと心から思えるのか? ラストシーンの唐突なメッセージについて考えるエンドクレジットの時間の豊かさに、ああいい映画を観たんだなと遅まきながら気付かされた。ジェームズ・グレイ監督にしてやられました。
ユダヤ系の姓と、階級意識や差別感情の複雑さをめぐって
本作については当サイトの新作映画評論の枠に寄稿したが、下調べの段階で主にユダヤ系の姓などについて興味深く感じたものの、字数の都合で言及できなかったことを書き残しておきたい。補足説明として、背景を理解する一助になれば幸いだ。
評では、主人公が私立学校に転校した日に「ドイツ系移民の子で白人至上主義団体KKKに所属していたとの噂もあるフレッド(ドナルド・トランプの父親)が、ポールがユダヤ系だと気づいて見下した態度をとった」と書いたが、あのやり取りのニュアンスは日本の観客には少しわかりづらいかもしれない。名前を訊かれて答えたポールに対し、フレッドが「What kind of name is Graff?」(グラフって何だその名前は)と小馬鹿にしたように問い、さらにポールがおどおどしながら「元はグライザースタイン(Greizerstein)でした」と明かす。ちなみに本作の脚本・監督ジェームズ・グレイの祖父母の元の姓が実際にグライザースタインで、ロシアから米国に移民した際に改名したのだという。語尾に-steinが付く姓はユダヤ系に多く、有名どころではアインシュタインやバーンスタインがそう。グラフ家での祖父母を交えた食卓のシーンにも、アメリカの社会に溶け込めるように姓を変えたというやり取りあった。
序盤の公立学校で、授業態度がよくないポールと黒人生徒ジョニーに厳しく当たる白人教師の姓はターケルタウブ(Turkeltaub)。こちらは-steinほどメジャーではないが、やはりユダヤ系に多い姓のようだ。教師の姓をわざと言い間違えてふざけるジョニーに過剰に反応するのは、ターケルタウブ氏もまたユダヤ系として差別されたり名前をからかわれたりした経験があるからだろうと推測できる。だからこそ、彼の意識では下層であるはずの黒人の子から姓をいじられるのが我慢ならないのだ。
俳優業の頃には赤狩りに積極的に協力し、タカ派の政治家に転身して1980年に大統領になったレーガンが「アルマゲドン」を口にする不安な時代。その前年には、原子力発電所の重大事故として世界初のスリーマイル島原発事故がペンシルベニア州で起きており、評でも言及したザ・クラッシュの「ロンドン・コーリング」には「メルトダウンが起きそうだ」という歌詞がある。そうした時代背景に加え、移民国家アメリカの階級意識と差別感情の複雑さもまた、グレイ監督の少年期に暗く重苦しい影を投げかけたのだろう。
何じゃこの映画?
見どころがどこにもない。登場人物の誰にも共感できない。アンソニー・ホプキンスおじいちゃんか黒人の友達ジョニーかなと思うけど、人物描写が薄すぎて人間としての実態が見えてこない。何を言いたいのか分からない。
高潔に生きろ
ストレートに痛いところを突かれた気分になった。
そして突かれたままで終わる。
ゆえに後味は悪く、だからこそおろそかにできない責務を、
忘れたくとも忘れてしまえば薄情なのだから、
一生抱えて生きる仄暗さを思い起こさせる。
それは誰しも、何かしら持っていそうな十字架だ。
目に見えぬプレッシャーからどうにか逃れ、
自由になろうと、生き延びようと主人公たちはしている。
だがどれほど知恵を、勇気を絞り出そうとかなわない。
なぜなら相手は不公平が公平な家庭であり、社会だからだ。
しかしながら高潔に生きろ、と説いて去った祖父の凄味がキモか。
金や名誉、名声をつきつめるのではなく、
おそらく誰しも真っ白ではいられない、
なら汚れてからこそが生き方の勝負だと言わんばかりに。
校風に染まらずさ迷う主人公の描写で本編は締めくくられる。
この胸のすくご都合主義では終わらない潔さに感服した。
アンソニーホプキンスが主人公と言ってもいい気がするが、それは禁句なのだろう。
期待が大きいとちょっとガッカリ
5月5日に39.2℃の発熱があり、連休中で病院が休みのため本8日発熱外来を受診してインフルエンザと併用のコロナ検査を受けたら陰性だったが7,300円取られた。今日から5類。
発熱のあと、微熱と鼻水が残って体調イマイチの日が続き映画に行かず。半月振りに映画館へ。今日は熱いな。
日比谷シャンテで「アルマゲドンタイム ある日々の肖像」を。
1980年のニューヨークを舞台に12歳の主人公周辺の黒人、ユダヤ人の人種差別問題を描いた監督の半自伝的作品との事だが、スピルバーグみたいだな。
母親役にアン・ハサウェイ、祖父がアンソニー・ホプキンスと言う事で少し期待していたが、心にそれほど響かず。ラストも尻切れトンボ。
ジェシカ・チャステインがトランプ元大統領の姉役で登場した。あれ?これってネタバレじゃないよね。
バート・ランカスター主演の『終身犯』を鑑賞後にこの映画を見た。
バート・ランカスター主演の『終身犯』を鑑賞後にこの映画を見た。
僕はテーマが似ていると思った。自由と民主主義の国と言いながら、大変に居心地の悪い社会だと言っている。
爺さんの言う『ク◯野郎』はかなり身近な社会に存在していて、ひょっとしたら、『この爺さんもその一人かも』と醸し出している。勿論、自虐的なデフォルメな表現だが。
そして、何も改善されないまま、アルマゲドンする。流れる音楽はレゲエミュージック。それも題名と共に瞬時にその音楽は消える。
それと黄禍論だねぇ。
『餃子を食べません』
『血まみれの蚯蚓はすすらない』
まぁ、
社会が魅力が無い所だろうが、。
麺をすするなとか、餃子を食べるなとか、明らかに黄禍論。
また、物凄くリベラルぽいが、主人公も決して素直な普通の子供では無い。このデフォルメ感がこの社会を皮肉っている。
この監督の幼少の頃だそうだが、これは正に『実体験』なのだと思う。そして、彼にとっては『贖罪』の様になっているはずだ。一目瞭然で理解出来る。
我が家の亡父は、最初から『友達は作るな。』と教えてくれた。それが、彼の経験だそうだ。『裏切られるし、裏切れば差別を生む』と教えてくれた。そして、差別用語は絶対に使うなと教えてくれた。心中『よく言うよ』とウマシカしていたが、亡父の『言いつけを亡父の前では守るフリをした』ので、それ以来、僕には暴力を振るわなくなった。
ウクライナのコサックの逸話が登場するが、事実ではあるが、ウクライナの人々全てがコサックではない。その点もこの演出家のアイロニーな演出だと僕は見ている。だから、アラブ系にせずに黒人にして、あのイスラム教徒の『モハメッドアリ』を壁写真で登場させている。グッゲンハイム美術館(グッゲンハイムはユダヤ系の移民)やカンディンスキー批判は正にナチス・ドイツの退廃芸術に対するアイロニーそのもの。
原題 Armageddon Time
製作年 2022年
製作国 アメリカ
劇場公開日 2023年5月12日
上映時間 115分
映倫区分 PG12
アメリカの病巣
アルマゲドンなんてタイトルがついているから例の隕石ものかと勘違い、脚本・製作・監督のジェームズ・グレイが自身の80年代を苦渋とともに描いた半自伝的映画だそうだ、ただ、人それぞれだし、歴史も文化も違うからユダヤ人家族のアメリカでの暮らしぶりを延々見せられてもそれほど興味が湧かない。型にはまった保守的な大人たちへの批判めいた描写や悩み多き少年期と言うのは分からんでもないが、グレイ監督が映画にしてまで語りたかったのは何なのでしょう、子供のころから漠然と感じていたアメリカの病巣が現実のものなったので掘り返したかったのでしょうかね・・。
1980年のニューヨーク
1980年、ニューヨークに住むユダヤ人の小学生が主人公、成績優秀な兄とは違い、絵が好きなおっとりとした子供だった。
両親、特に母親(アン・ハサウェイ)とは心のすれ違いを感じ始めており、祖父(アンソニー・ホプキンス)が唯一の理解者だと思っていた。
学校で黒人少年と親しくなるが、ちょっとした事件で私立学校に転校させられる。
人生は不公平だけど、生き残らなければ。
人生は不平等
人生は不平等。
不平等の中に運の良さ、運の悪さもあり
目をつぶらないといけないこと
目をつぶってはいけないこともある。
大人になるにはそうした色んな経験をしていく。
残念であるが人生は不平等。
この作品は監督の実体験らしいけど
みんな大なり小なりこのような出来事を体験しているはず。
母親役のアン・ハサウェイも母親がなじんでたし
祖父役のアンソニー・ホプキンスがいい味出してました。
過去を忘れるな、人生は不平等
子供目線で少年が世界の理不尽な暴力性に触れ、その中で知見を広げ、最終的に自らの意思で何かを選び取っては歩みを始めるまでの確かな記録を綴る。
ジェームズ・グレイ脚本監督による静かに重い家族ドラマに、祖父アンソニー・ホプキンス、母アン・ハサウェイ、父ジェレミー・ストロングという素晴らしいキャストの目を見張る演技。現実に敗れるか、それともめげずに立ち向かうか?
舞台は1980年、繊細で絵を描くことが好きな少年ポール・グラフ。ユダヤ人の家系でPTAの母と怒ると怖い父、そして唯一の理解者である祖父の存在。祖父が説くクソども相手に屈することなく戦うことの大切さ。彼が学校で、留年していて事あるごとに先生に目をつけられ叱られている黒人の少年。
見終わる頃には沁みるように納得のいく最高なタイトルだけど、内容自体は、というか終わり方はとりわけオーディエンスフレンドリーではないと感じた。ただ、同時に、だからこそ恐らく本作が製作された意義・真意がそこにあるのだろうとも思う…。
P.S. タイトルから日本公開までてっきり世界滅亡の作品かと思っていたのはナイショ。
【ユダヤ人のクランパは僕に”お前は高潔な精神を忘れるな”と言った。1980年代の人種差別が普通だったNYで幼き日を過ごした少年の心の成長を描いた作品。】
ー いつもの通り、今作のフライヤーが手元にある。アンソニー・ホプキンスを筆頭に、アン・ハサウェイも出演している作品である
だが、私は時間的、物理的制約もあったが、私の居住区で一館だけで上映された本作を鑑賞するために足を運ばなかった。
何となくである。幾つか映画を観てくると、これはどうかな・・、と思う作品があるのである。今作で言えば、アンソニー・ホプキンス、アン・ハサウェイが出演しているにも拘らず、公開館の少なさと殆ど話題にならなかった点かな。-
■1980年、ニューヨーク。
白人の中流家庭に生まれ育った12歳のポールは、教育熱心な母(アン・ハサウェイ)、働き者でユーモラスな父、優秀な兄と暮らしているが、家族にいら立ちと居心地の悪さを感じていた。
そんな折、ポールは親友の黒人のジョニーとささいな悪さを起こしてしまう。
◆感想
・今作は、ポールの大好きな祖父(アンソニー・ホプキンス)がウクライナで暮らしていた頃から(多分)多数の経験を得て、現在の地位に就いた事がベースであるのだが、そこが見事に一切描かれていない。
ー 全くもう!-
・ポールの友人の黒人のジョニーへの年代的な差別の描き方も、甘いんだよなあ・・。
・けれど、1980年当時の共和党全盛期の中でのポールの生き抜く姿や、黒人少年に対する社会的偏見は巧く描かれていると思う。
ー 現況下のアメリカは、許されざる行いを行ったトランプが共和党の筆頭勢力を担っている。大丈夫か、アメリカ!-
<フライヤーを観ると、今作は監督のジェームズ・グレイの幼年期を投影した自伝的作品だそうであるが、これだけのキャスティングながら観ている側に響いてくるモノが甚だ少ない。
ジェームズ・グレイ監督作品としては「アド・アストラ」を観たが、もう少しストーリーテリングを含め、頑張ろうよ!と思った作品である。
3.5は勿論、アンソニ・ホプキンスに対してである。
だが、今作は現況下の右傾化していくアメリカに対する大いなる警句を発信している作品なのである。>
差別に苦しむ人々、少年達の尊い友情
ジェームズ・グレイ監督の自伝的作品とされるこの映画は差別に苦しむ人達で溢れています。
地下鉄の車内で「将来NASAに入りたい」と友達のポール(主人公)に夢を語っていたところ、それを聞いていた見ず知らずの黒人青年から「黒人なんか裏口からだって無理だ」と否定されショックを受けてしまう黒人少年・ジョニー。
若かりし頃の大学入試の際に、面接官から「ユダヤ人が何しに来た」と言わんばかりに嘲笑されたポールの祖父・アーロン。
自分の父親の職業が配管工だと知れたとたんにアーロン以外の妻の親族に見下すような態度をとられたポールの父・アーヴィング。
物語は1980年のアメリカを描いていますが、「あなたがアイビー・リーグに合格したのは黒人だから」と同級生にねたまれ、「確かに自分と同じ位の成績のアジア系の子達は受からなかった。」と悩む公立高校の女子学生にフォーカスしたドキュメンタリーや、「アイビー・リーグが黒人を優先的に入学させているのは憲法違反」と判断した連邦最高裁判所のニュースを見ると、差別は今も形を変えてアメリカの人々を苦しめているのだと痛感します。
幸いにも差別に直面することはあまりないと思っていたら一つ思い当たりました。テレビのドキュメンタリー番組で耳にした「ラーメン嫌いな日本人なんていないんじゃないの」という中年男性の発言。多数派による同調圧力と感じました。
悪気はないのでしょうが、ラーメンの屋台というまず反対意見が出そうもない安全地帯での、恐らくごく少数の意見しか知らないうえでの発言であり、私は卑怯で小心者で軽率で思慮深さに欠けますと言っているに等しく、同じラーメン好きとして聞いていて恥ずかしくなります。
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転校先の私立の学校で同級生があからさまに黒人を見下しているとポールに打ち明けられたアーロンは、恐らく黒人が一人もいないであろうその学校で、それがどんなに難しいことかを承知のうえで「高潔であれ」と諭します。
新学年の初日に新しい担任の似顔絵を描いてこっぴどく怒られる、祖父母を招いたパーティのためにお母さんが腕によりをかけて作った料理が食べきれないほどあるのにチャーハンや餃子のデリバリーを勝手に頼んでしまう、学校のトイレで友達とドラッグをキメるなど大暴れのポールですが、ジョニーが一緒に出かける約束のためにポールの転校先の学校を訪れた際に、(周りの目を気にして)ちゃんと話せなくてごめんと謝ったり、学校のパソコンを二人で盗んだのは自分の発案だと正直に話したり、おじいちゃんの教えの通りに友達を思いやり高潔に生きています。
それに対して「この子は関係ない。自分が一人でやった」と話すジョニーに「どうして・・」と戸惑うポール。
自らの現状への不満の理由を「親ガチャ間違えた」で済ませてしまう日本の若者には、自分に不利になることを承知で互いに友達を思いやるこの二人のような尊い行動は到底期待できないのではないかと考えてしまいます。勿論杞憂であることを望みはしますが・・・。
アン ハサウェイ らしくない
母親の作った料理を食べずに、デリバリーの中華を注文する、学校のトイレでマリファナを吸うなど、クソガキぶりにイラつく。母親役がアンハサウェイである意味がない。面白いとは思わなかった。後味が良くない。
なんとも、投げっぱなしなエンディングだ
主人公 ポール少年は、その後芸術家への夢を貫けたのだろうか。
監督&脚本のジェームズ・グレイの実体験を反映しているらしいポール少年だが、自伝というわけではないだろう。本当に自分があんな少年だったら、そのままには描けない気がする。
ポール少年は、はっきり言って変な子なのだ。
それを個性として受け入れられない時代。(今もそうかもしれないが)
とはいえ、私は彼に感情移入できなかったので、その時点で敗北……である。
公立の学校に通う11〜12歳の少年ポールは、老祖母と二人で暮らす貧しい黒人少年ジョニーと友達になる。
二人は教師から見ると問題児だ。
この映画、主人公のポールだけではなく、教師を始め登場人物がことごとく変だ。
家族も例外ではない。
PTAの会長で、教育委員会(?)に立候補しようとしている母親。
ポールが起こしたある事件で、ポールは「遅れてる」と言った校長に対して毅然と意見して席を立った一方で、室外に出るとポールにかなりキツく当たる。さらに、お説教はお父さん次第という意味の言葉を脅しのように言う。
かと思うと、別人かのようにポールに愛情を示したりもする。
技術職だと思われる父親。
ユーモアがあって、おどけて見せたりもする一方で、ポールにひどい体罰を加える。
長男の方が優れていると思っていて、次男のポールには期待していない。
ポールに比べて優秀だとされる兄。
これが、弟をバカにして常に嘲笑っている。とても優秀には見えない。
ポールと最も心を通わせている祖父(母親の父)。
ユダヤ人迫害から逃れて、親とともにアメリカに渡ってきた人物。聡明で人格者。ポールの父は彼を尊敬している。
アンソニー・ホプキンスの演技で誤魔化されそうになるが、この人も変だと思う。
ポールに良い教育を受けさせたい思いは解るが、ポール自身が望まないことを知っていて公立から私立に転校させた。
人種差別を嫌ってはいるが、ポールとジェニーの仲を裂くことは必要な犠牲だと考えているのか。
芸術家になることを誰も止めないとポールに言っていながら、模型のロケットで遊んでいると化学者になれと言う。その場の戯れ言だったとしても…。
この家族は、決して差別主義者ではないが、世の中の常としての不平等を理解して受け入れている人たちだ。
レーガン政権成立の前夜、この国の将来を全員で憂えているという一家。
多分、一番普通なのは友人のジェニーだろう。
ポールの浅はかな窃盗計画にちゃんと懸念を表していたし、ポールは白人だから便宜が図られるが、自分には救いに来てくれる人などいないと知っている。
自分よりもポールの方が将来があるから、自分が一人で罪を背負うのが正しいと理解している聡明な子だ。
窃盗事件の後、父親がポールに言っていかせることは処世術としては正しい。
かくして、ジェニーのような黒人少年が犯罪者へと成長していくのだろう。これが社会の仕組みなのだ。
ポールが転校した私立学校は、かのトランプ前大統領の身内が卒業した名門校…らしい。
君たちはエリートだと演説するトランプ父やトランプ姉に引いてしまうポール少年だった。
過去作とは作風を変えてきたジェームズ・グレイ監督ではあるが、親子感とか人間関係の解釈が独特なのではないだろうか。
自伝ではないだろうと書いたが、本作のポール少年あるいは彼の家族の異様さは、監督の中に息づいているものなのかもしれない。
…結論、私はこの監督とは合わないのだ。
あらゆるマイノリティーたちが時代の中で戦っていた
ユダヤ系への差別
黒人差別
女性蔑視の中での社会進出
無力で非力な子供が精一杯の反抗
理解ある祖父の喪失
父からの暴力
色んな要素が含まれたTheタンカン映画といった作品だった。
良かれと思った事がどんどんまずい方向に転がってしまう、本当のことを言ったのに自分だけが許される社会の不公平さ
気が付かないうちに誰しもが安全圏に居たり、反対に非安全圈に居る。
それぞれが自分の居場所を守るために必死に生きている。
何よりアンソニーホプキンスがカッコよすぎる。
高潔な人生を
裕福ではあるものの居心地の悪い家庭に悩むおじいちゃんっコのポールが、黒人の友達と些細な悪さをしたことから暮らしが大きく変わっていき…といった物語。
強いメッセージ性を感じる作品ではあるものの、前半はちょっとイライラタイム。差別は勿論ダメだが、シンプルに態度が悪いし大人をからかうし…。
ポールも悪ガキそのもの。親がPTA会長だとイキり、注意されてもヘラヘラした表情がやや鼻につくw両親も両親で色々とね。。
そんな中、唯一の良心はおじいちゃん。
両親のように価値観を押し付けず、ポールを理不尽に叱りつけることもなければ、それでいて決して甘やかしている訳でもなく。癖の無い愛情ですね。
そんなおじいちゃんに愛されてか、優等生でなくとも、差別や偏見の目を持たずジョニーと仲良くする姿は良いですね。母を気遣う優しさも◎。
それもこれも、ユダヤ系として少なからず差別されてきたおじいちゃんの教育があってからこそですね。とはいえ、やり過ぎに見えるお父さんも実は人種や宗教とは違う差別の辛さを知ってるからこそ…ポールへの接し方も、形の違う愛情なんですよね。ちょっとグッときた。
そしていよいよ始まる冒険!!
…って言っても、そりゃそうなりますわなぁ。
ここの友情は目頭にくるものがあったけど…キレイ事抜きに車でのお父さんの話がハッキリ言って人生の核心ですよね。決して良い話では無いけれど、誰が否定できよう。
それでも、まだまだ子供で純心の残るポールはどう思ったか?
この結末は果たして…⁉といった印象もあるが、ポールは何を思い歩を進めるのか、答えが出るのはまだまだ先でしょうね。
そんなこんなで、前半はややノれなかったですが、中盤から追い上げ最後にはしっかり心に訴えてくる、そんな作品だった。
胸には高潔の理想の火が燃えるとも
まずはアン・ハザウェイとアンソニー・ホプキンスと言う、なんて贅沢な!なキャストにビビります。
少年時代ですよ。テーマ的にはよくあるやつな訳です。「ベルファスト」なんかが最近では印象に残ってますし、同テーマの作品は巷にあふれてたりしますが。アッバス・キアロスタミの「トラベラー」が途中で思い浮かびます。なんというか、ベルファストとトラベラーを足して二で割った、的な。
交通費を得るために盗みを働きます。ここ、トラベラー。
じーちゃんの言葉は、むしろ大人の胸に刺さります。ここ、ベルファスト。
不公平な世の中で高潔に生きろ。って言われても。高潔に生きることの難しさです。この少年も、大人になったら子供たちに向かって言うのかも知れません。同じように。高潔に生きてこれなかったわが身を振り返り、その後悔と反省から。
なんてことを思ったりしました。
まったりした時間間隔とリアルな地味演出が好き。
良かった。割と。
「エヴァの告白」「アド・アストラ」で宇宙のかなた、「ロスト・シテ...
「エヴァの告白」「アド・アストラ」で宇宙のかなた、「ロスト・シテイZ 失われた黄金都市」でアマゾンのジャングルへの探索を壮大なスケールで描いたジェームズ・グレイ監督が、1980年代の米ニューヨークを舞台に、自らの少年時代をもとに描いた自伝的家族ドラマ。
1980年、ニューヨークのクイーンズ地区。父親のアーヴィングはアメリカン・ドリームを現実のものにすべく日々懸命に働いており、決して悪い父親ではなかったが、短気に過ぎるところがあった。そのせいもあってか、ポールは祖父のアーロンに人生の導き手を見出していた。
誰もがアメリカンドリームを信じていた80年代。ニューヨークのクイーンズ地区が舞台。芸術家志望で夢見がちな12歳のポール・グラフ(バンクス・レペタ)は、ウクライナ系ユダヤ人の一家に生まれ育ち、同地にある公立学校に通っていました。でも窮屈な学校教育や集団生活になじめません。父親のアーヴィング(ジェレミー・ストロング)、母親のエスター(アン・ハサウェイ)の心配もどこか疎ましく感じる。そんな彼のよき理解者が温厚な祖父アーロン(アンソニー・ホプキンス)でした。
ポールは芸術への高い関心を有していたが、その手の生徒の例に漏れず、学校の雰囲気に上手く馴染むことができずにいました。ただ、自分同様に問題児扱いされていた黒人生徒、ジョニー(ジェイリン・ウェッブ)とは打ち解けることができたのです。
ところが、学校のトイレでタバコを吸ったことをきっかけに、2人の友情は崩れ去っていくこととなります。そして、2人の人生の明暗もここからはっきり分かれてしまうのです。中流家庭に育った白人であるポールは私立学校への転校によって立ち直ることができましたが、黒人の貧困家庭に育ったジョニーはそのまま転げ落ちていくしかなかったのでした。
グレイ監督の少年時代が投影されたポールと祖父アーロンとのほほ笑ましいやり取りが、その後のキャリアや作風をほのめかしていて興味深いところ。
温厚なアーロンであるものの、ウクライナ時代には、厳しいユダヤ人迫害を意見していて、人種差別には激しい反感を抱いていたのでした。ポールにもそういうものに直面したら戦えと檄を飛ばすのです。
親戚で囲む食卓など、セピア色の古いアルバムをめくるようなエピソードが続きますが、そんなアーロンの思いとは裏腹に、ポールと同じクラスの黒人生徒ジョニーとの挿話にほの暗さが漂っていくのです。
ユダヤ系の中流家庭で家族の愛情に包まれたポールに対し、頼れる身内もなく、貧困の連鎖から抜け出そうともがくジョニー。2人がしでかした悪事がきっかけで、白人優越主義という社会の理不尽を目の当たりにします。そしてポールが学んだことは、この世の中は理不尽に溢れているが、それを受け入れて乗り越えていくしかないのだという差別容認の父親のアーヴィングの言葉でした。
ふたりの運命を分けた瞬間、諦めとポールへの羨望が入り交じったジョニーの相貌が忘れられません。
冷戦の緊張感と経済的な発展、根深い人種差別など、アメリカの光と影を身をもって体験していく12歳の少年の葛藤と成長。芸術家になる夢をかなえた監督が内省的に原点を見つめ直した。まぶしくも、切ない心の旅路でした。
但し、劇中でもグラフ一家は、アメリカ大統領選挙で候補者のレーガンにブーイングしカーターを連呼したり、民族多様性を前面に打ち出すなど作品を通じて、民主党色一辺倒の作品でした。
1980年、レーガン政権前夜。ユダヤ家族と黒人と、、、
笑いも派手さもダイナミックなカタルシスもないが、丁寧に作られた映像と音楽。役者の表情、ちょっとしたセリフや仕草がキャラクターを雄弁に語っていた。子どもの浅知恵が哀しかったけど、黒人の少年役の子は小学6年生(落第してたから7年生)には見えない不敵感だったなあ。40年前の日本、世界、そして自分はどんなだったっけ、と思わず振り返ってしまう。
誰しもが、生まれる場所も時代も選べない。親も子も祖父もそのまた曽祖父も。この監督の生育歴に基づいているストーリーだとしたら、長年望んでいた贖罪も果たせたのかな。
疲れた母親役のアン・ハサウエイが綺麗。息長く演じ続けてほしい女優さん。
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