「忘れられない物語」CLOSE クロース humさんの映画レビュー(感想・評価)
忘れられない物語
見慣れたレミの部屋に一歩踏み込めば、仔犬がじゃれあうような2人の時間が戻る気さえした。
けれど、空っぽのリビングにのこる哀しみは逃れられない現実をガラス越しにつきつける。
レオにはそれがしっかりわかったはず…。
痛む胸の奥を尖る爪で鷲掴みにされる感覚は、いつものように飼い犬がレオを出迎えなかったときの嫌な予感と結びついた。
時の癒しを待てない苦しみに、今できることをレミの両親は考え記憶から存在を消そうとした。
それが夫妻の今を楽にする手段であり、息子が大好きだったレオの未来をも助けることだと。
そして息子同然にレオを大事にしていたからこそ何も告げずに。
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ある日クラスメイトにひやかされ、レミとの距離を気にするようになったレオ。
間もなく何かを求めるようにアイスホッケーに夢中になる様子と感情を振り切り家業の手伝いに没頭する姿がこれでもかというくらい反芻される。
それらの上達ぶりや気力、作業の内容と風景からみてとれる季節の推移には、時の経過と共に逞しさを増すレオの姿があり、レミとの時間を意図的に減らし自分に集中しようとしているのがわかる。
これをレオの成長の過程として喜び終わらせることができなかったのは、対比のように、内向的なレミが置いてきぼりにあったような孤独や嫉妬に苛まれ弱っていく姿があったからだ。
たわいもない会話にのせ夢や希望が明るく響いていたオーボエの音が、頭の中でいつしか調を変えてどんよりと曲がりくねり2人の気まずさを代弁しているようだった。
レミにとってそれは、唯一の親友と空想に浸って遊ぶ無邪気な日々への不本意な決別。眠れない夜にやさしい創り話をしてくれる〝友と時〟を突然封印されたも同然なのだ。
しかし、レオはレミを嫌いになったわけではない。
ただ自分の中にあるつかみどころのない気持ちに対応できず、それを誰かに悟られたくもなかった。
だからレミと離れレミのことを〝考えないで没頭できる時間〟がレオには必要だったと思う。
だが、レミのピュアな気持ちは、それを理解するには少し幼すぎたのかも知れない。
あれだけそばにいたレオの目に自分がうつっていない…
手の届かない世界にいってしまいそうなレオ…
そんなレミの焦りと口数が減ったレオがある日のケンカを引き起こし気まずさに囚われたまま別れを迎える。
レオとふたつの家族を襲う哀しみ。
それはどんなにどんなに辛かったことか…。
それから1年。
前にも増して自分を奮い立たせるようなレオがいた。
ソフィの職場に向かうレオはもうこどもの表情ではない。苦悩を経験し決意を持った雰囲気は、ソフィにすぐ状況を悟らせたが彼女は冷静を保つ。
この時を待っていたから。
しかし、レオを送る車内で聴いた言葉に、それまでこらえていた複雑で素直なソフィの感情が爆発、レオを車から追い出してしまう。
我に返ったソフィがレオを追う雑木林での緊迫。
追いつかれた時、ソフィに責めたてられても当たり前だと感じていたから抵抗する為にレオは棒を持っていた?
…そう初めは感じたのだが、むしろ自分を傷つけようとしていたのではないだろうかと思う。
慣れ親しんだソフィの気持ちが痛いほどわかるだけに、彼女の前で自らの罪を罰するために。
それをわかったソフィはレオをすかさず抱きしめたのだと思う。
レオも十分に苦しんだことを知り、自他共に疑い責めた日々からやっとレミの死を受け入れることで赦しの境地に辿りついたようにみえた。
そして冒頭に書いたレミの両親の選択がある。
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思春期のすれ違いのやるせなさをふと思い出させる苦い経験は、多くのおとなたちにある。
けれど、ここまでの衝撃。
その先にあった〝死〟というものがそれを増したのは明らかだ。
彼らのいつのまなざしも頭から離れず、だけど言葉にできず、ようやくの今日。
気がつけば半月、長い時間探し物をした気分だ。
まだ迷いながらも触れてみようと思ったことがあるからだ。
小学生のときに、友人のお兄ちゃんが亡くなった。
彼が6年生になる前日。
夕闇が迫る山手に向き、ひとり自転車をひく彼の姿があった。
父の車の座席から偶然みかけた私はいつもと違うその雰囲気だけをぼんやり見ていた。
それが翌朝に知る悲しみになるともわからず。
そして、今も同じ季節になると、不思議にみえた彼の姿を目で追う幼い自分を空から眺めるようにみる。
なにもできなかった自分の記憶が、どうしようもなかった淡い悔いを重ね塗りし無意識に弔っているのだと思う。
それが思春期頃からのクセになった。
一家はしばらくして引越した。
それからのことはわからない。
友人や家族のかなしみは時が忘れさせてくれたのか。
それもわからない。
でも、せめてそう信じたい。
そして彼がいたことは覚えていたい。
これは私の忘れられない物語。
レミとレオそして彼らを見守った家族に出会いなおさらそう思うのだ。
絶望が連れ去りのこしていくもの。
修正済み
コメント感謝致します。
タイトルは、振り返ってcloseの意味はなんだったのだろうと考えて選びました。
とても好きな作品です。
素敵なレビューと、大切なお話しをありがとうございます。
失礼します
是非、貴殿のレビュー、自信をお持ち下さい^^ ゆるやかにたおやかに読者を誘っております 勿論、ご自身は未だ未だ発展途上だと戒めておいででしょうが、その方向性は間違っておりませんので、更に研ぎ澄まして下さい 但し、ご自身の意思でお願いします
誰も貴殿の未来を縛るモノはございません^^
共感ポイント&ご丁寧なコメント、畏れ入ります
私のレビューは誰が観ても"残念"な内容なので、貴殿のような再構築された作品のストーリーに大変心を癒されます いつも大変素晴らしいレビュー、ありがとうございます
ケンカ別れした親友に対する思いが、ずっと尾を引いている
そんな物語と想像していたので、中盤からは心を押し殺しての鑑賞で、精神的には参りました。
遠足帰りバスのシーンで、父兄ともども体育館に集合という言葉を聞いたときは、「最悪なことだけは、ありませんように」と祈る気持ちになったのですが。やはり。。。
それにしてもこの監督の脚本と演出の巧みさには、驚かされます。ごく自然な会話や動作しか見えないのに、登場人物の気持ちが、しっかりと汲み取れます。
> すべてにおいて特別な作品でした。
まさにその通りの作品ですね。
Mさんの〝命〟を大切に考えるおもいにとても共感しますし、要所をおさえた命についての教育は小さなときから長い期間で必要だと再認識しました。
丁寧なコメントいただきとても嬉しかったです。
ありがとうございました。
本題の内容から外れることを覚悟で個人的な体験を加えてみた私のレビューはひとつの波紋を具体的な観点で触れてみたかったためです。
人に話すこともなかったけれどここになら聞いてもらいたい人もいる…
大人になりこどもが巣立ち、自分の昔を振り返ることが増えてきたのもあるのかなぁとも思います。
作品のなかでLGBT的なものについての表現はみえるけれど、どちらかといえばそれをきっかけにしておきた波紋の経過をそれぞれの立場から細やかにみせてくれたように見受けたのです。
あの時2人のまわりには労りあい寄り添うやさしくあたたかい家族がいたし、見守りながら都度対応する先生もいた。
それにもかかわらず、考えられなくなる、あるいは大切さをはかる天秤にもかけれなくなる状況…それが現実にあるということ、まわりからみてそれは突如なのかもしれなくても、本人には蓄積した重みが耐え難くなっている場合があることを改めて感じるものでした。
↑たとえが昭和感いっぱいですが…悩みから逃れたくなり投げ出したほうが楽におもえるイライラ感や焦燥感もわかります。
おっしゃるように命はかけがえのないもの。
断てば永遠に失うものだし、多くの長く深いかなしみを伴うもの。
その通りでしょう。
その複雑な葛藤にどう向き合えるか…
当事者もまわりもすべてが感受性のつよい難しい時期の集団のなかでなかなか大変なことだとしみじみ思いました。
そのもどかしさを考えると、なんだか、揃えようとして1つ動かせば別の1つが動いてしまい形がかわってしまう子供の頃に遊んだパズルを思い出します。
レオが本当にレミを嫌いになってからのあの行動であればまだ許せる。
しかし、本当はレミのことを好きなのに、人の目を気にしてあんな行動をし、レミを追い込んだのだから、どうしても許せない気がする。
にしても、レミは弱すぎる。人の目を気にしてあんな行動を取るようなやつから、冷たくされたからといって、自殺する必要はない。
普通、後悔は心の中に飼ったまま人間は成長するものだが、後悔しても後悔したりないことは、長く生きていれば一つや二つはあるだろう。
でも、死は、全てを拒絶する。
偉そうなことを書いたが、私自身もほんとはレオやレミを否定する資格はない。でも、そんなことはわかった上で、レオにはあんな行動をとって欲しくなかったし、レミには生きていて欲しかった。
今、このコメントを書きながら、「君たちはどう生きるか」(原作の方)を思い出した。コペルくんは(ほんとは)まだ取り返しのつく失敗だった。でも、レオのやった失敗は、もう決して取り返しがつかない。
自分にこんなことを書く資格はないことを自覚しつつ、長いコメントを書かせていただきました。
humさんの体験に触発されたから?
やはり、どうしてもレミの親の立場でこの映画を見てしまったから?