「対決ではなく、対話を」エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
対決ではなく、対話を
経営するコインランドリーは業績が芳しくなく、レズビアンの娘ジョイは反抗期、父親のゴンゴンはボケが始まっており、優しいだけの夫ウェイモンドとは離婚寸前と、何もかもがうまく行かない中国系アメリカ人のエヴリン。 冒頭から中国語が飛び交う様を観て、改めてアメリカ映画も流れが変わったのだと実感した。 特に最近は多様性を認める社会を象徴するように、マイノリティをテーマにした作品が増えたように感じる。 そしてマイノリティにとってはまだまだ生きづらい世の中は続いている。 エヴリンとウェイモンドは税金の申告のために国税庁を訪れるが、そこで不備を言い渡されてしまう。 現実から目を背けているのか、エヴリンは係の話を聞かずに妄想の世界に入り込む。 『虹を掴む男』という気がつけば妄想の世界に入り込んでしまう男の映画があったが、この映画はただ妄想の世界に逃げ込むだけの話ではない。 いきなり夫のウェイモンドが、自分はマルチバースからやって来た、世界の崩壊の危機を救うのは君しかいないとエヴリンに告げる急展開。 予備知識なしで観に行ったので、何が何やら分からないまま映画の世界観に引きずりこまれた。 マルチバースという概念をすんなり受け入れられないと楽しめない作品だと思ったが、映像の面白さとシナリオの緻密さに衝撃を受けた。 最初は世界観を理解するのに頭を使うが、きちんと物語を追っていけばその世界観に入り込めるようにシナリオが出来ている。 脳が追い付いた中盤あたりから俄然面白くなった。 世界を滅亡させようとするジョブ・トゥパキの正体が娘のジョイだったという衝撃の展開。 マルチバースが舞台になっているので、この映画の主人公エヴリンが存在する世界ではまだジョイはただの反抗的な娘のままだ。 しかしいずれはその本性を現すと、マルチバースからトリップしてきたゴンゴンや、ウェイモンドはエヴリンに警告する。 そして世界を救うためにジョイを消し去れと。 同じ人物でも存在する宇宙が違えば人格もまったく異なる。 その異なる人格がトリップによってコロコロ変わるのが面白い。 この世界のエヴリンは最低な人生を送っているが、他の宇宙では女優や歌手やカンフーの達人として成功している。 それはこの世界のエヴリンにもあり得たかもしれない世界だ。 そして最低な人生を送って来たこの世界のエヴリンは、どんなエヴリンにもトリップすることが出来る。 くだらないことを考えれば考えるほど、強い力を持つマルチバースの世界にトリップ出来るという設定がかなり面白い。 両手の指が全部ソーセージの世界のエヴリンには笑ってしまった。 息つく暇のない怒涛の展開。くだらないけれども、哲学的なテーマを感じる不思議な世界観。 中盤にかけてグッと心を掴まれるが、それを突き放すように終盤からはまたややこしい展開になっていく。 斬新なスタイルの作品だが、描いているのは愛という普遍的なテーマ。 そしてこれはやはり多様性を受け入れる物語でもあるのだろう。 対決ではなく、対話を。 アクション映画なのに、最後はバトルを繰り広げる度に人が傷つくのではなく、快感に包まれていくのが面白い。 とても練られた作品で感心させられたが、心から楽しめたかどうかは疑問だ。 頭で想像出来ることは現実に起こり得ることだ。 人間の頭ではまだまだ理解できない世界がたくさんある。 そして今後ももっともっと想像を越えるような設定を持った映画がたくさん作られるのだろう。 この映画は変化していく世界の過渡期にある作品だと思った。